2014年10月16日木曜日

「Aus der Noth Tugend zu machen」 Gottfried Semper

Aus der Noth Tugend zu machen

通常は、以下のように使う、ドイツの慣用句である。
Aus der Not eine Tugend zu machen 

災い転じて福となす、とでも訳すべきか、微妙にニュアンスのずれがあるが、今はより適切なことわざがぱっと浮かばない。このドイツのことわざを建築について転用したのが、今回、冒頭に挙げた「Aus der Noth Tugend zu machen」であり、ゴットフリード・ゼンパーの言葉である。この意味するところは、建築マテリアルは無限に延伸することはなく、必ずどこかに継ぎ目が発生する。この継ぎ目のことをドイツ語ではNahtというが、ゼンパーのNath=Nahtであり、この継ぎ目を活用して建築設計の要とせよ、という教えである。

ここですぐに自分が連想したのは、西洋建築のファサードだ。西洋建築では、いわゆる、コーニス、ドイツ語ではゲジムスはファサードを分割する非常に重要な要素であり、日本では町家などでは軒線をそろえるが、ミュンヘンの街では隣家との関係の調整は、このゲジムスに負う部分が多い。このゲジムス、ファサードを分割するだけあって、ファサードとは切っても切れぬ関係であり、ファサードとは、つまり街路に面する壁である。

ここで思い出されたのが、日本建築と西洋建築との違いだった。つまり、西洋建築とは壁である。実務でも常に思い知らされるが、鉄骨などによっぽど特化した事務所でないと、軸組み構造で家を考える機会にはほとんど出会うことがない(というか、ただ単に自分の現在勤める事務所がそうなだけなのかもしれないが)。壁というエレメントが非常に重要であるために、Aus der Noth Tugend zu machenという言葉も、非常に意味をもっているように思われる。

一方、日本建築に思いを馳せれば、空間は、床と屋根で定義され、サンドイッチの具が空間であるというイメージに近い。したがって、人間の動線空間の存在する領域では、Aus der Noth Tugend するべきものが存在していない、それが日本建築のイメージだ。かつて、日本の建築というのは、プログラム建築だなぁ、という感想をもっていた。とにかく、空間プログラムが単純ではなく、とても斬新なのである。明治から大正にかけて、生活様式が一変し、モダンリビングが求められた、そしてそれ以来、空間設計に確たる基準がなくなってしまった日本の建築シーンというのは、常に斬新な、生活様式を後追いする空間を追い求めてきたように思われる。そのため、若いジェネレーションによって新しい生活様式が展開されると、さて新しい空間設計が必要ですよ、と新しい設計コンセプトの発明合戦が喧々諤々と巻き起こる。これでは、日本の建築家さんが忙しいのも納得せざるを得まい。
ところで、ちょっとひらめいたが、日本での継ぎ目というと、マテリアルの継ぎ目はそれほど重要ではなく、緩やかに分割されつつ連続していく空間の継ぎ目が重要であり、それはもしかしたら、空間単位としての間と、その連続という現象に収斂されるのかもしれない。

ちなみに11月の半ばから、新しい事務所での活動となります。デザイン重視の事務所に移籍することになったので、色々できるかと思うと、とても楽しみです。スケッチしまくるぞーーー。