ふ、と思ったんだけど、しかし実は長いこと考えていたんだけど、日本建築って、床と天井で空間を定義するでしょ? で、その空間って、畳が敷き詰められていて、結構均質な空間だったりする。例えば、桂離宮を訪問して書院を見学すると、畳が敷き詰められていて、部屋は襖で仕切られていて、それが閉じていれば個室、開いていれば、大広間となるし、多分、建造された当初はここは何の部屋っていうのが明確に決まっていたと思うんだけど、今見学するとどの部屋も同じに見える。ようは、かなりユニバーサルな空間に見える。
清家清先生が行っているんだけど、日本建築では、季節、年中行事などによって空間が自由に定義され、臨機応変に使用されていた。これを舗設という、らしい。
随分前から、伊東豊雄氏のセンダイメデイアテークやSANAAのロレックスラーニングセンターを見て考えていたのは、やっぱり床と屋根で定義されるサンドイッチ構造の空間と、イベントに応じて臨機応変に変化する空間が計画されているなぁ、ということだった。そして、そういった空間は、新しく来る使用の変化へも対応しうる空間であり、それらをプログラムとして取り入れているということで、僕はプログラム建築と名づけていた。
少なくとも、僕のミュンヘンの設計事務所での経験からは、空間をイベントに応じて変化するような空間を作り出そう、という話になったことはカツテ一度もない。そういう言及をヨーロッパに来て目にしたのは、ロジャース事務所は、会議に応じて机を移動するので、所員の定位置がなく、ミーティングの発生する場所で、あるいは作業の発生する場所で働くことになる、ということぐらい。
不幸にして、僕はどうやら、このイベントに対して、自由に対応する空間を作るという空間の構想力には決定的に欠けていて、それはどうやら、一度雑誌などに掲載された空間は、意地でも自分の設計活動へダイレクトに参照したくないというひねくれた性分にもよるのだろうが、そのような空間を提案しえたこともなければ、作り上げたことなど、ましてやないのだった。
でも、それが、日本建築の本質の一つであるのではないか、ということになれば、話はちょっと変わる。いつかどこかで、このアイデアを使ってみたいものだ。