2011年8月1日月曜日

都市造形の研究のはずなのに。。。

ミュンヘンの都市造形、それも境界部分の形成に着目して進めてきた論文が、ここに来て、何故か建築史、それもバロックから古典主義建築と都市計画との関係、それにひっからめて田園都市計画や、ゲニウスロキというなんだか、あらゆるものをひっくるめて記述しなければいけない様相を呈してきた。。まぁ、それはそれで楽しめるからいいんだけど、資料を漁るのに時間がかかる。
ところで、最近、我が事務所の所長のおかげで、そして藤森先生の展覧会準備に関わっていることもあり、建築の装飾について色々考えるところがあって、結局、アートアンドクラフトから始まり、アール・デコに至りモダニズムへと至る道筋で、何がそれらの動きを推し進めたのか、というと、一つは藤森先生のおっしゃっている、デカルト的絶対空間への希求、数学的空間。もう一つは、建築の本質を見極める目が、装飾から空間構成へと変わったのではないか、と思うに至った。というか、これ当たり前の周知の事実で、自分ひとりがこの変化を重大なものだと認識していなかったのではないか。
まぁ、それはそれとして。でも、やっぱり都市の粒子とグループフォームへと至る道筋が、バロック都市計画やクラシシズムには読み取ることが難しいんだよなぁ。

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