2012年1月5日木曜日

Tokyo Sonata

Kiyoshi Kurosawa, 2008

Ich habe gestern als Filmnacht mit den zwei Freunden Die Tokyo Sonata von Kiyoshi Kurosawa gesehen. Der Film ist teilwiese sehr unrealistisch, obwohl der dem Home-Drama kategolisiert wird. Aber gegenwärtige Probleme in Japan sind thematisiert und sehr gut zusammen dargestellt. Und ab und zu erzeugen die unrealistischen Darstellungen Humor und als Ergebnis haben wir uns sehr amusiert.

Ich habe durch den Film Themata, Famile und Zugehörihkeit einer Personen überelegt. Was ist jetzige Funktion der Familie in der Gesellschaft und wie wird Rahmen der Gesellschaft behalten? Dieses Thema weckt auch japanische Situation im Bezug auf eine Firma und Amerika.
Die Familie, die im Film dargestellt ist, wackelte, da der Vater arbeitslos wurde. Dann kommt ein Zeitpunkt, an dem die Familienmitglieder komplett miteinander zergesetzt wurden. Dabei ist der Vater durch die Nacht irgendwohin gelaufen, ist die Mutter mit dem Verbrecher am Strand gefahren und hat das Kind vom Haus entflohen. Aber am nächsten Tag kommen sie nochmal zu Hause und sie frühstucken zusammen. Die einmal zerbrochene Familie wurde irgendwie nochmal zusamengestellt. Der Rahmen einer Familie oder ein Haus, die sehr konvensionell sind und anscheinend nicht mehr richtig funktionierbar sind, haben solche Anziehunkskraft auf jeden Fall. Der älteste Sohn, der in die amerikanische Armee eingetreten ist, bleibt in America, danach er den echten Krieg erlebt hatte. Der Sohn, der irgendwann seine neue Familie begründen soll, betrachtete und bemerkte schon, wie der japanische Staatrahmen konstruiert ist, der ohne Schütz von Amerika nicht mehr fortlaufen kann. In Japan ist der Staatrahmen auch sehr vage.

Am Ende zeigt der jungere Sohn Geniealität beim Klavierspielen an der Einnahmeprüfung, obwohl sein Vater und Mutter auf seine Fähigkeit Zweifel gehabt hat. Diese Szene zeigt ein wünderbares Licht in einem bitteren alltäglichen Leben und macht den Band dieser Familie fester.

2012年1月3日火曜日

A happy new year!

明けましておめでとうございます。2012年になりました。
昨年は日本は東日本大震災に襲われ、大変な年であったと思います。

ところで、年末から年始へかけて、子供の教育をほったらかして、もうドップリと漬かり切っていました。何にかと申しますと、日本史と日本美術についてです。
そして、その折に再度改めて、俵宗達や光琳のいわゆる琳派、加えて江戸期の画家について感動し、また、工芸、日本家屋に対する興味も更に頭をもたげてきました。
光琳に関しては、息子の名前の候補に最後まで残す程、興味があります。その経緯から息子に風神雷神図屏風について説明してみると、不思議なことに彼もそれらの絵に興味があるそうです。雷神と風神という言葉を覚え、散歩の折に、風が吹くと風神について、雷が鳴ると雷神について説明を始めます。まだ、4歳なのに、、、、不思議なヤツ。。。
おまけに、歌舞伎の動画を見せていると、話し方や隈取が面白いらしく、大笑いしています。ちなみに僕はこの年になるまでそれら伝統芸能に関しては眠気を誘うもの、としか捉えておらず、そういうものに興味を示している息子の行く末にちょっと期待を抱いてしまいます。

ところで、江戸期の画家は近年では伊東若冲などに人気があるそうですが、個人的にはデザイン性の強い光琳、その流れを受け継ぐ酒井抱一、そして応挙、その弟子、長沢芦雪に興味があります。

今年は藤森先生と茶室を作るので、茶室についても再度、色々調べ、その過程でやはり民家や京町家への興味が尽きることなく、今後、それらのデザインを実務において色々取り込んでいくことは出来ないか、試してみたくなりました。特に、茶室のデザインはデザインコードが多種多様であり、それを組み合わせて空間が組み立てられること、つまりコラージュ風な空間が出来上がっていることが気になります。日本空間というのは、屋根と床が主要エレメントであり、壁で囲うことはあまりないのですが、茶室空間の成り立ちから、元来、茶を行う場所を囲いとして捉え、空間が囲い込まれていることにも、興味があります。日本建築の強い個性である奥、それは路地などに見られるのですが、と日本建築としては一般的ではない囲うことによって出来上がっている茶室空間、そこはコラージュ空間であり、好き屋であり空き屋であり数寄屋であること、非常に興味があります。

ところで俵屋宗達について調べるうちに、それら、過去のデザインを大胆に転用するというか、自分なりに解釈して応用すると言うことに関しては、問題がないのではないか、と最近考え始めました。昔はそういうことは絶対に理性が許さなかったのですが、そういった行為を許容することによって、さらに自分が自由になれるような気がします。

工芸について考えを巡らせているときに、ギーディオンの空間時間建築の中に、ロースについての記述を見つけました。
オットー・ワーグナーの弟子たち、当時のウィーンの建築家たちがインテリアから建築へというベクトルではなく、建築からインテリアへと向かっていったその態度へ、ロースは異議を唱えました。なるほど、装飾がはぎおとされて、ロースの建築は正に建築へと向かっているように見えます。改めてロースのライフアイゼンバンクをみてみると、ギリシャ式の柱から上部へ延びる構造の力強さ、構造以外の平面の扱いに興味ある手法を見ることが出来ます。

しっかり充填した年末年始から、次第に現実世界へと戻る用意を明日からしようと思います。
ミュンヘンの都市、境界部分の散歩にでも出かけてこようかしら。
明日は、妻と久しぶりのデートです。