現在、ミュンヘン•シティーミュージアムにて、ミュンヘン都市壁撤去の立役者であり、ミュンヘンの都市造形へ多大なる影響を与えたグラフ•ルムフォルド、つまりベンヤミン•トンプソンの展覧会が開かれている。
都市壁撤去後の都市造形が博士論文のテーマでもあったので、クラウ名誉教授がお声をかけてくださり、物理学教授や弁護士に混ざって、展覧会のキュレーターのガイド付きで見学して来た。
http://www.muenchner-stadtmuseum.de/sonderausstellungen/rumford-rezepte-fuer-ein-besseres-bayern.html
展覧会の内容については都市造形というよりも、啓蒙主義時代の社会変革者としての側面に光があてられ、とても新鮮で興味深い内容だった。
彼は、市民徴兵制に着手することによって身分制度を根底から覆し、都市居住者(つまりヨーロッパ的な意味での市民ということになると思うのだが)が都市に居住したまま農耕に関わることによる社会システムの変革を目指した。この場合に理想とされたのが中国らしく、これはシノワズリーとも大きく関わってくるのだけれど、そのためにミュンヘンのイングリッシャーガルテンには中国式の塔が立っているのだそうだ。また、イングリッシャーガルテンは練兵場として使用され、その際にエネルギーと熱についての物理的知見を得たというのは知っていたが、イングリッシャーガルテンの一部が短冊状に区画され、区画された土地が農園として市民兵に分配されたこと、そしてそれが現在ミュンヘンでも多く見ることができる小農園群Schreber Gartenへと変遷していったという歴史的流れはとても面白かった。
また、イングリッシャーガルテンは市民のスポーツの場として解放され、様々な階級の人たちが交流するべき場として計画された。これと同じような計画として、一つの街区を占有する住戸ブロックを丸ごと様々な職人がテナントとして入居するような施設とし、市民の4分の1を占めた貧民層を救済しようともした。
ルムフォルドの生きた時代というのはドイツにおける工業化前夜でもあり、非常にコンセプチュアルな時代であったのだなあということがとても印象深かった。
また、このコンセプトがルムフォルドのイニシアティブの元、次々と実現されていった推進力にも恐れ入る。閉じていた都市が殻を突き破り、膨張していくダイナミズムもそこから生まれて行ったのだろう。
展覧会の終盤では物理学者としての側面にスポットが当てられ、60年ほど継続的に運転可能な炉の開発、そこからプロイセンで活躍したシンケルや、同じように炉の開発に着手したというギリーについて意見が交わされ、建築家とエンジニアというのは昔は本当に分離していなかったのだなぁ、という感想を持った。
自分はといえば、現代の窓は気密性能が高すぎるがために吸気口を別途計画しなければいけないのだが、これを構造的に、そして建築物理的にどの場所に設置するべきなのか、自分一人では決断もできず、構造家、設備屋に質問する毎日なのである。
現在取り組んでいる計画では、窓、外装材のディテール計画が一段落つき、階段の手すりなどの金物関係のディテールに取り組んでいる。現事務所の作業の進行方法がちょっと摩訶不思議であり、把握することが難しく、早くも他事務所への移籍を念頭に入れ始めた今日この頃である。
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