ここ最近、藤森先生がミュンヘンにいらっしゃってからずっと考えていた点が次第に明らかになってきた。
ことの次第は、ミュンヘンの建築、ファサードに住まう動物を収集する、という藤森先生関連の仲間たちが集まってはじめた計画からだった。動物がファサードに住み着いている建築を探しているうちに、次第に次のような疑問が湧いてきた。
植物は、どのように扱われていたのだろう?
どうして建築のファサードに住んでいた動物たちが、次第に駆逐されてしまったのだろう?
その疑問に答えてくれたのが、ここ最近立て続けに起こった出来事だった。
最初の疑問には、すでにユーゲントシュティルやアールヌーボーにたどり着く道筋は、疑問を感じた段階でなんとなく見えていた。
決定的だったのは、クンストバウで行われているモンドリアンとデ・シュティル展への訪問。
もう一つは、藤森先生の野蛮ギャルド建築に書かれている藤森先生の巻頭言、人類の建築をめざして、の中に書かれていた内容だった。
さて、デ・シュティル展についてなのだけど、この展覧会で面白かったのは、モンドリアンの発展の軌跡が如実に見て取れること。木や風景画が抽象化し始め、しまいには、平面と線による画面分割へとたどり着く。その軌跡が面白い、と思ったのだが、実はもっと重要な点は他にあった。友人の指摘により、抽象画にたどり着いたモンドリアンの画の中に、揺らぎがあるということに気付いた。この揺らぎ、もとはといえば具象の中に存在するもので、これを排除していった果てにたどり着くのが抽象画。でも、抽象によって揺らぎを作り出すことが出来るのであれば、抽象による新しい世界風景、それは揺らぎを含んでいる、を作り出すことが出来るということだ。その可能性は、明らかにデ・シュティルの運動の中で展開されたに違いない。
この、新しい世界風景は、バウハウスのグロピウスによって絶対的な空間として実現されていて、その源泉はデカルトの数学的世界観まで辿ることができる、そう藤森先生は述べている。
先生の文章の中でとても面白い、と思ったのは、モダニズム運動の発祥をアールヌーボーにあるとしていて(もっとたどると、アートアンドクラフト運動からユーゲントシュティルへと継続されている)、アールヌーボーは、ご存知の通り植物をモチーフとしている。この植物は、どうしてモチーフとして現れたんだろう。藤森先生は言う。
それは生命現象や地母信仰への接近、発見なのだ、と。
そして、1920年代のモダニズム確立にいたるもちのスタート地点にはこの生命の再発見があり、そしてゴールには数学がある、という。最初に注目されたのは生命現象、動植物の層。その層のしたにはアール・デコの鉱物の層。鉱物の層の下には数学の層が現れた。鉱物の結晶の形を決めるのは数学。つまりグロピウスによるインターナショナルスタイルの確立。
以上の視点に立つと、グロピウスというのは、揺らぎのない、数学的建築に思えてくる。一方、ミースについて、藤森先生は、面白いことを言っている。ミースの建築には、何か、数学的建築では割り切れない、物質に対する偏愛のようなものを感じる、と。
ミースの建築では直線が多用され、修飾はほぼ見られない。しかし、本質的に、グロピウスとミースの建築を分かつものとは何か。これが、モンドリアンの提示したような、直線による新たな、揺らぎを含んだ世界風景の現出ではないだろうか。それとも、直線だけでは捨て去ることのできない、現実世界に根ざした、それは物質性のようなものかもしれないが、建築の創出。
今回、前出のような疑問から出発し、デ・シュティル展を訪問したことにより、自分の疑問に対する回答の糸口を見出すことが出来、更に今までなかなか理解することの難しかった、ミース建築の意義を見出すことが出来たことを、嬉しく思う。
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