2012年10月5日金曜日

息子の学校、ミュンヘンバロック

次男、無事に誕生しました。名前は玄十。ミュンヘンはカトリックの強い地域なので、キリストのシンボルである十字架を名前に組み込みました。この名前は漢字のビジュアルと画数で候補にあがりました。誕生後、妻と僕は彼の顔をみるなり、これは玄十だね、と意見の一致を見たので、決定。残念ながら、長男の提案であるカイトは、彼の子供が生まれたときにつけることになりそうです。

ところで、長男が、10月から、両親が外国人である場合に義務付けられているVorkursに通い始めました。一方、次男はドイツ国籍を取得することができるらしく、成人するまでは二重国籍となるのですが、我が家にドイツ人が誕生することとなりそうです。
話は戻って、息子の通う学校が、結構いい建築なので紹介したいと思います。

この学校は、Hans Grässelという、ミュンヘンでは重要な建築家で、Theodor Fischerや、Carl Hochederとの同時代人によって設計されました。彼は例えばNord, West, Ost そしてWaldfriedhof(墓地)建築などを設計しています。
さて、藤森先生がいらっしゃったときに、Thodor Fischerの設計した小学校を見学したことは以前書きましたが、息子の小学校も、ほぼ同時期に設計され、同時代的空気を伝えてくれます。
当時はやはり教育革命があったらしく、ミュンヘンでもシュタイナーなどの影響を受けて、建物も閉鎖的なものから開放的空間を有する校舎へ変えようというムーブメントがあったそうです。どうやらその中核を担ったのが、ホッホエダーで、彼はバルコニーを有する学校建築スタイルを確立し、フィッシャーやグレーセルはその影響を受けました。そして、それらは、ネオバロック建築なのだそうですが、どのあたりがそうなのか、いまいちピンときません。というわけでググッて見ると、ネオバロック様式の後期では、ルネッサンス様式との混合が見られるとのこと。それだったら妻側の造形にそれらしきものが散見できますね。


バルコニーを持つ学校建築ということで、この学校にも、なんと5階部分にテラスがあります。そういえば、エリザベス広場に建つ学校にも、3階にテラスがありました。これらのテラス、残念ながら現在は使われていません。転落する危険があるからですかね。
エントランスは男女別に二つあります。現在は区別されていませんが、エリザベス広場の学校もそうなっているので、当時は男女別々に教育していたのかもしれません。ホールは階段を中心として、休み時間には子供たちであふれる活気のある空間となります。

 
 
 

残念ながら、床材には非常にやすいタイルが張られ、素材的にはあまりビビっとはこないのですが、アルミの枠にガラスのはめ込まれている間仕切り戸が、古い建築と相まって良い表情をだしています。この表情、どこかでみたな、とおもって回想してみたのですが、ワイマールのバウハウス校舎だったと思います。
装飾もいたるところに施されており、例えば教室に入る玄関の枠には、アールデコを意識させるような装飾が施されています。
これは構造はなんですかね、フィッシャーのようにコンクリートを使っているようにも見えないので組石造かもしれません。

残念ながら校舎内をうろつくと不審者だと思われる可能性がかなり大きいので最上階まではまだ行っていないのですが、今度、息子を引き連れて校舎内をちょっと散歩してこようか、と思います。

 
 


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