2012年12月2日日曜日

中心

本棚に置き去りになっていた、イーフー・トゥアンのトポフィリアをなんとなしにパラパラとめくっていたんだけど、改めてその面白さに感じ入っている。

特に、博士論文で論じた、緩やかな都市境界を描き、論じあげた後では、改めてトゥアンの論じる、人間の営為、環境の捉え方に感じ入る。

環境は、緩やかな連続体で出来ているが、人間は、それを分節し、二項対立を作り上げ、その二項対立を中和するものとして、自分の立脚点、つまり中心を措定する。それは、信号の赤と緑の中間項としての黄色だったり、空と地中の中間としての大地だったりする。

自分は、中心の周りに存在する都市境界を、分節化し、それらが重ね合わさったものとしての境界を描いた。



ところで、生と死の二元性、そして死を中和するものとして、神話が存在する、とトゥアンは述べている。かつて、僕は、息子の熱中しているウルトラマンも、現代の神話といえるのではないか、と考えたことがあるが、ウルトラマンは死をテーマとして扱っているかどうか。M78星雲を黄泉の国と捉えることができるのか。3分間の戦いを終え、どこかに去っていくウルトラマンは、死と復活を表しているといえるのだろうか。いずれにしろ、様々な、環境破壊や友情などのテーマが描かれているが、やはり息子は変身するときのポーズアクションや、戦いの仕方などに興味の大半を割かれるらしい。しかし、飛行機やロケットなどは非常によく観察していて、最近息子の描くものはほとんどロケットなんだけれど、かなり美しいロケットや飛行機を描く。


ミヒャエル・エンデの、traumfresserchen、ゆめくい小人を購入した。昨昨日、息子に、寝る前、長いことかけて読んで聞かせた。昨日、朝、起きるなり、昨日夢をみなかったよ、という。きっと、ゆめくい小人に怖い夢をくわれてしまったのだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿