今日は、博士論文を指導していただいたクラウ名誉教授を家に招待し、お茶を飲んだ。我が家は新生児がいるので、ご足労願ったわけだが、教授も現在は退官されていることもあり、また、先日、金曜日に、ベルリンで携わっておられたプロジェクトを終了されていたこともあって、非常にリラックスしておられた。また、昼飯を食べないことで叱られ、不機嫌な長男にも暖かく接していただけた。
教授には、日本で購入してきた急須と湯のみ、そして芥川龍之介の“羅生門”を感謝の気持ちとして進呈し、非常に喜んでいただけたのでとても嬉しい。
ところで、先日終えたというベルリンでの仕事というのは、かつてのIBAの建物群を、いかに外観を変えないで、現在の断熱性能などを与えることが出来るのか、という調査報告書であったらしい。非常に短いスパンでの仕事であったらしく、通常なら一年ぐらいかけてこなす仕事量を、3ヶ月でこなしたので大変だったそうだ。教授は退官されておるので、もう仕事は請け負わない、と冗談交じりに言っておられたが、矍鑠とされておるので、また打診があれば何かされるのではないだろうか。個人的にはなにかしていただいて、その話をまた伺いたいと考えているのだが。
このIBAの建築群は1950年代後半に建てられたとおっしゃっておられたが、当然、グロピウスや先日なくなってしまったニーマイヤーなど、有名建築家が設計しており、しかし、その当時はもちろん現在の建物性能を満たしていない。例えばバルコーニー、窓枠は断熱性が悪く、この点を、外観を変えないでいかに改善するべきかが課題だそうだ。
幾つかの提案として、内断熱、暖房機器の性能向上、そして、窓枠はある特定の製造業者がいるらしく、将来的には彼らを手を携えて計画を実行に移していかなければいけないのではないか、ということだった。
私も約一年前に、我が家の近くでもあるミュンヘン郊外に建つ、1920年代に建てられた、アルビン・ザイファルトというランドスケープアーキテクトの設計したビッラの改修に携わったことがあるが、この際にも、いかに壁の断熱性能をあげるかを考慮し、地下部分は内断熱プレートを張ったり、窓台を下げるためにどうするかを、所長が苦心していた記憶がある。そしてこれは、保存建築物局との交渉手腕が試される場でもある。私は言葉の壁があったため傍らでこの交渉を傍観しつつ詳細図をひたすら描き続けていたが、今考えれば、貴重な経験でもあった。
そんなこともあり、ヨーロッパは、現在、本当に都市の作り変え、つまりは持続可能な都市へと発展している真っ最中なのだなぁ、と実感せずにはおれなかった。
教授は、年末に初孫が生まれるらしく、我が家の息子たちを目を細めて見守っていただけた。最初は教授の問いかけにもなにも返事を返すことのなかった長男は、次第に自分から話しかけるようになり、最後は私の体を使ったアクロバティックな技を何回も披露していた。しかも、敬語を使わないで、君口調で話しかけているので、ちょっと敬語を使うシチュエーションを教えるいい機会か、と思い、ちょいちょいちょい、と嗜めようとすると、いやいや、話させておきなさい、問題ないわよ、と教授に合図を出されてしまった。教授いわく、やはり息子のほうが完璧なドイツ語を話すそうだ。。。。完全なる敗北です。
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