2013年2月9日土曜日

様式 装飾

最近、ウィーン建築について関わっているということもあって、様式とか装飾とか、そんなことばっかり考えている。
西洋的視点でみるならば、日本建築には西洋的意味での様式、装飾が、日光東照宮などの例外はあれ、ないように見える。ヨーロッパのアール・ヌーボーからユーゲントシュティルの動きを観察してみると、ジャポニスムが与えた影響が強いのは自明のことだが、ゼンパーの様式とマテリアルの思考からロースの思考を経て、その後日本建築の発見へといたるのは、とても自然な流れに見える。
そう考えると、ゼセッションの動きを日本へと持ち込んだ堀口捨巳の動きはとても奇妙な動きに見える。なぜなら、ゼセッションからロースへと至る流れからは、伝統的日本建築こそがその目的を達しているように見えるからだ。その目的が達成されている場所に、なぜ、西洋的様式論という、生半可な思考では解決不能なものを持ち込まなければいけなかったのか。

堀口の目的は、どうやら他のところにあったのだ、と考えたほうが良いのかもしれない。

もう一つわからないのは、どうして日本建築には西洋的意味での装飾が生まれなかったのか。それはキリスト教や王権が多分に他者への干渉を旨としていたので饒舌に装飾によって語る必要があったのに対し、仏教的・天皇的世界観からは装飾によって語る必要がなかったからなのだろうか?
そもそも、日本的空間は間や、奥など、空間そのものに意味があり、特にそのシークエンスによって権力の象徴を表す嗜好があったように思える。だから奥へ奥へと空間を仕切っていくし、建築の単体は、その仕切りのエレメントを組み立てたものでしかないから、そもそもそこで部分的な物語など語る必要などなかったのか。
とそこまでぼさーと考えていたら、藤森先生の高過庵のことがボヤっと頭に浮かんできた。藤森先生の建築というのは難解で、昨年一緒にお仕事をさせていただくまでは、正直にいうとそれがなんのことやらさっぱりわからなかった。わかることといえば、直感で面白い、自然を取り入れている、ということぐらい。
でも、例えば高過庵の面白さというのは、このシークエンスが一目で飛び込んでくるということだ。例えば茶室建築では路地というのが非常に重要な要素であるが、高過庵ではこれが、茶室を支える構造として、梯子とともに建築的エレメントとして、建築の単体の中に組み込まれる。ベジタブルシティーにしても、食と建築という一連の過程が、ビジュアルとしてパっと一目でわかるように飛び込んでくる。藤森先生の建築というのは、そういった建築に関連する幾つものプロセスが目に見える形で飛び込んでくる点にあるのではないか、そんな風に思えてきた。
以前もこのブログにて、現代日本建築というのはプログラム建築だと書いたことがあるが、そういった思考には、様式などよりも、空間構成などに主眼が置かれるので、装飾についての様式などは、本当にどうでもいいものなのかもしれない。
ついでに装飾というものにあんまり興味が向かないとしたら、マテリアルと装飾様式があんまりくっついてこないので、純粋にマテリアルを愛でる嗜好が生じるのだろうか。
かつて京都の町やを見学しにいった時に、中庭に石があって、その石が皮付きだなんだと、ただポツネンと中庭に置かれている石について延々と話している人を目にしたことがある。そういったあるがままの素材を建築的風景の中において楽しむというテイストを、ドイツではあんまり目にしたことがない。この点についても、藤森建築というのは、素材の生み出すハーモニーなので、西洋人の目には非常に新鮮なものに映るのだろう。

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