Thierschstraße 41
ヒットラーは、ここに、1920年から1929年まで住んだ。1936年からは誇らしげに、この場所にヒットラーが住んでいたということを示す掲示板が掛かっていたが、戦後に取り外された。
解説書には、この建物の階段室のきしみ、そしてドアベルの音も戦前戦後と変わっていない、ということなので、爆撃からは免れたのではないだろうか。
現在は、ヒットラーを想起させるようなものは一切なく、彼の居住した部屋は物置として使われているそうだ。
アクセス:旧市街近くの、レールLehelという地区に建つ。Isartorplatzから徒歩約5分程度。
Prinzregentenplatz 16
1929年から、ベルリンにて自害するまでの間、ヒットラーの住居であった。内装は、パウル・ルートビッヒ・トルースト。
現在は、警察署となっており、一般には公開されていない。彼の図書館の本棚は、警察官サッカーチームのトロフィー置き場として使われているらしい。

現在の様子
1938年に様子。
Münchner Wochenend Zeitung、2010.07.21の記事から引用
アクセス:旧市街からイザール川を隔てた対岸、天使の柱をさらに市外へ走ると、プリンツレーゲンテン広場がある。この広場に面して建物は建つ。地下鉄U4、Prinyregentenplatz駅から地上に出ると目の前にある。
新たな南市街
ナチスの政策として、この一帯には、1万4千500戸の新たな居住地が計画された。そのモデル棟として、現存するこの住棟のみ建造された。この住棟の外観などは、ほぼ建造当時のままらしい。両端に防空棟が建ち、住居棟を挟み込んでいる。東側の防空棟はどうもナーゲルフリューという、アルプス周辺で採取される石を使っているようだ。
アクセス:Prinzregentenstrasse沿い、上記、プリンツレーゲンテン広場に面するヒットラーの住居を市外方向へ歩くと道路沿いに建つ。
これらの、ヒットラー、及びナチス関連の施設は特に目印もなく、自ずから探さなければそれと気づかない。これらを観光の目玉として使用しないのはなぜなんだろうと何人かに聞いたが、ネオナチなどに利用されることを恐れてのことらしい。特にプリンツレーゲンテン広場の住居に関しては、警察が入っていることから、まだ、そういった極右勢力に利用されることを牽制しているような印象を与えた。ここ、ミュンヘンでは、ヒットラーの所業は、完全なる過去ではない。
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