今回の小旅のもう一つの目的が、アウグスブルクにあるジョン・ポーソンによるモーリッツ教会改修の見学だった。
到着したのが6時ということもあり、生憎ミサの始まる時間にバッティングしてしまい、十分に見学することができなかったのは残念。
しかし!!
驚愕。
ゴシックの教会、そしてそれを線まで昇華させたシンケル。そして、教会建築の更なる進化を目の当たりにでもしたかのような衝撃だった。装飾の排除。教会の壁面は面へと変わり、線的要素が消滅。唯一、構造の輪郭が空間を枠どりリズムを与えている。
空間を支配しているのは、リズムだ。それ以外何が言えよう。おりしもミサが始まり、空間を賛美歌が満たす。教会をリズムが満たしている。
ミサに訪れている人たちは、スーパーの袋などをぶら下げて、きわめてカジュアルだ。信仰が日常に根ざしているとともに、それがコミュニティーとしても機能している。その頭上を、リズムが満たしている。なんともいえない気分だった。
ポーソンのミニマリズムは、奥の深さを感じさせる。ミースいうところのレス・イズ・モア。写真で見ても、その素晴らしさを体験するのは、難しいだろう。是非、訪問して体験して欲しい空間である。
アクセス:Moritzplatz 5、MaximilianstraßeとBurgermeister-Fischer-Straßeの交差点に建つ。外部からはごく普通の教会に見えるが、是非、内部へ足を踏み入れて欲しい。
旅について特集したHPを作成中です。 ミュンヘン周辺を中心に、訪問した国、街の基本情報から名所などについて書いています。是非、旅の参考にしてください! 下のリンク 旅色眼鏡からどうぞ! ↓
2013年5月12日日曜日
ニュルンベルグ
休日、ミュンヘンの天気予報は雨。
雨を避けて北へ向かう。
電車で二時間ほど。ニュルンベルクへ。
以下、ニュルンベルクの基本情報。
ペグニッツ川を挟み、今なお、都市壁を有する。
11世紀初頭、バンベルクの司教区設置とともにその歴史が始まる。
北に皇帝の居城、ペグニッツを挟んで北側のセーバルド教会を中心とするゼーバルド地区と、南側のロレンツォ教会を中心とするロレンツォ地区に分かれる。
神聖ローマ帝国の都市として繁栄を極めたが、この街の運命を決定づけたのは、ナチスによる第三帝国都市としての役割であり、そのために第二次世界大戦では街の大半を空襲で失っている。
名物はなんといっても、レープクーヘン。香辛料の効いた独特の味をしている。
一般的な見所は観光解説書を見ていただくとして、といっても、まぁ、それからそんなに違うわけでもないけれど、個人的なお勧めは以下。
1.今回、長年の念願がかなって見学することのできた、フォルカー・シュタブ設計による新美術館(ノイエス・ムゼウム)。
2.ペグニッツ川沿い散策、特にパリでいうところのシテ島に相当(?)するトレーデル島へかかるヘンカー橋、カールス橋の景観。そして、最西端にあるケッテン橋の景観。
3.北側城郭と、その南側に位置し、デュラー邸、都市門などのあるティアゲルトナー広場周辺と、都市壁上の公園。
4.ケッテン橋から北に伸びるハーフティンバーのローハウスが軒を連ねるヴァイスゲルバー通りの景観。
5.ケッテン橋の南に位置する、ミュンヘンの誇る建築家、シュタイデルの設計による住宅群。
6.ナチス党大会の開かれたゲレンデ。
ニュルンベルク、前回は、まだ4歳になる直前の息子を連れてやってきた。色々歩き回り、歩けないとぐずる息子を怒ったっけなぁ。疲れきった息子は、肩車をしていたら寝てしまった。当時の写真を見ても、まだ本当に幼い。つくづく自分の馬鹿さに気が滅入る。。
ところで今回は、1.5に挙げられている建築についてブログにまとめていく。
ノイエス・ムゼウム、フォルカー・シュターブ
http://www.nmn.de/
この美術館に惹かれるのは、まず、都市建築的なコンテキスト、都市壁近くに位置しながら現代建築的素材を多様したそのファサード。そしてコンクリート、石、漆喰、木材という素材の対比のうまさ。ロッカーや階段などのエレメント配置の妙。そして、ダイナミックな空間の構成だろう。今回は、シュターブという建築家は、すっきりとまとめられたディテールから、意外とディテールの人だな、という印象を強く受けた。
ただ、美術館のキュレーターがろくでもない奴らしく、大半の展示はとんでもなく退屈。唯一、面白かったのは、デンマークのデザイナーユニット、Komplotの、二次元素材を加工することによって三次元製品を作り出している展示。展示の仕方も、その流れを可視化していて面白かった。というか、この展示は非常に好き。
最近の美術館は展示作品を写真撮影できるからいいなぁ。ごっつぁんです。
川沿いの眺めは本当に素晴らしく、特にケッテン橋からの眺めは、中世都市に迷い込んだような錯覚を覚えさせる。
ロレンツォ教会の天井。ゴシック。
重い。前回書いたシンケルのゴシックを思い出して欲しい。ついでに、この後アップする予定である、ポーソンのアウグスブルクにある教会の記事のときにも参照していただきたい。
ケッテン橋南方の集合住宅群、オットー・シュタイデル
オットー橋の南側地区は第二次世界大戦の空爆でことごとく破壊されてしまった。その敷地は1980年代初頭まで放置されていたが、現在はシュタイデル設計の集合住宅が建つ。彼の才能が遺憾なく発揮されており、そんなに突飛なことはしていないのだが、ちょっと異常なプロポーション、階段の取り付け、そして素材の転換。一枚目の建物の色も最高に好きだけど、これは断熱材の上に色を混ぜた漆喰を塗ってある。しかし、コンクリート打ちっぱなしの柱との面は同じ。植物の生え方とか、とってもかっこいい。いいなぁ、さりげなくて。
オットー・シュタイデルは残念ながら亡くなってしまったが、存命していれば、是非、彼の元で修行したいと思わせてくれる建築家の一人だった。
二枚目は、旧市街側から外側を見ている。この切り立った壁の前には嘗ての濠があった。現在は、緑のカーテンの裏側にあたる部分を地下鉄が走る。
ニュルンベルグぐらいの規模の都市は、大きすぎず、小さすぎずいい。街の中央を流れる川も素晴らしい。ニュルンベルグの魅力を再確認する小旅行となった。
ここには書いていないが、もちろんニュルンベルクを訪れた際には、城も見学していただきたい。
雨を避けて北へ向かう。
電車で二時間ほど。ニュルンベルクへ。
以下、ニュルンベルクの基本情報。
ペグニッツ川を挟み、今なお、都市壁を有する。
11世紀初頭、バンベルクの司教区設置とともにその歴史が始まる。
北に皇帝の居城、ペグニッツを挟んで北側のセーバルド教会を中心とするゼーバルド地区と、南側のロレンツォ教会を中心とするロレンツォ地区に分かれる。
神聖ローマ帝国の都市として繁栄を極めたが、この街の運命を決定づけたのは、ナチスによる第三帝国都市としての役割であり、そのために第二次世界大戦では街の大半を空襲で失っている。
名物はなんといっても、レープクーヘン。香辛料の効いた独特の味をしている。
一般的な見所は観光解説書を見ていただくとして、といっても、まぁ、それからそんなに違うわけでもないけれど、個人的なお勧めは以下。
1.今回、長年の念願がかなって見学することのできた、フォルカー・シュタブ設計による新美術館(ノイエス・ムゼウム)。
2.ペグニッツ川沿い散策、特にパリでいうところのシテ島に相当(?)するトレーデル島へかかるヘンカー橋、カールス橋の景観。そして、最西端にあるケッテン橋の景観。
3.北側城郭と、その南側に位置し、デュラー邸、都市門などのあるティアゲルトナー広場周辺と、都市壁上の公園。
4.ケッテン橋から北に伸びるハーフティンバーのローハウスが軒を連ねるヴァイスゲルバー通りの景観。
5.ケッテン橋の南に位置する、ミュンヘンの誇る建築家、シュタイデルの設計による住宅群。
6.ナチス党大会の開かれたゲレンデ。
ニュルンベルク、前回は、まだ4歳になる直前の息子を連れてやってきた。色々歩き回り、歩けないとぐずる息子を怒ったっけなぁ。疲れきった息子は、肩車をしていたら寝てしまった。当時の写真を見ても、まだ本当に幼い。つくづく自分の馬鹿さに気が滅入る。。
ところで今回は、1.5に挙げられている建築についてブログにまとめていく。
ノイエス・ムゼウム、フォルカー・シュターブ
http://www.nmn.de/
ただ、美術館のキュレーターがろくでもない奴らしく、大半の展示はとんでもなく退屈。唯一、面白かったのは、デンマークのデザイナーユニット、Komplotの、二次元素材を加工することによって三次元製品を作り出している展示。展示の仕方も、その流れを可視化していて面白かった。というか、この展示は非常に好き。
最近の美術館は展示作品を写真撮影できるからいいなぁ。ごっつぁんです。
川沿いの眺めは本当に素晴らしく、特にケッテン橋からの眺めは、中世都市に迷い込んだような錯覚を覚えさせる。
ロレンツォ教会の天井。ゴシック。
重い。前回書いたシンケルのゴシックを思い出して欲しい。ついでに、この後アップする予定である、ポーソンのアウグスブルクにある教会の記事のときにも参照していただきたい。
ケッテン橋南方の集合住宅群、オットー・シュタイデル
オットー橋の南側地区は第二次世界大戦の空爆でことごとく破壊されてしまった。その敷地は1980年代初頭まで放置されていたが、現在はシュタイデル設計の集合住宅が建つ。彼の才能が遺憾なく発揮されており、そんなに突飛なことはしていないのだが、ちょっと異常なプロポーション、階段の取り付け、そして素材の転換。一枚目の建物の色も最高に好きだけど、これは断熱材の上に色を混ぜた漆喰を塗ってある。しかし、コンクリート打ちっぱなしの柱との面は同じ。植物の生え方とか、とってもかっこいい。いいなぁ、さりげなくて。
オットー・シュタイデルは残念ながら亡くなってしまったが、存命していれば、是非、彼の元で修行したいと思わせてくれる建築家の一人だった。
今回は、時間の関係で色々歩き回ることが出来なかったが、今まで行ったことのなかった西から南にかけての都市壁をぐるっと見てきた。
二枚目は、旧市街側から外側を見ている。この切り立った壁の前には嘗ての濠があった。現在は、緑のカーテンの裏側にあたる部分を地下鉄が走る。
ニュルンベルグぐらいの規模の都市は、大きすぎず、小さすぎずいい。街の中央を流れる川も素晴らしい。ニュルンベルグの魅力を再確認する小旅行となった。
ここには書いていないが、もちろんニュルンベルクを訪れた際には、城も見学していただきたい。
2013年5月5日日曜日
友人の家
ドイツに来てからの古くからの友人が、アウグスブルクに家を作ることになったので、設計ではないけれど、相談に乗ることになった。 設計をしないので野心がない分、いい家に住んで欲しい、そう心から思う。
パンフレットを読むと、結構広大な都市計画がされていて、細かく様々なことが規定されているので、都市建築的視野から見ても大変興味深い。
アウグスブルクという街はロマンチック街道に属するこじんまりとした街であり、歴史もローマ時代にまでさかのぼり、ルターが滞在したことでも知られる。自分も非常に興味があり、好きな街の一つなので、また何か進展があればブログで報告していきたいと思う。
パンフレットを読むと、結構広大な都市計画がされていて、細かく様々なことが規定されているので、都市建築的視野から見ても大変興味深い。
アウグスブルクという街はロマンチック街道に属するこじんまりとした街であり、歴史もローマ時代にまでさかのぼり、ルターが滞在したことでも知られる。自分も非常に興味があり、好きな街の一つなので、また何か進展があればブログで報告していきたいと思う。
2013年5月4日土曜日
ロマンチック街道 Harburg, Donauwörth
マイバウムが立てられる5月の1日、バイエルンは休日。それを利用して、ロマンチック街道に、スケッチの旅をしてきた。
スケッチ、へたくそになった。。。
最初に訪れたのは、Harburg。ミュンヘンから約100キロ離れたところにある、小さな町。川、斜面に建つ住宅、そして、崖の上の城という自分にとっての魅惑お決まり三点セットが、非常にコンパクトにまとまっている。
結論から言うと、城以外にはあまり見るべきところがなく、コーヒーを飲んで、3時間ほど時間を潰せば事足りるといったところだろうか。
ただ、こんなにコンパクトなのに、天空の城のように、ズーンと聳える城を持っているというのは、街にとっては非常に贅沢な愉楽といえるのではないだろうか。嘗ては、城主の存在が頭上から降りかかってくるような圧迫しか感じなかっただろうが、城がもぬけの殻となった現在では、天空の城、なのである。
この城は、シュタウファー家により建造され、後にハプスブルク家の所有になった。しかし、城の一角を、プロテスタント教会が占める。
崖の足元にある住宅は、街路に沿って妻側が聳える外観をもち、斜面にそって這うように登る階段群は、素晴らしい景観となりえるポテンシャルを持っているように思えたが、あんまり管理されていないのが残念だった。
川の中州には三棟程住宅があり、これらは非常にかわいらしい。しかし、この素敵な生活と引き換えに洪水の心配とつねに戦わなければいけないことを思うと、察するに余りあるものがある。
ついでということもあり、Harburgが物足りなかったということもあり、電車で10分ほどの、かつて訪問したことのあるDonauwörthにも行ってきた。街の入り口の広場では、マイバウムの設置を祝う踊りが繰り広げられていた。
さっそく、カツテはドナウで漁業を営んでいた漁師の家であった郷土資料館を訪問する。展示内容は、まぁ、退屈だったんだけど、そこで説明してあったビーダーマイヤーの起源が面白かった。実は、この言葉、架空のビーダーマイヤーという学校教師の名前であったらしく、ミュンヘンで発行されていた新聞に連載されていたギャグマンがみたいなものだったらしい。それが転じて市民文化を表すものとなり、ひいてはウィーン文化の一時代を表す言葉になったんだそうな。
品の良さそうな初老の女性に色々教えてもらったんだけど、この街、戦争で80パーセントぐらい破壊されたらしく、現在の建物群はかなり新しいとのこと。なるほど、そういわれてみれば、都市壁内の建物には、あんまり魅力を感じない。
この街にくると、自分は必ず足を運んでしまい、日本人観光客は絶対に来ないだろうと思われるのが、この建物。かつては兵舎に使われたり、ペストハウスに使われたらしい、ほそながーい建物。左側にあるのが、かつての都市壁。奥にちょこんと見える塔が最高。現在は住宅として使われている。ここで、このパースをスケッチしていたら、住人のばあちゃんたちが、こんなとこスケッチして何が面白いのかしら、とヒソヒソ話しているのが聞こえる。昼からビールを飲んでるニイチャンにオッスと声を掛けられる。そして横を通り過ぎていく住人が、改めてそんなに面白いものなのか?と、自分がスケッチしている方向をシゲシゲと目をパチクリさせながら凝視する。
しかし、この街の素晴らしさは、この街を取り囲むプロムナードにある、と言い切ってしまおう。この素晴らしきプロムナードは南側と北側に二本あり、これも戦後の荒廃から立ち上がってきた段階で計画されたものだろう。しかし、この素晴らしさはなんなんだろう。
なぜ、ドイツ人にできて、日本人にはこれが出来ないんだ??日本の都市では、市民に開放できるような土地を、国、県、市が所有していないとでもいうのだろうか?
北側のプロムナードの終点には公園があり、子供で賑わっていた。この場所で遊ぶためだけにでも、自分の子供たちを連れて、この街へ来てもいいな、と思わせてくれた。
都市の中に、本当の意味での憩いの場を作り出すこと、建物密集度の非常に高い旧市街部分と、都市壁跡地を利用したプロムナード、そのコントラストは非常に強いが、このコンビネーションは非常にうまい。自然と共生してきた日本人ならもっとうまいことできるんじゃないか、そんな期待を込めて、新たな都市づくりに精進している人たちに頑張っていただきたい。
というか人事ではなくて、いつか、自分が今、ミュンヘンにて修練している都市建築の知識を、日本にてフル活用したいものだ。どこかにチャンスはないものか、日々虎視眈々と狙っているのである。
スケッチ、へたくそになった。。。
最初に訪れたのは、Harburg。ミュンヘンから約100キロ離れたところにある、小さな町。川、斜面に建つ住宅、そして、崖の上の城という自分にとっての魅惑お決まり三点セットが、非常にコンパクトにまとまっている。
結論から言うと、城以外にはあまり見るべきところがなく、コーヒーを飲んで、3時間ほど時間を潰せば事足りるといったところだろうか。
ただ、こんなにコンパクトなのに、天空の城のように、ズーンと聳える城を持っているというのは、街にとっては非常に贅沢な愉楽といえるのではないだろうか。嘗ては、城主の存在が頭上から降りかかってくるような圧迫しか感じなかっただろうが、城がもぬけの殻となった現在では、天空の城、なのである。
これ、かっこいいなぁ。
屋根の形が違うのがいい。
この城は、シュタウファー家により建造され、後にハプスブルク家の所有になった。しかし、城の一角を、プロテスタント教会が占める。
崖の足元にある住宅は、街路に沿って妻側が聳える外観をもち、斜面にそって這うように登る階段群は、素晴らしい景観となりえるポテンシャルを持っているように思えたが、あんまり管理されていないのが残念だった。
川の中州には三棟程住宅があり、これらは非常にかわいらしい。しかし、この素敵な生活と引き換えに洪水の心配とつねに戦わなければいけないことを思うと、察するに余りあるものがある。
これはどうでもいいことなんだけど、足元の石に注目。
京都でいうところの犬矢来。
ついでということもあり、Harburgが物足りなかったということもあり、電車で10分ほどの、かつて訪問したことのあるDonauwörthにも行ってきた。街の入り口の広場では、マイバウムの設置を祝う踊りが繰り広げられていた。
左に見えるのが城門。
マイバウムは、バイエルンでは白と青のストライプだけど、無彩色だった。
さっそく、カツテはドナウで漁業を営んでいた漁師の家であった郷土資料館を訪問する。展示内容は、まぁ、退屈だったんだけど、そこで説明してあったビーダーマイヤーの起源が面白かった。実は、この言葉、架空のビーダーマイヤーという学校教師の名前であったらしく、ミュンヘンで発行されていた新聞に連載されていたギャグマンがみたいなものだったらしい。それが転じて市民文化を表すものとなり、ひいてはウィーン文化の一時代を表す言葉になったんだそうな。
品の良さそうな初老の女性に色々教えてもらったんだけど、この街、戦争で80パーセントぐらい破壊されたらしく、現在の建物群はかなり新しいとのこと。なるほど、そういわれてみれば、都市壁内の建物には、あんまり魅力を感じない。
この街にくると、自分は必ず足を運んでしまい、日本人観光客は絶対に来ないだろうと思われるのが、この建物。かつては兵舎に使われたり、ペストハウスに使われたらしい、ほそながーい建物。左側にあるのが、かつての都市壁。奥にちょこんと見える塔が最高。現在は住宅として使われている。ここで、このパースをスケッチしていたら、住人のばあちゃんたちが、こんなとこスケッチして何が面白いのかしら、とヒソヒソ話しているのが聞こえる。昼からビールを飲んでるニイチャンにオッスと声を掛けられる。そして横を通り過ぎていく住人が、改めてそんなに面白いものなのか?と、自分がスケッチしている方向をシゲシゲと目をパチクリさせながら凝視する。
しかし、この街の素晴らしさは、この街を取り囲むプロムナードにある、と言い切ってしまおう。この素晴らしきプロムナードは南側と北側に二本あり、これも戦後の荒廃から立ち上がってきた段階で計画されたものだろう。しかし、この素晴らしさはなんなんだろう。
なぜ、ドイツ人にできて、日本人にはこれが出来ないんだ??日本の都市では、市民に開放できるような土地を、国、県、市が所有していないとでもいうのだろうか?
北側のプロムナードの終点には公園があり、子供で賑わっていた。この場所で遊ぶためだけにでも、自分の子供たちを連れて、この街へ来てもいいな、と思わせてくれた。
都市の中に、本当の意味での憩いの場を作り出すこと、建物密集度の非常に高い旧市街部分と、都市壁跡地を利用したプロムナード、そのコントラストは非常に強いが、このコンビネーションは非常にうまい。自然と共生してきた日本人ならもっとうまいことできるんじゃないか、そんな期待を込めて、新たな都市づくりに精進している人たちに頑張っていただきたい。
というか人事ではなくて、いつか、自分が今、ミュンヘンにて修練している都市建築の知識を、日本にてフル活用したいものだ。どこかにチャンスはないものか、日々虎視眈々と狙っているのである。
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