クレンツェは、北のシンケル、南のクレンツェと比較されることの多い、ミュンヘンの誇る新古典主義の建築家である。ミュンヘンでは代表的な建築として、ケーニヒスプラッツにあるグリプトテークやプロピレーンがあり、ルートビッヒシュトラーセに面して多くの建物を設計している。ルートビッヒI世に重用されたので、ミュンヘン旧市街周辺部の都市計画にも貢献し、現在の都市景観に大きな影響を与えた。
しかし、そんなお題目とは裏腹に、実際に目にする建築は正直にいって退屈である。なにがよろしいのか、素人目には皆目見当もつかないだろう。その理由の一つに、戦災による破壊があるだろう。ミュンヘンの建物の多くが第二次世界大戦で爆撃され、多くが再建されたものであるが、グリプトテークのように、昔年の面影をあまり残さないものが多い。グリプトテークの修築はミュンヘン工科大学の教授であったヴィーデマンという建築家が行った。彼の建築もいくつか見学したが、いささか実直にすぎる嫌いがあり、あまり好きではない。戦後復興時に活躍した建築家は他にもデルガストなどが著名だが、おそらく物資の不足などにより、多分に実直すぎる。
そんな理由から今回もあまり期待せず、どちらかというとインゴルシュタットの見学を遠出のメインの目的に据えていた。
インゴルシュタットでローカル線に乗り換えしばらく進むと、濃霧に包まれた。電車を降りバスに乗り換え約20分。終点から更に約20分ほど歩かなければならない。そして目的のベフライウングスハッレは、濃霧の中、丘の山頂にドシンと建っていた。
ベフライウングスハッレとは、解放記念塔とでも訳すべきか、ハッレとは元来ホール、講堂のような大きな空間を指すが、日本語に訳すと塔という、外観重視の言葉に変換したくなってしまうので不思議だ。何から解放されたのかというと、ナポレオンの支配からである。ホールの床の真ん中には、こう記されている。
「我々ドイツ人は、解放戦争と勝利のために犠牲となったものを、決して忘れることはないだろう」
そして、この床に刻まれた文章から放射状に四方へ、そして天高く、内部空間は延びている。
霧の中のベフライウングスハッレ
この建物は、最初ルートビッヒI世がゲルトナーという、ミュンヘンにおけるクレンツェのライバル建築家に依頼したものであった。しかし、ゲルトナーの突然の死によってクレンツェに委託された。当時、ゲルトナーの設計は既に終了し、基壇の工事が既に始まっていた。ゲルトナーの設計からの変更は、クレンツェの裁量に任された。
その後、クレンツェは幾つかのアイデアを描いている。一つはパンテオンをモデルにしたものだが、現在の外観に比べると冗長な印象を与える。そもそも、パンテオンは訪問してみるとわかるが、ドームとしての外観はあまり意味がない。正面ポルティコに面した建物前広場は素晴らしいが、建物の裏側に回ってみると誰も見向きもしないような残念なファサードだ。従って、このアイディアが実行されなくてとても良かったと思う。
パンテオン裏側
そして完成したベフライウングスハッレは圧倒的だ。何が圧倒的かというと、記念建造物として圧倒的に純粋だ。まず、小高い丘の上に建っているが、その丘のふもとに街があり、丘の中腹には木が茂っている。そして、半島のように突き出した丘の上に、ドシンとこの建物がたっている。そして、基壇の上に建つ塔の中に足を踏み入れると、円形のホールが広がり、床の中央には、例のテキスト。そこからまっすぐドームの円蓋へ、そして空へとただひたすら突き抜ける空間。それだけしかない。この建物には、本当にそれだけしかない。トイレさえもない。
ホールの内部は上方に向かって幾つかに区切られているが、壁は360度、一層目のエントランス部分以外は完璧に同じリズムを刻む。
建築家の目には、列柱の並ぶポルティコが、内部空間に小気味良い陰影を与え好感が持てる。これは、ルイス・カーンの二重ファサードを連想させる。
これまで、いくつものドーム建築を見てきた。パンテオンのドームは質素で素晴らしかった。フィレンツェのドーム(ブルネレスキ設計)はガチャガチャしすぎていて、なんだかわからなかった。テンピエット(ブラマンテ設計)の小ぶりだが底抜けの青空色は宇宙を感じさせた。アッレ・クアトロ・フォンターネ(ボッロミーニ設計)(http://cityraintree.blogspot.de/2010/09/s-carlo-alle-quatro-fontane.html)やサンテリジオ・デグリ・オレフィチ(ラファエロ設計)(http://cityraintree.blogspot.de/2010/09/s-eligio-degli-orefici.html)では、確かに天使の歌声を聴いた気がした。
ベルリンの、シンケルによる旧博物館のドームには正直かなり失望した。
回想してみると、有名な建築でもいいものから悪いものまでピンきりだが、しかし、クレンツェのこのドームは圧倒的じゃないか。。
建築に打ちのめされるという経験はあまりないことだが、今回は完敗だ。クレンツェはすごかった。こんなもの、どう頑張ってもつくれん。。。
テンピエット天蓋
旧博物館 ベルリン
その後、インゴルシュタットを訪問したが、月曜日ということもあり、ほぼ全ての博物館、美術館が休館。30年戦争の際に、カトリックの側でグスタフ・アドルフと戦い、この街で命を落としたティリーの亡くなった家はかわいかったが、その斜め向かいにあるアザム兄弟の教会が見れなかったのはとても残念だった。
ちなみに、この街はアウディー以外にも、小説の中で、フランケンシュタインが造られた設定の街で、そういったイベントも行われているそうだ。
仕方がないので、街で一番グーグル評価の高いケーキ屋でビーネンシュティッヒを買って帰宅した。
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