昨年の年末は、ハイデルベルクとシュペイヤーという小さな街の近郊に住む知人宅に宿泊してきた。沢山話をして、沢山食べた年末だった。
シュペイヤーという街の近郊には、妻の友人とその夫が住んでいる。かつて長男君がまだバギーで寝るようなベイビーだったころに、その二人が結婚し、結婚式に招待された。当時はシュペイヤーという街のことなど知らず、また、そのドームの歴史的な重要性など、露もわからなかった。二人はシュペイヤーのメイン通りに面する教会で結婚式を挙げた。
「二人は永遠の愛を誓いますか?」
と祭壇で祭祀が二人に問いかける。すると、突然、バギーで寝ていたはずの息子が、大きな声で明瞭に
「ナイン!(いいえ)」
と声を挙げた。びっくりしてバギーを覗き込むと、彼は熟睡中である。そもそも、当時の彼が、宣誓の言葉など理解していたとも思えない。ただの偶然だったとはいえ、このことは、僕達家族の語り草になっている。
その友人夫婦にも娘が産まれ、我が家の次男と一歳違い。彼らと、シュペイヤーのメイン通りに並ぶクリスマスマーケット沿い(シュペイヤーでは、クリスマスが過ぎても年末までマーケットが開かれている)をブラブラ歩いていると、友人が、
「この教会で結婚式を挙げたんだよ!」
と言った。ああ、ここだったんだなぁ、と当時の記憶が鮮明に思い出されてきた。
ところで、シュペイヤーのドームである。戦争で破壊されて再建されたと勝手に思い込んでいたが、さにあらず。また、隣接する教会宝物博物館でも詳しく解説されているが、増築を繰り返しての現在の威容である。とにかくでかい。これが11世紀ごろから建築され始めていたんだから、そのスケールの大きさが人々に与えた印象も強烈なものがあっただろう。
ここで、僕は二人の歴史的人物の墓を見た。
一人目は、ハインリッヒ4世。カノッサでの屈辱を味わった、あの皇帝である。ザーリア朝では叙任権闘争が激しく争われたそうだが、グレゴリウス7世との破門の応酬、そしてカノッサで3日間も裸足で許しを願った(本当かよ?)その屈辱を思った。一度は教皇の前にひざまずいた王権は、その後、次第に伸張し、やがて強大な王政へと成長する。ハインリッヒ4世を思うとき、時のおおきなうねりのようなものを感じえざるを得ない。
二人目はハプスブルグのルドルフ一世。皇帝墓所の入口に、彼の立像が立っている。王はハプスブルグ特有の長い鼻と憂鬱そうに眉をしかめた面持ちで、墓所前のホールの虚空を眺めている。
長身痩躯とその面持ちとは対照的に、非常に戦闘能力に優れ、機転の利く人物であったらしい。突然転がり込んできた皇帝という座を活用し、宿敵オットカーを打ち破り、ボヘミアの地を手に入れた。これを契機として神聖ローマ帝国皇帝を多数排出したハプスブルグ家の地盤がオーストリアの地になったという。
皇帝墓所は、砂岩の茶褐色が美しい空間でもある。柱の配列、柱を繋ぐアーチ、アーチの二色の砂岩の交互の組み合わせが、ここちよいリズムを与えている。巨大建造物の地下にあることを忘れさせるような高い天井も、この空間を素晴らしいものにしている要素の一つだろう。
そういえば、皇帝のReichsapfel、宝珠の本物もドーム宝物館で見た。Apfelはドイツ語ではリンゴ。つまり直訳すると帝国のリンゴ。球形は地球を表すといわれているようだけど、僕的にはリンゴのほうが面白い。イブが食べた知恵の実を連想させるし、なんと言っても、仮面ライダーガイムが手に入れた黄金のリンゴを彷彿とさせるので、息子君たちにも、そのほうが断然受けがいいだろうなって思う。Reichsapfelはハインリッヒ2世が史実では最初に所有していた、とどこかに書いてあった記憶がある。彼の墓所があるバンベルクを訪れたときには、そのことに気がつかなかった。また今度、バンベルクに行って確認しなければなるまい。。。。
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