2013年4月28日日曜日

ミュンヘンのシンケル展、見てきました。

今日、ミュンヘンのフリードリッヒ・シンケル展、友人に勧められていたので、ミュンヘン建築同盟の盟友でもある松永君をそそのかして見て来た。

建築素人の方のために、短く解説を。フリードリッヒ・シンケルは、ゲーテよりもちょっと遅れた時代に生きた新古典建築の、ドイツが誇る巨匠である。プロイセン王家のお抱え建築家として彼の設計した多くの建物を抜きにして、現在のベルリンを語ることはできない。

http://www.hypo-kunsthalle.de/newweb/schinkel.html

ポスターに使われているのは、シンケルのデザインした魔笛の舞台セットらしく、現在でもこの舞台が使われているんだそう。

展示会の前半部、イタリア旅行から帰ってきたシンケルは仕事に恵まれなかったため、生活の糧としてデザインした舞台セットの透視図が展示されている。この頃から、ディテールまで細緻に書き込む、その画力に驚異を覚える。その印象が強く、それ以降の彼の実現させた作品までが、このディテールの延長にあるように思われ、舞台セットにように、非現実的なものとして映ってしまう。

その後、1820年代に設計した作品群が並んでいる場所がある。設計されたものはゴシックスタイルを採用しているため、自分がシンケルに対して持っていたイメージとかけ離れているものを感じた。ただ、このシンケルのネオ・ゴシックは面白い。通常、ゴシックというと、空を突く尖塔にも重々しく、反重力的志向を感じる、その壁の襞も、重力を織り込んだような威圧感を感じるのだが、シンケルのネオ・ゴシックは、真逆。通常のゴシックよりも多くの線で構成され、建物の全体は、その要素の多くが、線へと変換されてしまい、そのまま空に飛び立っていきそうな軽さを見せている。



1820年代、シンケルは工業化の進んだイギリスに視察に赴き、構造的合理性に目覚める。この点について、ほとんど展覧会では触れられていなかったのが、残念だった。ところで、シンケルは、これ以降、積極的に様々な建築スタイルを取り入れ、独自の世界観を築いていく。
それは、ハドリアヌス帝のビラを連想させるようなコラージュシティーが、様式までをもコラージュさせて空間を爆発的に占有していくようなイメージを抱かせる。

自分が一番面白かったのは、やっぱり空間のトリックというか、内部と外部の反転だった。自分がフィレンツェにて一番好きな空間は、ヴァザーリの設計したウフィツィ美術館前の広場、ガレリア・デグリ・ウフィツィなのだが、これがもろに内部と外部の反転した空間となっている。そして、シンケルがイタリア旅行をした際にしたスケッチの中にもそういったものが含まれていて、あ、これは例のウフィツィ前広場に似ているな、とちょっと思った。で、例のベルリン、アルテ・ムゼウムのエントランスから、ドームへと至るホール、これ、囲い込まれた外部にしか見えない。この、ある意味外部空間と化した内部から、外部空間を眺めるという仕掛けが、自分のような偏屈ものにはたまらなくかっこよく見える。


(以下も参照していただきたい)
http://cityraintree.blogspot.de/2012/05/blog-post_29.html

この仕掛け、もう一つ、バイエルンはヴィッテルスバッハ家からギリシャの王となったオットーのために、アテネの丘の上に設計した建物群の中の、一つのパースペクティブにも見出すことが出来る。これは面白かった。


シンケルは、ドームの天井に星をちりばめたようなイメージの舞台デザインや絵画を残しているが、この世界を取り込む内部空間というイメージは常に持ち続けていたのではないだろうか。

シンケルという男、か・な・りユニバーサルであると感じた展覧会だった。



展覧会自体は、絵画が中心だったので、建築家には物足りない気もしたのですが、それは気がするだけかもしれませぬ。

追記:見る前から思っていて、そして、見たあとにも感じるのですが、どーにも、新古典主義など、新何とか様式というのは好きになれません。

2013年4月19日金曜日

秋野不矩美術館

浜北にある、藤森先生設計の秋野不矩美術館へ行ってきました。

強烈に感じたのは、空間というよりも、触感の建築ということでした。いままで体験したことのない建築でした。

視覚的インパクトを与えるシーンというのは幾つかあります。それは、駐車場から登っていくときに丘の上に見える袴をはいたかのようににょっきり生えている建物、そして、エントランスからしばらくいると現れる木組みの構造体のあるホール。




しかし、個人的にもっと面白かったのは、靴を脱いであがること、そうすることによって、建築と直に接する足裏から、何物かが伝わってくる、そしてそれは、作家秋野不矩の捉えた生命の根源にようなものに触れているような気がしたことです。
その感覚を惹起する床のマテリアルとは、藁が混入された土(?)床であったり、籐ゴザであったり、大きなフォーマットの大理石であったりするわけです。中でも、大理石の床に関してはもう尋常ではなく、その大きさ、小口のはつり、そして目地幅の大きさ、表面のざらつき、色などにより、日常の感覚を吹き飛ばし、縄文魂に揺さぶりをかけてきます。そして、その揺さぶりや、視覚や全てのものが、何故か触覚として体に浸みてくるのです。


展示室は写真が不可だったので、お見せすることは出来ませんが、新東名浜北インターから車で10分もかからないところにあるので、是非体験してきてください。

http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/akinofuku/

常滑

名古屋セントレアに近接してある焼き物の里、常滑にはいつか行ってやろうと目論んでいたのだが、今回実現することができた。

車中、眠り込んでしまった息子の寝起きの悪さには手を焼いたけど、結局みたらし団子を食べて機嫌を直し、お店のおっちゃんを質問攻めにしたり、ママに隠れてコーラを飲んだときの嬉しそうな顔を思い出すとホクホクしてしまう。

みたらし前

みたらし後
コーラは自分が持つと飲んだことがばれてしまうという息子の意見により、じいちゃんに渡す。これを秘密にしておくという男と男の約束を反古にしたパパを許して欲しい。

常滑では、息子の機嫌取りに時間を割かれたため陶器を買うことはできなかったが、丘を取り囲むような集落の全体に非常に魅力を感じた。地域の特産物である陶器が建築的エレメントとして現れることは沿道に埋め込まれているオブジェクト以外にはほぼないといってもいいが(瓦もここでは生産していないのではないか?)、焼き物を生産するための装置であるレンガ造りの窯の煙突が、使われているものから使われていないものまで偏在しており、ある種、サンジミニアーノやレーゲンスブルクの塔を連想させる。これらに重ねあわされるように、木造で瓦葺の家屋が織り込まれたように斜面に重層する景観は素晴らしく、後世へと引き継いでいっていただきたい遺産である。



吉田五十八 岸信介自邸

この住宅、元日本国首相、岸信介自邸を訪問して、建築以外の点で驚いたことが幾つもある。
まず、御殿場にあることにそもそも驚いた、というのは、自分の母校御殿場南高等学校に非常に近いからだ。岸元首相は、別荘としてではなく、この住宅に住み、毎日東京へ東名で通うという生活をしていたらしい。一体、どんな生活スタイルなんだよ、それは。そんなことができるなんて考えたこともなかった。
そして、岸元首相の親族関係。松岡洋右や吉田茂は親戚、佐藤栄作は兄弟、現在首相、安倍晋三も親族である。

一方、建築家の吉田五十八。大田胃散の創業者の息子で、創業者58歳のときに生まれたので、いそやと名づけられる。
そう、この住宅は、いわゆる坊ちゃんたちの花の饗宴なのだ。これらのことが、ある種の驚愕として自分の目には映った。


現在は、入館料300円で、通常は一階のみ見学可、写真は壁面に飾られている絵画などを除けばほとんど撮影可。

設計者は、首相を退任していたとはいえ政治家の家なので、いつ政治的交渉の場となるかわからず、そのことを念頭において、エントランスから居間スペースまでの公の場の構成を考えたという。

この住宅の特色は、部屋毎の個性が明瞭なこと、そしてこのことから生じる、シークエンスの多様性にある。加えて、このシークエンスは、パブリックとプライベートという二つのグループに明快に分節されている。
一方、個々の部屋に着目すると、構成要素が減らされ、非常にすっきりした印象を与えている。いわば、パブリックとプライベートを織り成す二つのぶどうの房が家で、敷地の真ん中にどん、と置かれ、玄関のあるアクセス空間と静寂につつまれた庭空間を明瞭に分断している。個々のぶどうの粒は庭との関係性によって形作られている。

パブリック空間を織り成す個々のぶどうの粒について見ていこう。
茶室のデザインでは、特に鴨居周辺に意匠の工夫が集中している。


庭に面する居間と食堂は、庭まえのタタキ空間との高低差が少ないので庭と連続しており、たたきが一種のテラス空間となるため、居間に滞在している間、非常に安定した印象を与えた。

 
天井の横木などの荒々しさが妙に癪に障ったが、これが庭や壁の繊細さと対応してコントラストを生み出しているような気もしないではない。

それにしても押し込み窓の掃きだしレールの厚さにはたまげる。スチール製なので脆弱感を与える。でも破損していないので、強度はあるのだろう。


居間にある、庭に面した一人がけのソファー、そして食堂の窓を全開すると現れる開口部に縁取られた庭の景色に、この住宅の創意が結晶化しているのを感じた。

 
 
自分の母は建築とは関わりのない一般人なので、岸邸?なんの変哲もないただの住宅よ、とおっしゃった。ここでガイドをしていたボランティアのおじいさんも、最初にこの住宅を見たときには、何が特別なのか、わからなかったという。個人的には、実家に帰ったときには、毎回ここに来ようと思わせてくれる、クオリティーの高さに感銘を覚え、そういった視点で見学することができる建築家という職能についたことに喜びを覚えた。

2013年4月18日木曜日

日本に育児休暇で帰国していました

日本に約一ヶ月ほど、育児休暇で帰国してきました。
子供たちと過ごした日々は本当に素敵でした。

長男はといえば、すっかり戦隊もののとりこになってしまい、ガチャガチャ漬け、自動販売機のジュース漬けの日々を送っている。ドイツに帰ってきたら叩きなおさねばナルマイ。親族ともすっかり仲良くなってしまい、愛されキャラを確立しつつある。
次男は一人で座ることができるようになり、たまにあげる唸り声や奇声に笑わされた。今はやっているという「こびとずかん」のかくれももじりに似ていると爆笑され、なるほどそのイラストを見てみると似ている。

ところで、建築・文化的収穫はというと、以下になります。

吉田五十八による岸信介邸 見学
藤森照信先生による秋野不矩美術館 見学
常滑 訪問
岡崎 訪問
多治見 陶器マーケット訪問
豊川稲荷周辺 探索
東海道 赤坂・御油宿跡 散歩
魚々ランドにて、木の観察

その他、義父に、常滑や浜北へ連れて行ってもらう道中、農作物や車の工場のことを教えてもらい、非常に面白かった。そして、知多半島から岐阜にかけての一帯に非常に愛着が湧いてきた。道中感銘を受けたのは、茶畑の美しさ、砂地の玉葱畑、磐田市と浜松市の工業についてなどだ。豊川でのシジミとりの風景も綺麗だった。

今まであった都市への興味が薄れて、中部地方の産業や工業のあり方に興味が湧いてきたのが今回の帰省だった。