今日、ミュンヘンのフリードリッヒ・シンケル展、友人に勧められていたので、ミュンヘン建築同盟の盟友でもある松永君をそそのかして見て来た。
建築素人の方のために、短く解説を。フリードリッヒ・シンケルは、ゲーテよりもちょっと遅れた時代に生きた新古典建築の、ドイツが誇る巨匠である。プロイセン王家のお抱え建築家として彼の設計した多くの建物を抜きにして、現在のベルリンを語ることはできない。
http://www.hypo-kunsthalle.de/newweb/schinkel.html
ポスターに使われているのは、シンケルのデザインした魔笛の舞台セットらしく、現在でもこの舞台が使われているんだそう。
展示会の前半部、イタリア旅行から帰ってきたシンケルは仕事に恵まれなかったため、生活の糧としてデザインした舞台セットの透視図が展示されている。この頃から、ディテールまで細緻に書き込む、その画力に驚異を覚える。その印象が強く、それ以降の彼の実現させた作品までが、このディテールの延長にあるように思われ、舞台セットにように、非現実的なものとして映ってしまう。
その後、1820年代に設計した作品群が並んでいる場所がある。設計されたものはゴシックスタイルを採用しているため、自分がシンケルに対して持っていたイメージとかけ離れているものを感じた。ただ、このシンケルのネオ・ゴシックは面白い。通常、ゴシックというと、空を突く尖塔にも重々しく、反重力的志向を感じる、その壁の襞も、重力を織り込んだような威圧感を感じるのだが、シンケルのネオ・ゴシックは、真逆。通常のゴシックよりも多くの線で構成され、建物の全体は、その要素の多くが、線へと変換されてしまい、そのまま空に飛び立っていきそうな軽さを見せている。
1820年代、シンケルは工業化の進んだイギリスに視察に赴き、構造的合理性に目覚める。この点について、ほとんど展覧会では触れられていなかったのが、残念だった。ところで、シンケルは、これ以降、積極的に様々な建築スタイルを取り入れ、独自の世界観を築いていく。
それは、ハドリアヌス帝のビラを連想させるようなコラージュシティーが、様式までをもコラージュさせて空間を爆発的に占有していくようなイメージを抱かせる。
自分が一番面白かったのは、やっぱり空間のトリックというか、内部と外部の反転だった。自分がフィレンツェにて一番好きな空間は、ヴァザーリの設計したウフィツィ美術館前の広場、ガレリア・デグリ・ウフィツィなのだが、これがもろに内部と外部の反転した空間となっている。そして、シンケルがイタリア旅行をした際にしたスケッチの中にもそういったものが含まれていて、あ、これは例のウフィツィ前広場に似ているな、とちょっと思った。で、例のベルリン、アルテ・ムゼウムのエントランスから、ドームへと至るホール、これ、囲い込まれた外部にしか見えない。この、ある意味外部空間と化した内部から、外部空間を眺めるという仕掛けが、自分のような偏屈ものにはたまらなくかっこよく見える。
(以下も参照していただきたい)
http://cityraintree.blogspot.de/2012/05/blog-post_29.html
この仕掛け、もう一つ、バイエルンはヴィッテルスバッハ家からギリシャの王となったオットーのために、アテネの丘の上に設計した建物群の中の、一つのパースペクティブにも見出すことが出来る。これは面白かった。
シンケルは、ドームの天井に星をちりばめたようなイメージの舞台デザインや絵画を残しているが、この世界を取り込む内部空間というイメージは常に持ち続けていたのではないだろうか。
シンケルという男、か・な・りユニバーサルであると感じた展覧会だった。
展覧会自体は、絵画が中心だったので、建築家には物足りない気もしたのですが、それは気がするだけかもしれませぬ。
追記:見る前から思っていて、そして、見たあとにも感じるのですが、どーにも、新古典主義など、新何とか様式というのは好きになれません。
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