2013年7月30日火曜日

IBA Hamburg 04 ハンブルグ;気候変動と都市

都市の成長と持続可能性を両立できるか。第三のスローガンとして、環境に配慮した都市像を提示することを目的とする。

気候変動には二酸化炭素の増加が大きく影響している。そして、二酸化炭素の多くは、都市から発生している。しかし、自分の首を絞めるようだが、多くの都市は沿岸部に位置し、気候変動に伴う海面上昇の影響を被ることになる。
二酸化炭素発生源の主原因たる都市そのものを作り変れば、気候変動の進行を減速することができる。エネルギー供給源の変換。化石エネルギーから再生可能エネルギーへ。

一番効率の良いエネルギーの供給方法とは、エネルギーの消費される場でエネルギーを創出することだ。従って、IBAでは自らがエネルギーを創出することのできる建物が計画される。

効率重視の新築物件、改築物件、そして再生可能エネルギーの創出は、2013年までにビルヘルムブルグで、実現される。それらのビジョンを通じて、気候に負荷を与えない大都市建設のリアリティーが示される。



原発に頼らない都市の創出には、もってこいのモデルではなかろうか?その割にはあまりハンブルグIBAについて日本で話題になっていないような気もするのだけど、浦島状態なだけなのかもしれない。
最近は、垂れ流しの放射能物質や、三号機の水蒸気について再度、注目が集まっているようだ。富士山の活動も本気で不安である。
一方、これらを本気で不安だ、という私のような弱輩者を尻目に、ほぼ、99パーセントの人々が、そんなの大丈夫でしょ、という。せっかくドイツにいるのにわざわざ日本に帰って、伊豆半島で海水浴をして、そんなの大丈夫に決まっているじゃんというドイツ人までいる。今日、汚染物質の流失マップを見たら、決して100パーセント大丈夫とはいえないくらい汚染が広まっている。
そんなの大丈夫だよ、と鼻で笑うのは、こういった危険がほぼ確実に過ぎ去ってからにしてもらいたい。

先日、アウグスブルグを訪問したときに、やけに工事しまくっているな、と思ったのだけど、どうやら都市を挙げての大改造に踏み切っているらしい。そもそも、それを断行することのできる経済力があることに驚きを覚える。

http://www.projekt-augsburg-city.de/

また、機会があれば、ハンブルグIBAと平行して、アウグスブルクの都市改造についても書いていきたい。

博士論文

今日、図書館に納める博士論文の印刷物ができあがりました。
両面印刷してA5サイズにしたら、かなりコンパクトでかわいらしい小冊子になりました。
オンラインでPDFデータもアップしました。
あとは、Promotionamtへ行って、提出するだけです。

うれしい。

 


2013年7月26日金曜日

IBA Hamburg 03 ハンブルグ;メトロゾーン

暑いったらありゃしない。夏がいつまでも来ないなぁ、と嘆いていた6月を過ぎ、7月の後半は、ほとんど雨の降らない日々が続いている。軒先に吊しっぱなしの七夕の短冊のせいかなぁ、なんて考えたりする。どこか、川原で燃やして、願い事が確実に神様に届くようにしようね、と息子と約束してあるんだけど、なかなか川原に行く機会がない。週末は暑いので、人口湖に泳ぎに行こうと考えている。だから、またちょっと先の話になるかもしれない。

ところで、ハンブルグのIBA,今回は、3つのテーマである内の二つ目、メトロゾーンについて。

都市の境界部分にはどのような可能性があるのだろうか?
フムフム、なんだか、自分のドク論のテーマにも似た響きを持っているので、興味があるテーマ。そもそも、自分が都市の境界に興味を持ったのは、この境界部分は一番建築的せめぎあいが起こる部分ではないか、そこでは、都市建築とはなにか、それを明確化できるようなダイナミズムがあるのではないだろか、そう考えたからであった。

ハンブルグでは、港町特有の、コンテナーの積まれた荷物置き場、居住区、そして、ドックなどが混在しており、混沌としているが、そこに新たな都市空間出現の可能性があるのではないだろうか、というのが主旨である。
また、エルベ川の中州に位置するIBAの計画敷地は周辺地域とは水路により明確に分断されていて、それはヨーロッパ都市の中でも稀有な例である。しかし、緑、水が豊富であり、都市と自然が融合するような可能性を持ったこのような土地も、稀有なのではないか。
この場所で、エネルギー効率に配慮した新しい都市の出現を目指す。

ミュンヘンでも、リームという、東に位置し、メッセもある場所で、開発が進んでいる。丁度、メッセの前にある、旧飛行場後で、大規模な住居群の建設が始まるというニュースを最近どこかで目にした。ここも随分な都市の境界であり、広大な敷地が広がる。
週末は、ここに住む友人の誕生日パーティーに招待されているので、楽しんできたい。
また、事務所では、開発の進む地域の隣にある、かつてのリームの中心地であった場所(旧リームと呼ばれている)に位置する住宅群の設計契約を結ぶことが出来るかどうかという段階にある。この計画、自分のデザインをどの程度まで活かすことが出来るか、まぁ、あんまり期待はしていないんだけど。自分が勤務している間に計画はある程度の段階まで進むのか、などなど、謎である。

2013年7月16日火曜日

IBA Hamburg 02 ハンブルグ

現在、ハンブルグで開催されいている International Bau Ausstellung、国際建築展覧会についてはいつかコメントを書こうと考えていたが、忙しさにかまけて、今まで書いてこなかった。
これkから少しずつまとめていこうと思う。

まず、2013年現在、ハンブルグで開催されているIBAのテーマについて。
3つが大きなテーマとなっている。それは以下の三つ。

コスモポリス
メトロゾーン
気候変動と都市

今回は、コスモポリスについて概要を見る。

いかに、国際化する都市社会はその力を発揮することができるか。コスモポリスというキーワードの元に、IBAハンブルグでは、大都市における社会のありかたを問う。
エルべ川の島、35キロ平方メートルの敷地に、100以上の異なる国家が集う。そこでは、いかに社会的、文化的障壁を乗り越えることが出来るのか、都市建築、建物、加えて、教育、文化、ローカル経済の推進などの手段によって試みられる。

多様性はチャンスを広げる
この場では、多種多様な相乗効果によって社会的革新が生み出される。新しいアイデア、新しい商品、トレンド、新しい生活。
様々な文化と階層が、どのような都市的感覚を醸成させることができるか。国際的な都市社会の空間を形成することができるか、ということを示す実験の場となる。

大都市とは、つまり世界都市のことである
港湾都市とIBAの会場となるこのこのハーブルクとの間に、世界都市としてのポテンシャルを活用し、発展させる。これらは、また、他の大都市のモデルともなる。
建築プロジェクトによって、社会的、文化的プログラムを実施することによって、ここには21世紀の国際的都市社会の都市空間が発生する。

2013年7月5日金曜日

ハインリッヒ テッセナウ ・ ヘレラウ祝祭劇場

ミュンヘン・リームに位置する集合住宅の計画について、あとからあとから、ボスが資料を持ってくるので、既に頭がパンク状態に陥っている。そして、この資料に目を通したからといって、それとは全く関係のないデザインに納まるというのが常なのである。

そんな中で、ハインリッヒ・テッセナウの作品集を手渡された。思い返せば、ミュンヘンにて初めて勤務した事務所では、ほぼ理解できないドイツ語環境の中で、ドイツでの始めての田園都市計画であるドレスデン近郊のヘレラウの劇場改修計画に関わっていた。この劇場を設計したのが、他ならぬテッセナウである。当時は、言葉ができない代わりといってはなんだが、この劇場のとんでもなく大きい模型、1,5メーター×1メーター、高さ約50センチほどの模型を、なんと一ヶ月かけて作るという仕事を捻出してもらい、屋根のトラスなども一本一本、組み立てていった。結果、素晴らしい模型が出来上がったのだが、随分贅沢な仕事だったと思う。

これが一ヶ月かけたモデル

テッセナウは、ミュンヘンのユーゲント・シュティルの第一人者であるマルティン・デュルファーの元で修行し、大学の助手も勤める傍ら、テオドア・フィッシャーやムテジウス、リーマーシュミットなど、ドイツ工作連盟の顔ぶれが揃うヘレラウの計画に参画していった。
この作品集に納められているパース群の素晴らしさには舌を巻くが、計画に着目すると、本当にかつてあったであろう古き良き時代が体現されているように見える。現在は、この祝祭劇場は、フォーサイス・ダンスカンパニーの拠点になっていると記憶しているがどうなのだろうか。
テッセナウのジードルングの計画には、建物ボリュームのわずかなズレや、アンゥインの手法を継承した袋小路を中心とした住居のまとまりなどを見ることが出来るが、直接アンウィンの元で修行したエルンスト・マイのような斬新さはあまり見られないように見受けられた。

ところで、現在の計画のキーワードは、緩やかな接続。パターンランゲージに網羅されているような部分を結合させて、住居群をゆるやかにまとめていく、というようなイメージ。ケビン・リンチのグレインの考え方からグループ・フォームへとそのコンセプトを発展させた、槙先生の群の造形に非常に近い考え方なのではないか、と思う。

2013年7月1日月曜日

講演会・震災復興に向けて 6月27日、LMUにて

6月27日に、ミュンヘンのLM大学にて、東京工業大学准教授の真野さん、建築家の西田さんが、この講演会だけのためにミュンヘンへいらっしゃり、震災復興について発表した。日独協会の浅野さんから通訳の打診を受けたこともあり、また、実際に通訳されたヴァルデンベルガーさんを紹介したこともあり、そしてもちろん興味があったこともあり、拝聴してきた。

お二人は、石巻市での活動を中心に講演をされた。石巻での活動は、住民を巻き込んで、これは実現できたら非常に楽しいし、日本の街興しはこうあるべきだ、と以前から述べられていたようなことが、被災した場で、住民たちの活力とともに実現されていると感じた。
今回被災した東北のおおくの地域では、現在問題となっているような中心の空洞化などは、すでに震災以前からの問題であった。かつ、役所の都市計画は非常に紋切り型で、土地区画整理や災害危険地区の策定など、これで本当に街が再生を果たし、さらに活気を取り戻すことが出来るのか疑問である。それだったら民間ベースの計画から底上げし、未来の街の姿を、自ずからの手でイメージしようじゃないか、そういうことがテーマだった。
講演後、建築家の西田さんと少々話す機会を得、これらの活動、そして計画の組織化は、どのようになっているのか、そしてそれらを夢で終わらせるのではなく、逆に効力のある公のドキュメントとして、まとめられるのかどうか、聞くことが出来た。

個人的に思ったことは、こういった街づくりの手法が、復興という推進力がなくなったとき、すなわち、以前と同じレベルの街ができあがったその後、依然として継続されていくような、そういった組織造り(住民との協働による都市計画や、それこそ役所の都市計画課のありかた、もしくは都市計画家や建築家、イベンターとの協働)と推進力(これは産業と経済力だと思う)が実現されたら、被災地だけでなく、活力低下にあえぐおおくの日本の都市のモデルたりえるのではないか、ということだった。

その後、知り合い何人かとビールを飲みにいったんだが、えんえんと目的もなく迂回し、つまらない話をえんえんと聞かされ、挙句のはてにおごれだの、なんだの、一体何様なんだろう、と腹立たしく思った。

ところで、現在事務所で携わっているプロジェクトでは、ミュンヘン近郊の小部落の、ある大地主の所有する土地に集合住宅を設計している。あいかわらずボスのデザインには全く賛同できないのだが、バイエルンにおける街づくり組織の詳細を垣間見ることができるのは面白い。今回は、Planungsverbundという公的組織の役人が、当該敷地を含めた広域計画を作成し、緑地帯のネットワークを作り上げ、それを見たボスが、これがStädtebau(都市建築)だぜ!と気炎をあげている。個人的には、なるほど面白いが、目新しさはあまりない。ミュンヘンの旧市街周辺の、特にサルバドール広場からオデオンズプラッツに至る広場の連鎖を、自分も境界形成の手法として論じたことがあるが、それに酷似しており、それが識閾下から引きだされている(ように見える)ということは、バイエルンの都市計画の、伝統的手法なのかもしれない。閑話休題、この役人の図面がB-プランの下地になり、すでにこの段階で建築家を巻き込んでいるのだから、これはこれで良く出来た組織づくりだと思う。ちなみに、今回の計画は一つのケースであり、他にも色々なプロセスが考えられる、とのこと。

その他、フライジングでは、一つの建物をリノベーションするか、新築するかのスタディーを提出し、その際にコストを出したのだが、今回はコストの出し方、そしてそれは何に依拠しているのかなどを理解することができた。
こういった都市計画的プロジェクトとリノベーションが4つほど同時進行するので、時に痴呆のように幾つかのプロジェクトを混同することがある。これにコンペまで加わったらどうなってしまうんだろう。早く育児休暇に突入したいものだ。