6月27日に、ミュンヘンのLM大学にて、東京工業大学准教授の真野さん、建築家の西田さんが、この講演会だけのためにミュンヘンへいらっしゃり、震災復興について発表した。日独協会の浅野さんから通訳の打診を受けたこともあり、また、実際に通訳されたヴァルデンベルガーさんを紹介したこともあり、そしてもちろん興味があったこともあり、拝聴してきた。
お二人は、石巻市での活動を中心に講演をされた。石巻での活動は、住民を巻き込んで、これは実現できたら非常に楽しいし、日本の街興しはこうあるべきだ、と以前から述べられていたようなことが、被災した場で、住民たちの活力とともに実現されていると感じた。
今回被災した東北のおおくの地域では、現在問題となっているような中心の空洞化などは、すでに震災以前からの問題であった。かつ、役所の都市計画は非常に紋切り型で、土地区画整理や災害危険地区の策定など、これで本当に街が再生を果たし、さらに活気を取り戻すことが出来るのか疑問である。それだったら民間ベースの計画から底上げし、未来の街の姿を、自ずからの手でイメージしようじゃないか、そういうことがテーマだった。
講演後、建築家の西田さんと少々話す機会を得、これらの活動、そして計画の組織化は、どのようになっているのか、そしてそれらを夢で終わらせるのではなく、逆に効力のある公のドキュメントとして、まとめられるのかどうか、聞くことが出来た。
個人的に思ったことは、こういった街づくりの手法が、復興という推進力がなくなったとき、すなわち、以前と同じレベルの街ができあがったその後、依然として継続されていくような、そういった組織造り(住民との協働による都市計画や、それこそ役所の都市計画課のありかた、もしくは都市計画家や建築家、イベンターとの協働)と推進力(これは産業と経済力だと思う)が実現されたら、被災地だけでなく、活力低下にあえぐおおくの日本の都市のモデルたりえるのではないか、ということだった。
その後、知り合い何人かとビールを飲みにいったんだが、えんえんと目的もなく迂回し、つまらない話をえんえんと聞かされ、挙句のはてにおごれだの、なんだの、一体何様なんだろう、と腹立たしく思った。
ところで、現在事務所で携わっているプロジェクトでは、ミュンヘン近郊の小部落の、ある大地主の所有する土地に集合住宅を設計している。あいかわらずボスのデザインには全く賛同できないのだが、バイエルンにおける街づくり組織の詳細を垣間見ることができるのは面白い。今回は、Planungsverbundという公的組織の役人が、当該敷地を含めた広域計画を作成し、緑地帯のネットワークを作り上げ、それを見たボスが、これがStädtebau(都市建築)だぜ!と気炎をあげている。個人的には、なるほど面白いが、目新しさはあまりない。ミュンヘンの旧市街周辺の、特にサルバドール広場からオデオンズプラッツに至る広場の連鎖を、自分も境界形成の手法として論じたことがあるが、それに酷似しており、それが識閾下から引きだされている(ように見える)ということは、バイエルンの都市計画の、伝統的手法なのかもしれない。閑話休題、この役人の図面がB-プランの下地になり、すでにこの段階で建築家を巻き込んでいるのだから、これはこれで良く出来た組織づくりだと思う。ちなみに、今回の計画は一つのケースであり、他にも色々なプロセスが考えられる、とのこと。
その他、フライジングでは、一つの建物をリノベーションするか、新築するかのスタディーを提出し、その際にコストを出したのだが、今回はコストの出し方、そしてそれは何に依拠しているのかなどを理解することができた。
こういった都市計画的プロジェクトとリノベーションが4つほど同時進行するので、時に痴呆のように幾つかのプロジェクトを混同することがある。これにコンペまで加わったらどうなってしまうんだろう。早く育児休暇に突入したいものだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿