2019年8月10日土曜日

市民センターPEP1

ミュンヘン北東に位置する場所に、新たな集合住宅地の建設が急ピッチで進んでいることは、辻仁成さんのHP、デザインストーリーズで紹介させていただいたが、現在、ボクが取り組んでいるメインのプロジェクトは、その集合住宅地、プリンツ•オイゲン•パークのメインをなす建物だ。
この建物は市民センターで、この地域でも主要な役割を果たす建物である。
現在のメインテーマは、一階プランの変更、二階ホールの内観検討、そしてコスト計算である。
同時に、アルプス山麓に建つホテルの実施設計も進んでいる。一階にはオンセンエリアという、クア施設がある。しかし、敷地規模の変更などでプロジェクトはなかなか先へ進まない。せっかくほぼ終了したと思われていた地下駐車場の設計も、敷地規模の変更によって再度、設計に手を加えなければいけなそうな予感である。

今年のミュンヘンの夏は、暑かったり、寒かったり、ヘンな天候である。週末になると決まって曇天。湖に泳ぎに行きたい。

2019年6月14日金曜日

ポツダム都市計画 2


ポツダムの都市計画、中間発表も無事に終わった。
住棟は結局、8x8m、もしくは幅6,5m幅、奥行き12mのローハウス形式、加えて13mx13mの高層棟があり、それらが混在してコロニーを形成する案となった。
コロニーの中に消防車が入り込む隙間がないことが気になるが、とりあえずは興味を引くだろう
久しぶりのコンペで、プレゼンの準備が大変。すぐ慣れると思うけれど。

2019年6月2日日曜日

ポツダム都市計画 1

ベルリンとポツダムのほぼ中間地点に、かつてナチスによって田園都市として計画されたジードルングがあり、その再開発計画のコンペに、現在携わっている。
先日、所長から延々と周辺の状況や、幾つかのアイデアの説明を受け、とりあえず二つのアイデアに基づいて、建物の配置図を描くことになった。

既存の建物は戸建を主体として敷地の中に、幾つかの街路に沿って分散配置されている。
そして、コンペの大賞となっている敷地の隣には大規模な集合住宅群を主体として新しい街が建設される予定になっている。
一つのテーマとしては、この隣り合った大規模新市街とかつての田園都市をいかに繋ぎ合わせるような新しい提案をできるか。
そしてもう一つのテーマは、敷地周辺にある自然といかに接続していくか。
その二つの大きなテーマに、交通やら、日照やら、様々な要素が検討され重ね合わされて行く。

とりあえず、12メートル幅の住棟を所長のコンセプトに沿って配置してはみた。月曜日には、どちらの案がいいのか、意見を求められるだろう。さて、どうしたものか。

2019年1月6日日曜日

Speyer スペイヤー 王達の墓

昨年の年末は、ハイデルベルクとシュペイヤーという小さな街の近郊に住む知人宅に宿泊してきた。沢山話をして、沢山食べた年末だった。

シュペイヤーという街の近郊には、妻の友人とその夫が住んでいる。かつて長男君がまだバギーで寝るようなベイビーだったころに、その二人が結婚し、結婚式に招待された。当時はシュペイヤーという街のことなど知らず、また、そのドームの歴史的な重要性など、露もわからなかった。二人はシュペイヤーのメイン通りに面する教会で結婚式を挙げた。

「二人は永遠の愛を誓いますか?」
と祭壇で祭祀が二人に問いかける。すると、突然、バギーで寝ていたはずの息子が、大きな声で明瞭に
「ナイン!(いいえ)」
と声を挙げた。びっくりしてバギーを覗き込むと、彼は熟睡中である。そもそも、当時の彼が、宣誓の言葉など理解していたとも思えない。ただの偶然だったとはいえ、このことは、僕達家族の語り草になっている。

その友人夫婦にも娘が産まれ、我が家の次男と一歳違い。彼らと、シュペイヤーのメイン通りに並ぶクリスマスマーケット沿い(シュペイヤーでは、クリスマスが過ぎても年末までマーケットが開かれている)をブラブラ歩いていると、友人が、
「この教会で結婚式を挙げたんだよ!」
と言った。ああ、ここだったんだなぁ、と当時の記憶が鮮明に思い出されてきた。

ところで、シュペイヤーのドームである。戦争で破壊されて再建されたと勝手に思い込んでいたが、さにあらず。また、隣接する教会宝物博物館でも詳しく解説されているが、増築を繰り返しての現在の威容である。とにかくでかい。これが11世紀ごろから建築され始めていたんだから、そのスケールの大きさが人々に与えた印象も強烈なものがあっただろう。
ここで、僕は二人の歴史的人物の墓を見た。

一人目は、ハインリッヒ4世。カノッサでの屈辱を味わった、あの皇帝である。ザーリア朝では叙任権闘争が激しく争われたそうだが、グレゴリウス7世との破門の応酬、そしてカノッサで3日間も裸足で許しを願った(本当かよ?)その屈辱を思った。一度は教皇の前にひざまずいた王権は、その後、次第に伸張し、やがて強大な王政へと成長する。ハインリッヒ4世を思うとき、時のおおきなうねりのようなものを感じえざるを得ない。

二人目はハプスブルグのルドルフ一世。皇帝墓所の入口に、彼の立像が立っている。王はハプスブルグ特有の長い鼻と憂鬱そうに眉をしかめた面持ちで、墓所前のホールの虚空を眺めている。
長身痩躯とその面持ちとは対照的に、非常に戦闘能力に優れ、機転の利く人物であったらしい。突然転がり込んできた皇帝という座を活用し、宿敵オットカーを打ち破り、ボヘミアの地を手に入れた。これを契機として神聖ローマ帝国皇帝を多数排出したハプスブルグ家の地盤がオーストリアの地になったという。


皇帝墓所は、砂岩の茶褐色が美しい空間でもある。柱の配列、柱を繋ぐアーチ、アーチの二色の砂岩の交互の組み合わせが、ここちよいリズムを与えている。巨大建造物の地下にあることを忘れさせるような高い天井も、この空間を素晴らしいものにしている要素の一つだろう。


そういえば、皇帝のReichsapfel、宝珠の本物もドーム宝物館で見た。Apfelはドイツ語ではリンゴ。つまり直訳すると帝国のリンゴ。球形は地球を表すといわれているようだけど、僕的にはリンゴのほうが面白い。イブが食べた知恵の実を連想させるし、なんと言っても、仮面ライダーガイムが手に入れた黄金のリンゴを彷彿とさせるので、息子君たちにも、そのほうが断然受けがいいだろうなって思う。Reichsapfelはハインリッヒ2世が史実では最初に所有していた、とどこかに書いてあった記憶がある。彼の墓所があるバンベルクを訪れたときには、そのことに気がつかなかった。また今度、バンベルクに行って確認しなければなるまい。。。。

2018年10月11日木曜日

言の葉の庭 感想記

「言の葉の庭」見ました。
たかおが、かっこ良かった。あんな風に何かに夢中で、がむしゃらで、それでいて成熟していて。

15歳って、何にも考えていなかったからなぁ、自分は。
たかおを見て、僕は、最近、空手の道場で、息子と同じ学校にいっている男の子と話したことを思い出しました。考えている子は若いときから考えているんだなぁ、とちょっと関心したんです。
ドイツのレアルシューレでは7年生から、将来の進路が分かれます。息子の学校では、フランス語、物理化学、ビジネス、そして芸術コースがあります。息子は6年生だから、そろそろ自分の進路をまじめに考えたほうがいいよ、といっているんだけど、例にもれず、ポカーンと何もわかっていない様子。そこで、父のおせっかいが、また、活動しはじめました。息子には、「自分で色んな人に話しを聞け」、と何回もいっているんですが。おそらく彼のことだから、聞かないだろうことは目に見えてました。
わが空手道場には、そう、息子と同じ学校、同じ塾に通っている男の子がいます。息子とも知り合いで、2歳年上です。その子に、「君はどのコースを選んだの?」と聞いてみました。彼はビジネスコースを選んだそうで、一番の理由は、将来の仕事に役立つから。加えて、他のコースを取らなかった理由を説明してくれました。しっかり、将来のことを考えているんです。

そんなわけで、まぁ、たかおみたいに早いうちから将来のことをしっかりターゲットにすえてがんばっている人とか物語とかを見ると、賞賛の気持ちと、過去の自分への後悔と、色んな割り切れない感情がごちゃまぜになってなんだかモヤモヤしてきます。だから、あのキャラを見れただけでも、なんか良かったなぁって気持ちになります。


でも、あんな風に告白できるかなぁ。憧れの人を前にして。あの感情がない感じ、恋をも達観している感じ、あるいは恋の感情をコントロールしている感じ。不思議だなぁ。相手に伝えたところで、それが受け入れられなかった時の、その恐怖感みたいなものを彼は持ち合わせていない。告白が拒絶されたことによって、それまでその人に抱いてきた鮮烈な、そして肥大化してしまった感情、それを断ち切らなければいけないかもしれないという恐怖心。それがまったく彼には感じられない。それが彼の持ち味なのかもしれない。それが、僕と彼の決定的な違いなのかもしれない。でも、とふと思う。彼は、この点において、絶対的マイノリティーに属していると。こんな人は、めったにおらんだろう。そう自分に言い聞かせて、あの世知辛い自分の青春時代を慰めておこう。


雪野さんが、彼と距離を置いたときに、彼が抱いたのは、明らかに失望だった、と思う。それも他者への失望。自分が未熟で、自信が持てないから、彼女の対応は仕方ない、という感情ではない。あんたはずるい人だ、自分のまだ知らない世界に立って、あなたはすでに通り過ぎてきたこちらの世界を見ている。あなたは、気持ち、感情という同じフィールドに立つ事を拒絶し、社会的フィルターを盾に距離を置こうとした。
たかおは、あの時、しっかりと憧れのものと人とを追求して、行動に移していたからこそ、雪野さんに失望することができたし、非難することもできた。その言葉のありったけは、彼女の盾をぶち壊し、その人は感情というフィールドに舞い降り、感情はほとばしり出た。そしていう、「私はあなたに救われていたの」と。

僕には、あの非常階段の、普段は人々から忘れ去られたような殺風景なあの場所が、新宿御苑の非日常的な言の葉の庭に対応する、日常的な、そしてあの劇中の二人だけの「言の葉の庭」になったように思えた。
僕にも、そんな景色が、東京や京都や、今まで住んできた色々な場所に点在している。あの忘れることのできない時間も、結局は仮住まいの中のワンシーンであって、赤の他人から見たら、何にもない殺風景な場所。そこは引越しと同時に、空間的にはるか遠くのものになってしまう。
僕は、あの多くの、殺風景な場所たちが許せなかった。歴史と切り離された、まるで、テンプレートをそのまま実現したような、建築法規をのみ遵守した多くの殺風景な場所たちが、日本の大都会には多すぎる。当時の僕には、大都市そのものが、殺風景な場所が集積しただけのカサブタ集合体に見えた。


それがどうしたことだろう。この新海誠という人の手にかかると、それらがまるで、きらきらしたものになってしまうのだから不思議だ。なおかつ、日本を思い出したときに、そこに描き出されるシーンの数々が典型的な日本の風景で、なんかぎゅっと心を締め付けられたような感覚になってくる。そこで今、この時を過ごすことができる人々にうらやましささへ感じてしまう。
あの風景をここまで肯定されたら、僕がこの異国の地でやっていこうと思った、その決断の一つの理由を否定することになってしまうのではないか、と新海監督の映画を見るたびに思う。

代官山の古着屋、銀座マリオンの交差点、江古田で飼ってたシッダルータという猫、スペイン坂のカフェ、追い出された自由が丘のショット・バー、疎外感にさいなまれた新小岩の公園ともしくは勝鬨橋、阿佐ヶ谷の石屋さん、深夜に玄関の窓ガラスを割ってしまって通報されたあの小さな住宅、その近くの八百屋、三軒茶屋の釣堀、出会えたことを感謝した写真集をプレゼントして怒られた新宿のカフェ、そういえば一緒に勉強したっけなぁ、でっけぇ看板を盗んだフランス人と一緒にいたもんだから自分が怒られたこともあったなあ、ああ、やっぱり僕にとって東京はそういう街で、でもだからといって、二度と住むこともないだろう。

2018年9月30日日曜日

オクトーバーフェスト 射的

先週からオクトーバーフェストが始まっている。世界最大のビール祭り。この期間のミュンヘンはとんでもなく活気づき、電車の中では様々な言語での大声や笑い声、歌などが聞こえてくる。
そんな中、先週の日曜日に僕達もオクトーバーフェストへ行ってきた。
目的は、射的。日本へ帰国した時から、射的が、我が家の子供達の間でブームになっているのだった。

たくさんのよっぱらいー。



そもそもの始まりは渋温泉。ここの昔ながらの射的場にすっかり魅了されてしまった息子達。明治村にも思いがけず射的場があり、果敢に挑戦。

ここで係りのおじさんの的確なアドバイスによってすっかり腕を上げた長男君は、どしどし景品をゲット。一方、ハンドスピナーが欲しくてたまらん次男君は、結局、標的に当てることができず、ゲームを終了。すると係りのおじさんが、サービスで、追加の一発を討たせてくれることになった。自信がない次男君は、この重大なミッションをパパに委嘱。なんと、パパは見事に命中させ、次男君はスピナーをゲットすることができたのだった。あの命中の瞬間は、さすがに心が躍ったなぁ。

そんなわけで、オクトーバーフェストに行こう!といったら、子供達は「僕たちは射的をする」と言い出した。というわけで会場についたら、早速、射的へゴー!
って、結構たくさんあるんだね、射的するところ、今まで全く気づかなかったけど。値段はほぼ同じで、10発で7ユーロぐらい。で、射的の的が陶器みたいなものでできていて、命中するとパリンと割れて飛び散る。危なくないのかしら??
写真の中で、壁ぎわに整然と並んでいる灰色の物が標的。

古今東西、景品にはろくなものがない。しかし、討つということに意味があるんだろう、ろくでもない景品でも、子供達にはとても素敵な戦果に見えるらしい。
次男君は銃が重過ぎるので、射的を断念。積み上げられた缶をボールで崩すゲームに挑戦。簡単そうに見えるが、これはこれで難しいらしい。

そのほか、ダーツで風船を割るゲームや、オイデ・ビーゼンの中にも射的がある。こちらは動いている船に命中すると、パタリと倒れる仕掛け。
ここでも、5発中、4発命中させた長男君。将来は狩猟でもやったらどうか、と思う。ちなみに、上の写真に写っている女の人、蠟人形ではなく、本物の人間なのでお間違いなく。

今年のオクトーバーフェストは、チェックが厳しく、リュックサック程度の大きさのバックも、会場に持ち込むことはできない。もし持ってきてしまった場合には、会場の外にあるバック預け所にお金を払って預かってもらわなければいけない。面倒くさいのでご注意を。

2018年9月20日木曜日

ドイツの日々2

長男君が成長しているのが、日々感じられる。今まで雑誌なんてほとんど目を通さなかったのに、今日はトラムの中でずっと読んでいた。おかげで酔ったらしく、早めに寝てしまった。

次男君は、学校に通い始めて、なにやら責任感というか、なにかしらが芽生えたように見える。学校に行く間にも、数字を数え始めて、めちゃくちゃながらも百以上の数字を数えようとしている。

妻は、新しい職場で働き始め、また、忙しい生活に戻った。

設備事務所の仕事がめちゃくちゃで、相変わらず大変である。ついにプロジェクトをマネージメントしている会社から脅しめいたメールが配信された。いわく、
「これ以上、プロジェクトが遅れるような事態があなたたちの仕事のせいで起こるようなら、遅延した際に生じるコストは全てあなたたちが請け負うことになるのよ!」
これが、朱文字で、しかも大文字フォントで、感嘆符が文末について、全プロジェクト関係者に配信されるのである。恐ろしい。。。。しかし、恐ろしいのは、この文書を書かせた設備事務所の仕事ともいえる。なにしろ、今まで一年以上、このプロジェクトに関わってきて、こんなメールが配信されたのは初めてである。

右寄政党の躍進が止まらないドイツである。原因の一つは、世情と移民のコントロールを鑑みず、道徳と過去への反省によって移民の受け入れを敢行したメルケル政権への反発である。これに、法を監視する庁のトップが、右寄政党へのシンパシーを表すような行動をしている、という証言が出てきてドイツは揺れに揺れている。
たしかに、世情を鑑みない政治への反発が生じるのは、政治的健全性を表しているのかもしれないが、それが外国人排斥、暴力へと結びつきやすいのがコワイ。しかし、右寄政党には、軍の関係者や、警察関係者が多いという話もよく耳にする。つまりは、移民が起こしていると思われる問題に一番触れやすい立場の人たちが、多いということなのだ。移民の起こした問題が、報道規制されている、という話もある。一体、何が起こっているんだろう。移民たちが問題を起こしまくっているのだとしたら、それも怖いし、右傾化していくドイツもコワイ。コワいことだらけじゃないか。。。