2015年12月21日月曜日

Burg Trausnitz in Landshud トラウスニッツ城、ランズベルク

先週の日曜日、久々に仕事ではない事情で早朝帰宅となり疲れていたが、息子君たちを引き連れてLandshutランズフットへ遠足に行って来た。今回の遠足の目的はクリスマスマーケットと、ランズフットの小高い丘の上に立つトラウスニッツ城でのクリスマスガイドツアー。

基本情報
ランヅフットはミュンヘンからSバーンもしくはRバーンに乗って約一時間。
人口7万人の小都市。4年に一度行われる祭り、「ランズフットの結婚式」でも有名な街。今回はバイエルンチケット23ユーロを購入。
トラウスニッツ城へは旧市街から、普通の大人でぶらぶら歩いて約20分弱。バギーがあると急勾配のせいでとんでもない目に遭うのでご注意を。
イザール川の手前から、旧市街方向を見る。
中央に見えるのがランズフッドのシンボルでもあるザンクト•マーティン教会。
右手上方に見えるのが、遠足の目的地、トラウスニッツ城。

当日は日曜日ということもあってか、駅から旧市街へ向かうバスの本数が極端に少なく、仕方なく約15分歩く羽目に。途中カモメみたいな鳥をたくさん目撃したが、こんな内陸になんの用があるんだろう?それともカモメじゃないのかな。
というわけで、最初から息子たちも自分も疲れてしまったので、早速クリスマスマーケットで昼食をとることにした。

ザンクト•マーティン教会の前にツリーが立っていた。
この教会前の通りがランズフットのメインストリート。

息子たちはカレーソーセージとポテト、自分はホットドック。マーケットの中央には幼児向けミニ鉄道機関車が走る。次男が乗りたい!というが、オトナは乗車することができない。仕方ないので長男に頼んで同乗してもらったが、長男は相当に退屈だったらしく、辟易して下車してきた。次男君はもちろんご機嫌君。

クリスマスマーケットの中央をミニ鉄道が走る。
我が家のちびっ子たちは、先頭に乗っている。

しばらくクリスマスマーケットをぶらぶらする。ツアーは4時から。しかし、城が丘の上にあることを勘案し、少々早めではあるが、3時にはクリスマスマーケットを後にする。
そして、城についたのは、なんとツアーの10分ほど前。急勾配の坂を次男を乗せたバギーを押して登るのは骨が折れた。

この坂を、バギーを押して登る。
しかし、この後に、もっととんでもない舗装されていない坂が。。。
ちなみに、トラウスニッツ城の城壁部分は面白い造形が多く、気に入っている。
この城門はおそらく都市壁の一部でもあったはず。

城に到着したころにはすでにあたりは夕闇に包まれていた。
撮影不可だったので残念ながら写真はないが、ツアーは、中世の衣装に身を包んだ人たちが演劇形式で、当時の生活や、クリスマスの習わしなどについて説明。暗闇の中、美しい光の演出があり、時に影絵などを見せながら、城の中の様々な部屋を進んで行く。最後は礼拝堂で、その場で演奏される中世の音楽を聞き、退場時にはお菓子のプレゼント付きと、とても満足できる内容だった。
息子は、「あんまり期待していなかったけど、想像していたよりも良かったね」、と珍しくポジティブなことを言ったので、今回の次男を連れての強行軍も成功だったのではないか。

夕食は、日曜日ということもありあまり店が開いていなく、仕方なくマックに行ったが、ハッピーミールが食べられるということで長男君は大興奮。おまけのおもちゃももらって、すっかりご機嫌。ママに、今日はどうだった?と聞かれ、開口一番、マックにいってハッピーミールを食べた!お城はどうだった?と聞かれ、忘れた。。。だとさ。

こちらは、イザール川側にあるメインの都市門。
ヨーロッパの都市はクリスマスシーズンになるとイルミネーションが美しい。
次男君は、疲れてご就寝。

話は飛ぶが、18日は事務所のクリスマスパーティーがあり、家族でSanta Claus is comin' to townをアカペラで、自分は低音域、ママは高音域、長男君は主旋律を歌うべく練習していたが、練習中に長男の機嫌がこじれ、十分な練習ができず、結局断念。自分は歌う事ができないことに不機嫌だったが、長男はパーティーの最後に、日本の歌を歌う、と自己申告して来た。「知らない人がいるとちょっと緊張するから、パパとママも横に立っていてね」という。
実は昨年も、Santa Claus is comin' to townを家族で歌う予定でいたが、パーティーの最中に長男君が機嫌を損ね、結局パパとママのみが歌うというハプニングがあったのだった。そこで今年はグレードアップさせて、アカペラコーラスを、と目論んでいたのだが、それがおじゃんになったと思っていた矢先の自己申告。
さて、じゃあ歌いますよ!とみんなにアナウンスすると、それまでの喧噪がウソのようにシーンとして皆が注目する中、彼は朗々と「秋」と「雪やこんこ」を歌い上げ、拍手喝采された。
そのあとの彼の饒舌なこと、普段より2倍くらいよく話す。相当気を良くしたのだろう。
自分は緊張症だったので、そんなパフォーマンスをすることなど子供の時には想像もできなかったが、このような経験を積み上げていって、将来、スピーチの上手な大人になって欲しいと思う今日この頃であった。



2015年11月16日月曜日

Salzburg

秋休み、田舎に引っ越した且つての隣人夫婦の家に遊びに行って来た。ついでといってはなんだが、Traunstein近くにあるその場所Eisenarztから電車で30分、オーストリアの国境を超えてSalzburgまで足を伸ばしてきた。いわずもがな、ここはモーツアルトが生まれ、そして活躍した街でもある。AugsburgではLeopold Mozartの家を訪問することができなかったこともあり、おもちゃを買ってあげることを条件に息子とモーツアルト見学と洒落込んだ。
ところで、モーツアルトの生家と住居の見学はそれぞれ10ユーロ。とんでもなく高い。一方、ザルツブルグの様々な施設を見学することができる一日パスはオトナ27ユーロ、子供10ユーロ。結局、この一日券を購入して行動した。

まず、街中のモーツアルト生家。とても10ユーロも金をとるとは信じられない展示のしょぼさだが、これもモーツアルトの生まれと生活の息吹を感じるために支払うものと考えれば安いのかもしれない。建物は旧市街の目抜き通りに建つ。一階にはスーパーマーケットのSPARが入っていて、そこでモーツアルトチョコレートを買った。中心は緑だから、抹茶でも入っているのかと思ったが、もちろんそんなわけはなく、ピスタチオクリームが入っている。息子のペースに合わせたので詳しく見学していないが、一家族の家としてはかなり広い。しかし都市住居なので光井戸程度のコートヤードがあるのみで中庭などなく、この周辺も建物で埋め尽くされているので、子供時代のモーツアルトは公園とかできゃっきゃいって遊ぶ事もなく、音楽漬けの生活をおくっていたのだろうなぁ、などと思う。
モーツアルト生家
一日券が有効なので、せっかくだからと崖の上に建つ城へ、山岳列車に乗って頂上までいく。乗車料は11ユーロ!乗車時間はたかだか一分だよ!崖の上から、フィッシャーフォンエルラッハの教会を眼下に望み、そこに行こうよというと確実に息子がぶーたれるので、それも今回は断念。しかし、絶景ではある。城には、農民蜂起のCGを見る事ができる人形ミュージアムや、騎士の生活や戦闘の様子を伺い知る事のできる城博物館がある。

空が光り輝いている。城の下から西側の空を見上げる。
ザルツブルクは町並みと主要道路を繋ぐパッサージュが面白いので、実はそちらのほうも散策したかったが、こちらも息子が退屈するのは確実なので、さっさとモーツアルトの住居へ向かう。
メインストリートの突き当たりには、教会の塔が。

川沿いに、モーツアルトチョコの専門店を発見。真っ赤。

モーツアルトの住居は、川を挟んで旧市街の反対側、メインステーション側にある。こちらも入場料10ユーロ、展示内容もしょぼい。しかし生家と同様の理由で、高いけれど安いのかもしれない。なんかよくわからなくなってきたな。ワイマールのゲーテハウスは感動したんだけどなぁ。おまけに館員のガラの悪さに辟易。モーツアルト、ごめんよ、あんまり感動しなかったよ。息子君は、なんとなーくモーツアルトの凄さは理解したみたいだったけどね。

その後、かつての隣人の家に泊りに行ったんだけど、そこは二世帯住居になっていて、下階に住む家族の18歳のベニー君に、モーツアルト巡りしてきたよ、というと、ああ、超退屈なザルツブルグのモーツアルト巡りね!と軽いジャブを返され、ああ、そういうのは子供には退屈なんだなぁ、と改めて気づかされた。

修学旅行で、寺とかに感心していた自分は、ちょっとオカシカッタンかな?

そういえば、ザルツブルクからトラウンシュタインへ戻る電車、乗車しようとしたら、乗車口が一つに限られていて、パスポートの提示を求められた。移民問題で揺れるドイツの現状を再認識。妻が出かける前に一言、パスポート持っていった方がいいよ、といってくれなかったら、電車に乗ることができなかったかもしれない。

翌日は、田舎道を散歩。馬とかやぎとかシカって、タンポポの草をよく食べる。次男君はもちろんビビって手持ちで餌付けすることはできなかったけど、自分も実は馬に手持ちで餌付けするときにかなりビビっていたのであった。

やっぱり、ポーズはしっかり決めないとね。

2015年11月12日木曜日

名医とは、こういう人のことをいうのだろう

ミュンヘンはいい天気。

ところで、ここ数年喉の痛みがあり、且つ、そのおかげで、歯磨きの時など嘔吐しそうになる。幾つかの耳鼻咽喉科を訪れたが、なんだかぱっとした診察をしてくださる医師に出会うことが出来ずにいた。結局何が原因なのか、明確な説明を誰もしてくれない。まったく問題ありませんね、とも言ってくれない。おかげで、もしかしたらやっかいな病気なのではないかと少々不安になってもいた。

先日、事務所の近くということで、耳鼻咽喉科のDr. Jolkの門を叩いた。白髪の、ちょっとやせ気味の医師。診療所には多くの絵が飾られ、美術愛好家であることが伺える。
まず、最初の診療にて、先生は、自分がアレルギー体質であることから鼻が詰まり、それで口呼吸するので、乾燥した空気により喉が腫れるのではないか、という仮説を立てた。そのことを、理路整然と、ゆっくりと、外人である自分にも100パーセント理解できる口調で説明してくれた。とりあえず、その日は、喉の奥に例の茶色いドロドロした、妙な味の液体薬をつけてくれた。
「自分はみそ汁は飲んだ事はないけれど、きっとこの薬はみそ汁の味のように苦いだろうね。」
そういって、一人で押しつぶすような笑い声をたてた。

二回目の診療では、腕に17種類のアレルゲンを付けて、どの物質に対してアレルギーを持っているかのテスト。そして数種類のものにアレルギー反応があった。その際には血液を採取し、そのアレルギーがどの程度の強さを持ているのかを調べてもらった。

その結果が出た三回目の診察。何に対してどの程度のアレルギー体質なのかが明らかになった。処方してもらった薬によって、喉の痛みもすっかり消えていた。その結果、鼻がつまり、喉が腫れていたのだということが、やっと明らかになった。
「さて、そうしたら、どのように直せばいいのか。」と先生は一呼吸ついて言う。
Hyposensibilisierungという治療法をお薦めするよ。
「先生、そのHypoなんちゃらというのは何ですか?」
先生の説明によると、HyperとHypoというのは対語であり、Hyperというのは過剰でるものをさし、Hypoとは抑制するものを指すのだそうだ。つまり、Hyposensibilisierungというのは、アレルゲンを定期的に皮膚の下に注入し、そのことによって、アレルギー反応を抑制するものであるのだそうだ。
「これが、驚くべき事に効くんだよ」
そういて、また押し殺したように笑うDr. Jolk。
「この場で決断しなくてもいいから、この治療をするかどうかしばらく考えてみてください、また何か問題があったら、私のところに来なさい、私はこの診療所にいつもいるのだから」

何とも力強い言葉である。迷いのない、明晰な診断、そして患者を支え、不安を払拭し、安心感を与える言葉の数々。名医というのは、こういう人のことをいうのだろう。


2015年11月9日月曜日

改修プロジェクト Peter Haimerl in Munich

先日、日本人建築士であるTI君の勤務するペーター ハイマール設計事務所の改修物件を、ミュンヘンのAlt Riemに見学に行って来た。彼の旧同僚とその彼、もう一人、若手日本人建築士のI君も参加。I君はリトアニアの物件を担当しているんだって。で、リトアニアってどこにあるの?って聞いたら、ロシアの隣という返答。でもロシアは広いからねぇ、それだけじゃ、どこかはわからないっすよ。

今回の物件、施主はEurobodenというミュンヘンを代表する民間デベロパー。そして、ペーター•ハイマールという建築家、かなりの曲者で、ドイツでは唯一といっていいぐらい日本的な建築の作り方をする。かなり造形と空間重視で、はっきり言わせてもらうとディテールがない。しかし、そのディテールのなさまでも彼の持ち味にしてしまうとう恐ろしい手腕の持ち主でもある。

TI君の話によると、やっぱりペーターはぶっ飛んだ人で、建築のことしか考えられない人らしく、それでも人を巻き込んで行くパワーはすごいということだった。

で、今回、TI君のお誘いを受けて見学させてもらったこの建物、それこそ目から鱗がでるような、自分の経験からいって、それが成り立ってしまうのが信じられないような、それでいて空間の質はハンパなく面白いものだった。

Vor paar Wochen habe ich das Sanierungsprojekt vom Münchner Architekt, Peter Haimerl besichtigt. Die Besichtigung hat der japanische Architekt TI, der bei Haimerl arbeitet, organisiert.
Der Bauherr ist Euroboden, einer der wichtigsten privaten Bauträger in München.
Der Architekt, Peter Haimerl ist auch einer der interessantesten Architekten aus Deuschland, der ist fast einziger Architekt, der japanischerweise im Sinne der Räumlichkeit und des Konteptes entwirft.

Nach TI, hat Herr Haimerl nur Architektur im Kopf und seien Anziehungs- und Überzeugungskraft diesbezüglich enorm.

Und das Gebäude im Alt Riem ist nach meiner Erfahrung unglaublich zu bestehen, aber zugleich ist seine räumliche Qualität sehr attraktiv.

建物前庭になる屋外スペース
der Vorgarten auf der Seite der Straße

建物の外観は、改修物件ということもあり、いたってノーマル。前面の広場には、塗装の施されていない木材の四角い大きなボックスのようなものがあるが、道路側にゴミ収集バケツ、そして家側は屋外テーブルが収納されている。
建物は一見、一軒家のように見えるが、ドイツではよくあるドッペウハウスヘルフテというやつで、二つの建物の一方の壁をくっつけることによって一つのボリュームに収まっている。既存建物はハーフティンバーだと思う。で一方の住居と他方の改修手法が全くといっていいほど異なる。まず、案内してもらった順番に説明していこう。

Die Aussicht ist ganz normal, da das Projekt Sanierung ist. Im Vorgarten befindet sich ein Box mit der hölzernen Bekleidung, in das die Mülltonnen und der äußere Tisch unterbracht sind.
Das Haus scheint ein Einzelhaus zu sein aber es ist Doppelhaushälfte, die in Deutschland gängig ist. Das Bestandsgebäude soll Halftimber sein. Die Wohnungen sind gegeneinander mit der komplett anderen Methoden saniert. Ich erkläre, wie wir besichtigt haben.

建物外観、いたってノーマル、しかし内部はとんでもないことになっている
die scheinnormale Fassade. Die Innenseite ist Überraschung!

道路側から見て右側、大きな木の扉が右側住居の入り口となる。こちらがわの住居は内部がコンクリート造になっており、おそらく木構造をとっぱらって、コンクリートが外構(屋根、壁など)を支える構造になっている。木の扉を開くと、こちらが本物であるガラスの扉が現れる。左手にコート掛け、一段下がると寝室、右手を登るとダイニング、さらにその上段にキッチン。この住居は主空間が階段空間とでもいうべきもので、階段の折り返し部分でもある踊り場空間にうまいこと生活機能を落とし込んでいる。階段が、バベルの塔、もしくは屋上庭園でよく見るように、上部にいくにしたがってセットバックしているので、上部は吹き抜け空間となり、幾つもの生活空間が繋ぎ合わされていると同時にダイナミックな空間となっている。

Der Eingang der rechten Wohnung von der Straße betrachtet, ist vom Holztür bedeckt. Die Struktur der Wohnung ist vermutlich Beton, die von der Innenseite die Außenhülle stützt, danach die Bestandsstruktur abgerissen worden sei. Hinter der Holztür steht Glasfassade mit der Glastür. Der Eingangsbereich ist sehr eng, links Garderobe, rechts die Treppe nach oben.
Das Raumkonzept der Wohnung ist der Treppenraum, auf den Absätzen sind verschiedene Raumfunktionen geplant. Die Treppe staffelt rückwärts, dadurch entsteht ein Luftraum, der die verschiedene Räume dynamisch verbindet.
ダニエルが立っているところがキッチン
Die Küche. Von Recht fällt das Licht schräg.

下がキッチン、その上に居間空間。写真を整理していても、どっちが上か判断に迷う
Die Farbe ist monotones

この発想は、通常の設計活動でおもいつくことはないなぁ。。。かりに思いついても、これを実際に形として実現してしまうところがすごいわ。。こんな小さい住宅で。
最上部の、廊下を広げたような居室空間を通って、寝室に至る。子供部屋、めちゃ暗い。ちっちゃい窓、ひとつだけ。最上部にある倉庫につかわれるような部屋にいたっては、不思議の国のアリスになったような気分にさせるスケール感のなさ、それでいて、かわいらしいぃー部屋。打って変わって、まるでゴジャースな夫婦の寝室。床は、事務所に使われる合成樹脂塗装床。しかし、なんのために!?この発想もあんまないわ。でも違和感もないわ。この住宅を全体的に占める階段的モチーフで造形されている洗面台もいい感じ。でも、寝室からのしきりなし。うってかわってシャワー室はコア部分に、すごーい狭くてすごーい天井高のある空間になっている。

Ich war bewundert, dass diese Idee in solcher kleiner Wohnung realisiert wurde. Sie würde mir höchstwahrscheinlich nicht einfallen, wenn sie aber einfallen würde, würde ich nicht versuchen, sie weiter zu entwickeln.
Übrigens erreicht man das Schlafzimmer und das Kinderzimmer durch den Wohnbereich, der ein Teil des verbreiteten Flurbereiches. Das Kinderzimmer ist außergewöhnlich dunkel mit einem kleinem Fenster, der weiße Papiervorhang an der Wand hängt, dadurch das Zimmer ein Tick heller wird. Der vermutliche Lagerraum ganz oben ist das Zimmer von "Daniel im Wunderland", wie ich Foto zeige...
Im Kontrast dazu ist das Schlafzimmer der Eltern sehr angenehm und hat angemessene Größe. Bodenbelag ist überraschungsweise Kautschuk, der normalerweise beim Industriebau ausgeführt wird. Diese Idee würde mir auch nicht einfallen.. Aber sieht es überhaupt nicht komisch aus. Der Waschtish wurde auf die Motive der schrägen Fläche entworfen und sehr geil! Aber kein Trennelement. Im Gegenzug ist der Sanitärraum sehr hoch und prächtig, da der sich in der Mitte des Gebäudes befindet.

居間。狭い。空間はかっこいい
Wohnbereich, sehr eng aber gut.

これが噂のダニエル•イン•ワンダーランド
Daniel im Wunderland
一方の左側の住居。こちらは、既存部分が多く残る改修となっている。基本的に、水回り部分を中心に改修をされている印象を受けた。既存の残し方が、またダイナミック。寝室の床の隙間から、下の客室が透けて見える。光と音がだだ漏れなので、かなり使いづらいのではないか。

Andererseits, die linke Wohnung von der Straße. Bei ihr bleiben so viele alte Bestandteile und liegt Schwerpunkt der Sanierung auf den Sanitär- und Küchenbereichen, nämlich den Nassbereichen. Die alten Wohnungsteile sind echt unglaublich erhalten. Z.B. der Boden des oben liegenden Schlafzimmers. Auf dem wurde kein neuer Bodenaufbau konzipiert, dadurch der erhaltene hölzerne Bodenbelag ist direkt auf der Bodenstruktur und durch die Schlitze zwischen den Bodenbelägen ist der darunter befindliche Raum sichtbar... Lärm und Licht sind nicht blockiert... So ein Wahnsinn!

既存の木造壁がシャワー室の壁。防水もへったくれもない
Die alte Holzwand bleibt gegenüber der Duschbrause. Abdichtung ist gar nicht berücksichtigt...

既存の木造壁と漆喰の改築部分のコントラストを狙っている
Kontrast zwischen dem neu ausgeführten Putz und der erhaltenen Holzwand ist sehr stark und wurde absichtlich inszeniert 
キッチンは、既存のレンガ壁に向かってキッチン台があり、天井も高く、壁に穿たれた既存窓が強調されて、とてもいい感じ。ただし油汚れでなどで、使っているうちに汚くなりそう。食堂は庭に向かって開かれ、相当にいい空間になっている。この住居において、唯一まともな空間に思えた。
In der Küche, ist die Küchentheke vor dem alten Mauerwerk geplant. Der Raum ist sehr hoch und die Fenster, die sich in der Höhe befinden, sind betont und eindrucksvoll. Aber die alte Wand würde höchstwahrscheinlich m Laufe des Jahres durch Dampf und Spritze des Öls schmutzig. Der Essbereich öffnet sich zum Vorgarten und sieht sehr angenehm und zu mir erscheint der beste und vernünftige Raum von den Wohnungen.

キッチンの壁。
この建物は写真でみるよりも、実物のほうが10倍くらい、いい。
自分の写真技術が下手なのか。。
Die Küchenfenster. Auf jeden Fall ist das echtes Gebäude zehnmal besser als Fotos. Oder meine Fototechnik  nicht so gut?
総合的に、建築家が、部分部分でいい空間をつくりたいというクリエイティブな意気込みの垣間見える面白い建築であったが、ある意味、暴れ馬的な住居であり、これを乗りこなす住民の創意と工夫が要求されているともいえよう。
Total betrachtet, ist das Gebäude wegen der mutigen Kreativität vom Architekt sehr interessant, aber zu wohnen ist Mut und auch Kreativität des Bewohners nötig.

いずれにしろ、ハイマール事務所のTI君の成長に感心(?)するとともに、今回の見学をコーディネイトしてくれたことに感謝。
Und ich bedanke mich für die Koordination bei TI-kun.



2015年10月29日木曜日

鉄道ミュージアム アウグスブルグ

週末、家族で、アウグスブルグにある鉄道ミュージアムへ行って来た。
アウグスブルクはミュンヘンから電車で約40分ほどにある小さな街で、モーツアルトの父の家や、宗教革命を起こしたルターが滞在したことがるSt.アナ教会などがあり、歴史的にも重要な小都市。

今回は、鉄道ミュージアム、アウグスブルグ•人形劇場ミュージアム、モーツアルト父の家、St.アナ教会を巡る予定を組んだが、モーツアルト父の家は現在閉館中。その代わりといってはなんだが、ザルツブルク近郊に来週、休暇に出かける予定なので、その時にモーツアルトの家を訪問したい。

鉄道ミュージアムは、アウグスブルクの中央駅からバスで8分ほどで着く。夏季限定で、10月いっぱいで冬期休業に入る。

http://www.bahnpark-augsburg.de

入り口ホールに入ると、いきなり機関車が出迎えてくれる。無造作に展示してある機関車の迫力がすごい。わくわくするね!というと、妻は、男の人はそうかもね、、とそっけない返事。
箱根鉄道の列車が走るビッグサイズの鉄道模型を眺めていると、隣の機関車の運転席からおーい、と声がするので見上げてみると、長男君が手を振っている。この運転席、これもまだ現役当時のままで、自由にレバーなどを動かすことが出来るので、子供にはたまらないらしい。


一方で、次男君は、もうかれこれ40、50年以上現役から退き、ある意味うらぶれていて、いたるところにかすかに闇が染み付いているような機関車内部がなんとなく薄気味悪いらしく、乗せようとすると必死の抵抗を試み、ほとんど機関車を見ることはなかった。

機関車の横を全速力で疾走中
中庭に出ると、改装中の操車場前に列車のレールが伸びている。

改装中の操車場
レールの上部は丸みを帯びていて、その上を、落ちないで歩くのは予想外に難しい。長男君がまず、この上を落ちないように歩き始め、家族全員で“レールの上をどこまで歩けるか競争”となり、長男君が優勝。次男君はすぐ落ちてしまうんだけど、パパの手を持って、最後まで果敢に挑戦。実際レールの上を歩く体験はそうそうできないので、面白かった。

線路はつづくーよ、どこまでもぉ。
バランスを取りながら、おきまりのデヤッのポーズ。
約3時間ほどミュージアムに滞在し、人形劇場ミュージアムに向かうことにする。ターミナルであるケーニヒス広場まで戻ったところでカフェブレイク。しかし、ここで鉄道ミュージアムで体を冷やしてしまった長男君は、スプライトを飲んだ後気分が悪くなってしまい(今、思い返してみると、グミの食べ過ぎだったのでは?とも思う)、もう帰りたいと言い出した。

それでもせっかくだからと、ケーニヒス広場の近くの、ルターが滞在したことがあるアナ教会へ。 1518年、前年に95か条の論題を発表したルターは、主張の撤回を求められ、アウグスブルグに召喚される。結局、ルターは自説を曲げることはなかったが、その際に滞在した教会が、このSt.アナ教会だ。その後の歴史はみなさんの知るところだ。
教会には、ルターを中心として、その後の歴史にまつわるギャラリーがあり、じっくりみたら面白そうだった。

教会内部、回廊。
もちろん次男君には薄気味悪いので早く帰りたいらしい。
ギャラリーで面白い絵を発見。30年戦争の時に、アウグスブルグを囲んだスウェーデン軍との戦いの様子を描いたものだ。一枚目は赤い門周辺の攻防の様子。この門の内側には今回行くことができなかったアウグスブルグ人形劇場ミュージアムがある。
赤い門での攻防。右上のエンブレムには、スウェーデン王、アドルフが。
攻防の遠景。この絵の中の旧市街の南側が現在の中央駅になり、右側に赤い門が位置する。
長男君の体調がすぐれないので、結局今回は、このまま帰宅することにし、アウグスブルグを後にした。 
まだ、学校では歴史でルターとか30年戦争を教えていないらしいが、歴史の面影が色濃く残るのもヨーロッパの都市の特徴なので、今後も課外授業がてら、南ドイツ小都市を巡る旅を続けて行きたい。

2015年10月21日水曜日

ペントハウス

約一年かけてディテールを計画してきたケーニヒス広場近くのペントハウスは、あと約4ヶ月ほどで竣工する。

今は屋根工事と内壁工事が進行中。そのあと、窓が設置され、家具工事や仕上げ床の工事に移っていく。


写真は、屋上のテラス。ペントハウスの上にあり、建物のてっぺんにある。組み立てられたサッシの骨組みはペントハウスからの階段出口であり、天蓋を横にスライドしてこのテラスに出ることができる。

遠景にフラウエン教会の双塔。その手前に広がる住宅群は全て、ベルリンのポツダム広場の都市計画をしたヒルマー•ザットラー建築事務所の設計したものだ。
この方角から左方に10度視線を旋回させると、ルートビッヒⅠ世の墓があるボニファツ教会の修道院の庭が広がっている。ルートビッヒⅠ世は、狂王ルートビッヒⅡ世の父である。ルートビッヒⅡ世は、ディズニーランドの白雪姫の城のモデルとなったノイシュワンシュタイン城をつくり、フランツ•ヨーゼフ一世の皇后であったエリザベートへの恋慕でも有名な王であり、財政難でゆれるビッテルスバッハ家の懐事情を鑑みず築城を続け、最後は謎の死を遂げた。しかし、狂王とまで言われた王の遺産は、現在、バイエルン州の観光の目玉となっている。歴史とは皮肉なものだ。
さらに視線を左方に旋回させるとケーニヒス広場があり、その奥はナチスの本部があった場所で、自分のブログでも紹介しているが、今年開館したナチス資料館がある。ケーニヒス広場に面した古代収集館では現在、エトルリア民族の装飾文化という特別展が開かれており、先日息子たちを引き連れてガイドツアーに参加してきた。ツアーの最後にブローチを、当時の技術を使って製作し満足気な長男君であった。
東方に旧市街、マックスフォアシュタットを眺めるこの屋上テラスの足下には、左様にミュンヘンの歴史が広がっている。絶景かな。

今は、この建物の西側に位置する歴史的保存建物の内部改修の平面計画と、このペントハウスのある建物と前述の保存建物の間に建つ新築建物の基本設計を担当している。基本設計の前段階ですでにおおまかな造形は同僚が担当し終了しているので少々退屈だが、仕方ないね。基本設計が終了したら申請図面の作成にとりかかることになる。

2015年10月5日月曜日

折り紙ワークショップ

日本を離れると日本のことが恋しくてたまらなくなり、その素晴らしさに気づく。
ご多分に漏れず、日本では見向きもしなかった日本の文化や事情に詳しくなったりもする。ということで、今回は折り紙について。

我が長男君はいつのまにか折り紙の才能を発揮しており、まだ日本でいうところの2年生にもかかわらず、かなりの技をマスターしている。すごいな、と思うのは、新しい作品に挑戦するときにも、教本をみながらあれよあれよという間に作り上げてしまうこと。自分の記憶では、教本を読んでも途中で全く分からなくなってしまい、イラつき、結局完成できないという場合が多かったんだけどなぁ。そして、一度つくった折り紙の折り方をすぐ覚えてしまう。自分は鶴でさえ忘れてしまって折れなくなったりするんだけど。
とにかく彼は、折り紙が大好き。好きこそものの上手なれ。

ということで、週末、ミュンヘンの日本祭りで知り合いになったスザンヌさんを我が家に招待し、折り紙ワークショップを開きました。息子の友人と、その弟、そして彼らのママも参加してくれました。
スザンヌさん、折り紙歴が長いとは聞いていたんだけど、次から次へと繰り出される作品を見るにつけ、その凄さに改めてびっくり。

まず、なにやら荷物をいっぱい抱えてよっこらしょと現れた彼女。何を持ってきたんだろうと思っていたらバックの中から、色とりどりの折り紙、そして折り紙の本、約20冊をどっさり取り出した。自宅には壁一面の棚の中に折り紙がぎっしり詰まっているらしい。。ほとんどセミプロ。
和気あいあいとした雰囲気の中で、さっそく息子と友人君が恐竜を作り出した。自分も挑戦したんだけど、難しい。わが次男君と友人弟君は、しばらくするとすっかり退屈してしまい、仮面ライダーの変身ベルトで遊びだしてしまった。スザンヌさんは、それでも要領を得ていて、動く折り紙、例えば唇とかカエルとか餌をつつく鳥とかを作ってうまいことちびっ子たちの興味を引きつけていた。

自分は多くの本の中から少々複雑な銀河鉄道の夜シリーズの本を選び機関車に挑戦。結局、車輪を二本しか作ることができなかった。
ところで、エンジニアの中にも折り紙の魅力に取り付かれてしまった人はいるらしくて、機械のある部分がどうしても安定しなかったんだけど、あるとき折り紙のテクニックを応用して鉄板を加工したら安定した、とか、スザンヌさんは工学もしくは建築に応用されている折り紙の話にも通暁していてそういう話を伺うことができたのも楽しかった。自分の日本での博士後期課程でお世話になった先生の前任者が茶谷先生という折り紙と建築について研究されていた方で、スザンヌさんは、その人のこともご存知でした。人のネットワークがこういった風に繋がり始めると、面白いですね。


さて、13時頃に、スザンヌさんが作ったプレゼントにも使える小箱が息子君と友人ママの心を捉え、ママさんが小箱を作り終えた段階で、ご一家は帰路に着きました。

10時30分から始めたワークショップは、昼ご飯を挟んで午後4時で終了。昼食後は、すっかり小箱に熱中した息子君、鶴の小物入れの作り方を教えてもらい、次回は小箱の折り紙ワークショップをやろうという約束をして、今回は締めとなりました。
お誘いしたらすごい喜んで来てくれて、息子とのコミュニケーションもとても楽しんでしてくださり、とっても嬉しかったです。スザンヌさん、ありがとう。また、何ヶ月後かにワークショップやりましょうね!

ところでこの小箱、写真をみてもらうと分かるんだけど、すごいんだよ。蓋と箱の折り方が違って、蓋はちゃんと一サイズ大きくなるので、すっぽりはまる。
息子君はスザンヌさんが帰宅し、ママが帰って来て夕食の支度をしている間も色々な紙を使って、この小箱と鶴の小物入れの別バージョンに取り組んでいました。


完成品。ちゃんと色どりも考えられていて美しい。

ちなみに、銀河鉄道の折り紙の本、貸してもらっちゃったんだけど、これは次回までに完成しておかねば、ならぬのだろうか。。。

2015年7月20日月曜日

また不発弾

今度は自宅から数キロしか離れていないPasingという場所で、大戦中の不発弾が見つかった。
中心部から離れているのになぁ。

新聞によると、宝探しをしていた人が探知機で見つけたんだって。そもそも、こんな住宅街で探知機を持ってフラフラしている人間がいるのも不思議なら、見つかった不発弾は40センチの深さに埋まっていたというからさらに驚き。
不発弾から500メートル以内の住民は全て避難し、爆弾処理も無事成功したとのこと。一様念のため、子供たちが近づかないように妻に電話をかけておいた。

子供はうかつに、見知らぬ地面の上でジャンプさせないほうがいいかも知れぬ。。。

2015年5月1日金曜日

Traunstein

嵐の前の静けさというか、コンペ締め切り間近なので、4月では最後に取れるであろう週末、とても充実した時間を過ごすことができた。この場をかりて、そして読んでもわかんないと思うけれど、オーガナイズしてくれた友人夫妻に感謝したい。

かつての同僚がミュンヘンとザルツブルクの中間の小さな街、トラウンシュタイン Traunsteinという街の出身で、彼の生まれ育った家で、現在はその街で一人暮らしをしているお父さんが不在であったため、その家に招待をしてくれることになった。普段は腰の重いわが妻も二つ返事で承諾したこともあり、久しぶりに家族揃っての小旅行となった。

かつては2歳にも満たない長男にイタリアの街を見せたいなどと世迷い言を抜かし、シエナへ出かけトラウマとなった我が家にとって、次男が生まれてからは久しぶりの、電車で約一時間程度の家族大移動だった。
次男は車窓の景色を眺めるのが楽しいらしく、牛、湖!などと異なるシーンが窓の外を過ぎ去ってゆくのを見ながらはしゃいでいる。そんなこんなで目的の駅、トラウンシュタインTraunsteinへ着き、そこへ友人が車で迎えにきてくれ、まずは妻の職人学校時代の同級生が約一年前からやっているというケーキ屋へ移動。

そのケーキ店は、ちょっと街から外れた、こんなところに?と呆気にとられるような、そんな場所に忽然と現れる。クラスの中でも一二を争う成績を取って卒業した友人が開いているお店ということで、とてもわくわくしていた。ところで、どうしてこのケーキ屋に行くことになったかというエピソードがちょっと面白い。

同僚夫妻も我が家と同じ年頃の子供たちが二人いる。奥さんのベロが、小さい方を昼寝させるためにバギーに座らせ、散歩をしていた時のこと。まったく予想外の場所に、おいしそーなケーキの並ぶお店を発見したそうだ。後日、一家でそのお店にケーキを食べに行き、ふと、壁に飾られているマイスター証明書が目に入った。そこに記載されている年号が私の妻がマイスター学校に通っていた時期とかぶっているんじゃないか、と思ったそうな。そこで、おしゃべり好きな友人は、実はかつての同僚であった日本人にはこれまた日本人で菓子マイスターの妻がおり、かくかくしかじか、という話をし、妻の名前をだしたところ、あーーー、知ってるも何も、私たちはクラスのなかでもトップの席を巡って常に競い合った仲なのよ!というお返事が。その言い方が独特の南ドイツ方言だったらしく、友人は何回もこのフレーズを繰り返してウケていた。

そんなわけで、妻は以前、このお店にも行ったことがあるみたいなのだけど、今回、僕たち二家族総出での訪問と相成った。
ところで、このお店のある集落、典型的な農場の集落で、至る所に牧畜がわんさか暮らしている。次男を眠らせて、ゆっくりケーキと会話を楽しもうと目論み、昼寝の時間が迫る次男をバギーに座らせて集落を散歩したけれど、次から次に登場する牧畜に興奮してしまって、すっかり眠る気配を見せない次男君。挙げ句の果てに、バギーから降りてしまい、乗馬のために道路に出て来た馬が近づいて来ると、食べられる!!と悲鳴を挙げてパパとママの後ろにスルリと隠れる。翌日訪問した湖畔でも、白鳥が近づいて来た時には、こそこそとパパの背後に隠れて、そこから石をぶつけようとしていたしな。。
集落の美しい木組みファサード

さて、仕方がないのでなるべく退屈な村外れの小道を散歩し、次男がようやく眠りに着いてからカフェで至福のひと時を楽しんだ。自分はピスタチオ系のケーキを食したが、さすがに、うまい。ミュンヘンでも、これだけおいしいケーキを食べるのは難しい。妻は調理室などを案内してもらい、久しぶりの再会に話が弾んでいるようだった。
ここから、今回お泊りさせてもらう友人の実家までは歩いて約15分ほど。途中、集落の中の大きな牧畜場で牛にえさを与えているおじさんがいたので、その様子を観察していたところ、おじさんがニコニコしながら近づいて来て、妻に向かって、君がウチの娘の同期の人かい、と話しかけてきた。そこで初めて、彼が彼女の父であることがわかり、みんなでびっくり。

集落を抜け、なだらかな丘を超え、しばらく歩くと、そこに友人の家があった。建物は、自分もこの地域の住居を多く見た訳ではないけれど、かなり典型的と思える造りで、まず、玄関ホールが庭の方まで伸び、そこから階段を上がると二階部分のホールを中心としてキッチン、居間がある。そして3階部分が寝室もしくは子供部屋。

友人夫妻が夕食を準備してくれている間に、妻、長男と友人夫妻の長女は折り紙をひたすらつくっていた。長男は折り紙が得意で、呆気にとられるような力作を、あれよあれよと作り上げて行く。それにしても、折り紙の説明書というのは、どうしてあんなにわかりづらいものなんだろうと、常に思う。
自分は次男君と、友人の長男と三人でレゴを組立て、夕食はシュバイネブラーテンに舌鼓をうち、色々な話に花を咲かせている間に、あっという間に子供たちの就寝時間がやってきた。子供を寝かしつけ、また話をしようと言っていたのだけど、すっかり寝てしまい、気がついたときには既に翌日の朝。

朝食を済ませ、キームゼーの湖畔にある、木立の間に架けられたロープを渡って楽しむ施設(日本語でなんというのでしょうね??)に行って来た。
http://www.parkeroutdoor.com/outdoor-aktionen/hochseilgarten

偶然にも友人長女と長男は共通の趣味が多く、そのうちの一つがボルダリング。綱渡りも壁登りも変わらんだろうということで、子供たちがやったあとは、俺たちも登るぞ、と何故か友人は目をキラリとさせてニヤっと笑う。その時にはわからなかったが、実際に登ってみて、その含み笑いの意味が初めてわかった。それはさておき。
子供たちは地上1、5メーター位のところに架け渡された綱を渡る、子供たち限定の場所があり、ここを二周ほど楽しんだ息子は年齢制限のある高い方に挑戦したいと言い出した。友人夫婦の長女は、黙々と、まるで何かに挑むように休むことなく何周も行ったり来たりしている。
いよいよ自分たちも登ろう、ということになり、装備を装着して簡単なガイダンスを受けて、丸太一本が斜めに架けられた階段状のものを登った。想像していたことだけど、下から見るのと、上から見る景色は全く異なり、既にこの最初のステップで、自分の肝はすっかり縮んでしまった。命綱があるとはいえ、足を踏み外してガクンとぶら下がるのだけは勘弁したい、と思った。そして、もちろんそれを楽しむのだけど、渡されたロープの上はとても不安定でユッサユッサユアユアーンと揺れている。意外と面白かったのは、ローラを使って、斜めに渡されたロープを滑走することだった。なんていったって楽チンで気分爽快。一気に滑るので安定しているし。

そんなこんなで、一回地面に降りた後も自分の好きなだけ何回も挑戦できるということだったが、地面に降り立った後、友人と生還できたことを喜び合い、今回は一回限りでやめておいた。
楽しい時というのは時間の過ぎるのも早く、もはや夕刻が迫っていた。友人に駅まで送ってもらい、電車でミュンヘンへと向かう。素晴らしい週末の余韻に満たされた家路は、日常へと回帰する、のんびりとした沐浴のようだ。


2015年4月3日金曜日

ヤドリギ

先日、ミュンヘンでは強い風が吹いた。木立を通り抜ける風は轟々と恐ろしい音を出し、物が吹き飛んで人にぶつかったのか、倒れた交通標識で人が怪我をしたのか、一日中消防車や救急車が街中を走り回った騒々しい一日でもあった。
その翌日は一転して雪。かと思えば雲が途切れ青空となり、照らす太陽が眩しい。しかし、彼方から灰色の雲がものすごい速度で近づいてきて、瞬く間に雹を地面に撒き散らす。
昨日から気温がグッと下がり、今日は晴天だったけど、気温は下がったままだった。イースター休暇の金曜日である今日はカールフライタークといってマスを食べる風習があり、祝日だった。青空に誘われて、息子二人を連れてニュンフェンブルク公園へ散歩に出かけた。

公園の中に鬱蒼とした林があるが、驚いたことに何本かの木が先日の強風で根こそぎ倒されていた。風の威力に驚嘆すると同時に、やはり先日の強風はただ事ではなかったのだと実感する。倒された木々の梢にヤドリギが多く寄生しており、せっかくだからと、実のたわわな一株をむしりとって持ち帰ってきた。ヤドリギの幹は意外に柔らかく、力を込めると簡単にへし折ることが出来る。

窓際に吊るしておくと、帰ってきてそれを見た妻が、クリスマスじゃないんだから、と笑った。

2015年3月17日火曜日

ルムフォルド ベンヤミン•トンプソン Stadtmuseum Munich

現在、ミュンヘン•シティーミュージアムにて、ミュンヘン都市壁撤去の立役者であり、ミュンヘンの都市造形へ多大なる影響を与えたグラフ•ルムフォルド、つまりベンヤミン•トンプソンの展覧会が開かれている。
都市壁撤去後の都市造形が博士論文のテーマでもあったので、クラウ名誉教授がお声をかけてくださり、物理学教授や弁護士に混ざって、展覧会のキュレーターのガイド付きで見学して来た。

http://www.muenchner-stadtmuseum.de/sonderausstellungen/rumford-rezepte-fuer-ein-besseres-bayern.html

展覧会の内容については都市造形というよりも、啓蒙主義時代の社会変革者としての側面に光があてられ、とても新鮮で興味深い内容だった。
彼は、市民徴兵制に着手することによって身分制度を根底から覆し、都市居住者(つまりヨーロッパ的な意味での市民ということになると思うのだが)が都市に居住したまま農耕に関わることによる社会システムの変革を目指した。この場合に理想とされたのが中国らしく、これはシノワズリーとも大きく関わってくるのだけれど、そのためにミュンヘンのイングリッシャーガルテンには中国式の塔が立っているのだそうだ。また、イングリッシャーガルテンは練兵場として使用され、その際にエネルギーと熱についての物理的知見を得たというのは知っていたが、イングリッシャーガルテンの一部が短冊状に区画され、区画された土地が農園として市民兵に分配されたこと、そしてそれが現在ミュンヘンでも多く見ることができる小農園群Schreber  Gartenへと変遷していったという歴史的流れはとても面白かった。

また、イングリッシャーガルテンは市民のスポーツの場として解放され、様々な階級の人たちが交流するべき場として計画された。これと同じような計画として、一つの街区を占有する住戸ブロックを丸ごと様々な職人がテナントとして入居するような施設とし、市民の4分の1を占めた貧民層を救済しようともした。

ルムフォルドの生きた時代というのはドイツにおける工業化前夜でもあり、非常にコンセプチュアルな時代であったのだなあということがとても印象深かった。
また、このコンセプトがルムフォルドのイニシアティブの元、次々と実現されていった推進力にも恐れ入る。閉じていた都市が殻を突き破り、膨張していくダイナミズムもそこから生まれて行ったのだろう。

展覧会の終盤では物理学者としての側面にスポットが当てられ、60年ほど継続的に運転可能な炉の開発、そこからプロイセンで活躍したシンケルや、同じように炉の開発に着手したというギリーについて意見が交わされ、建築家とエンジニアというのは昔は本当に分離していなかったのだなぁ、という感想を持った。

自分はといえば、現代の窓は気密性能が高すぎるがために吸気口を別途計画しなければいけないのだが、これを構造的に、そして建築物理的にどの場所に設置するべきなのか、自分一人では決断もできず、構造家、設備屋に質問する毎日なのである。

現在取り組んでいる計画では、窓、外装材のディテール計画が一段落つき、階段の手すりなどの金物関係のディテールに取り組んでいる。現事務所の作業の進行方法がちょっと摩訶不思議であり、把握することが難しく、早くも他事務所への移籍を念頭に入れ始めた今日この頃である。