親切な運転手が、ペンションまでの手はずを整えてくれた。
ペンションは、一泊4000円ほどで、こんなにいいところに泊れるの?と驚いたほど広い部屋。朝食も満足した。
バウハウス デッサウ
翌日、デッサウの街からグロピウスの設計したバウハウス校舎へ向かう。この校舎でも、またグロピウスの熱いなにかを感じた。とにかく、建築的エレメントと塗装とのコンビネーション、更に当時はセンセーションだったガラス張りのファサード。幅広い階段室や、照明とのコンビネーション。全てが、僕にはデカルト的空間とは全く異質のものに映った。これはとっても新鮮だった。これまで、グロピウスには、おせじにも感心がある、とは言えなかったからだ。ところが、今回の旅行でグロピウス建築に触れ、その素晴らしさにすっかり魅了されてしまった。
今回の旅では、ズントーのコルンバ、アァヘン近郊のファン・デア・ラーンに続く、三度目のノックダウンだった。
いいなぁ、このテラス。このボリュームはデッサウの駅からテクテク歩いていくると最初にぶつかるボリュームで、かつての学生寮。現在は、ホテルとして宿泊できるらしい。知らんかった。。がっかり。知っていれば、今アトリエ・バウワウとの学生寮の設計に生かすために宿泊したかったのに。。このテラスの出っ張りと、手すりの固定の仕方、そして下に反り返ったテラスの先端がエロい。
こちらは道路をまたがっている部分をくぐると現れる、正門。見よ、このガラスの壁。当時はこんなのなかったんだぜ、今はそこらじゅうに溢れているけどね。
旧校舎は現在は、バウハウス財団の本部として使用されていて、学校は入っていない、といっていた。しかし、この校舎とマイスターハウスのガイドツアーが終わった後、カフェで寛いでいる時にブラジル人の学生と仲良くなり、この校舎で短期で都市計画のセミナーを受けているといっていたので、何かしらそういった講座はあるんだろう。
階段室。広い。
なんでも、当時のデッサウは現在とは比べ物にならないくらい工業都市として栄えていて、特に、暖房機と塗装の会社がここの本拠地を構えていたので、それらの会社と協働することによって新しいものを生み出そうとしたらしい。
そうしたこともあって、この広い階段室、大きなガラスファサードに面しているにも関わらず、申し訳なさそうに暖房機が掛かっていたりする。こんなの効果があるわけねぇ。
ついでに、塗装が凝っているのには、そういった理由があったからなのだろう。この校舎のグロピウスの校長室は、ほとんどワイマールの校長室と同じような設えなのだけれど、塗装床材がいい感じの風合いを出していてる。名前は忘れてしまったが、これは非常に有害なものなので現在は生産されていないが、ユネスコに登録されているので、もし磨り減ってしまったとしたら大変なことになる。なので、将来的には床にガラスを敷いて、床材を保護することになるかも知れない、といっていた。このとても有害なので、という説明を聞いて、すぐにこの部屋から逃げ出したくなった。
デッサウは残念ながら大戦によって破壊され、昔日の面影はほぼない。
ガラスの壁のコーナー。これが昔は一大センセーショナルだったんだって。ガラスとガラスがぶつかって、透明な角ができている、と。
でも、今の世の中には、こんなものもあるんですよ、グロピウスさん。これは、フランクフルト・アム・マインにあるマッシミリアーノ・フクサス設計によるアーケード。
階段室の開閉できる窓を開けると、こんな感じ。鎖を引いて開閉させるが、意外に軽く引くことが出来る。
記念だから、この有名な角度からの写真も撮ってきました。東ドイツ時代には、これまた痕跡を残さないほど改築されていたんだけど、当時の姿を復元。こまけぇなぁ、と思ったのは、わざわざ壁に埋め込まれた一階部分の庇からの縦樋。でも、微妙に色が違うから目立つ。
マイスターハウス
ガイドツアーの女性が、ここでもフランクフルトキッチンが使われている、という話をしたので、ハウス アム ホルンの時にもそういう説明をしていたなぁ、と思ったので聞いてみた。
フランクフルトキッチンというのはたしか、エルンスト・マイがフランクフルトで建設した集合住宅に利用して普及させたものだと思うのだけど、それは商品化されていたの???
ところが、どうやら女性の動きに合わせたニュータイプのキッチンを、当時はフランクフルターキッチンといったらしい。なるほどね。
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