2013年1月12日土曜日

アドルフ・ロース 1

最近、ロースについて読んでいる。
今後、彼について、備忘録風に、たまたま目についたこと、思ったことを気楽に綴っていこうと思う。

ロースはヒストリズムを否定してはいない。1898年に書かれたDer Neue Styl und die Bronze/Industrieは非常に面白い。この中で、今までに存在するものは、そのままそれをコピーすればよい、しかし、古いものを、新しい要求に従って作るかえることは許されない。従って、何かを作るときには、コピーをするか、もしくは全く新しいものを作り出すかだ、といっている。ということは、新しいものを作るときに古いスタイルを踏襲することほど、ものづくりを愚弄する行為はないのだ。Gesammelte Schriften S.63

万国博覧会に言及している文章が非常に多い。
また、ウィーン万博のみでなく、パリ、シカゴでの万博について言及することも多い。万博というのは当時の時代を代表する気分だったのだろう。
ウィーンのヒストリズムは、旧市街環状線上での建設ブーム、万国博覧会という実験場を得て壮麗な都市景観を今に伝える。このヒストリズムがワーグナー、ゼセッションへと続く運動の基礎を作ったのは間違いない。しかしそれらは、装飾の線上で展開し、新たな装飾へと向かわせた。ここにオルブリッヒの悲劇があったような気がしてならない。

ところで、ロースは、万国博覧会でのハーゼナウアーによるロトンダにも幾たびか言及しているが、それらを通して、ゼンパーの被覆の概念に影響を受けている。
このことから、たびたび服飾やモードについても言及することになったのだろう。建築のファサードは、ロースの中で、ある種のマスクとなり、それは、虚構を表すものではなく、社会に向き合う人間の表情となる、つまり社交する紳士としての顔だ。しかし、マスクの内側は、全くのプライベート空間だ。そこで起こることは、極論すると、外観と、ダイレクトな関係は持たなくてもよい。
さらにいうなら、個々の部屋でさえ同じことが言える。例えば、人々は様々な家具を様々な職人から買い集めるが、それらはもちろんばらばらなテイストから成り立っている。それでも違和感がないのはなぜか?それは、同時代のスタイルによっているからなのだ。服だってそうだ。靴下とか、ズボンとか、全て同じブランドのものを身に着けるだろうか?それと同じように、部屋だって、その部屋ごとの要求に従って計画されるべきなのだ。Gesammelte Schriften S.69


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