2013年1月13日日曜日

ザムルング シャーク

今日は、午前中の空時間を利用して、長男とシャーク美術館を訪問。
息子は、日々の努力が実り、神話が好きと公言しています。とはいえ、行く前はつまらないから行きたくない、と渋っていたものの(どこにいくにしても必ずそう言う)、帰りには面白かったと言ってくれました。

その中でも、僕たちのお気に入りは、絵画作品3つと一人の作家。

1.キリスト教化するゲルマン民族
この作品の詳細なタイトルも、いわんや作者など全く記憶していませんが、この絵の前で随分と色々話しました。この絵の中には色々なシーンが時代を問わず、場所を問わず詰めあわされていて、お菓子詰め合わせならぬ、布教活動詰め合わせ。
ところが、息子には中央に赤ちゃんのキリストとマリアがいるのに、その横では十字架を手にして布教活動している人物がいることが理解できず、言った言葉が、その人物はヨーゼフじゃないの?。
マリアに抱かれたキリストは、指を二本たてて、跪く騎士に掲げています。これはどうしてこんなことしているの?ウルトラマン・ゼロと一緒じゃん!?といいます。なるほど、戦うポーズをとるゼロと同じ指の立て方。違いは、というと、ゼロの指は敵の動きを素早く探知する触覚のような働きをするけれど、キリストの指はビビビっとソールが放出されていること。受動と能動。
左のほうには熊の毛皮をかぶった大男が宣教師の話に耳を傾けています。こんな人、どっかでみたことあったねぇ。するとヘラクレス!と即答する息子。昔は動物の毛皮を着て、その力が自分に宿ることを期待していました。ところが、神の存在を知った人は、毛皮を脱ぎ捨ててしまう。宮崎ワールドの否定。

2.魔王
人一倍怖がりなくせに、怖いものに興味を惹かれてしまう息子。この魔王も、食い入るように眺めていました。残念ながらその場ではErlkönigが魔王を意味するということを知らず、後光が差していることから、夢くい人みたいだね、なんて素っ頓狂なことを言っていました。
これはシュノア・フォン・カロルスフェルドという画家の作品。この愛嬌のあるキャラの描き方とか、重力を無視した異次元界の住人が、妙にフィジカルに書かれているところに自分は惹かれました。これは個人的にAltdorferに惹かれる理由に近い。あと、動きのあるシーンなのに何故か彫像めいた静止画風な描き方にも、やはりAltdorferとCranachを連想。



3.トリトンとネーレーイス
最初は、ネーレーイスがトリトンで、トリトンがネーレーイスかと思っていました。蛇をネッコロガッテ片手で掴んでしまっているネーレーイスの発揮する、女性的でありながら、超人的な神の力。その傍らで呑気にほら貝を吹くトリトン。この何もかもが自分には理解不能な世界は何なのでしょう。
この原初的世界風景で、まだ存在するはずのない生物が描かれている。それがつまり神? 神とは、荒々しい火山活動や、彗星が衝突しまくっていた創生期の地球の姿を具現化したもの? このように、ぽっこりイコンとして生れ落ちたものが神々であるのなら、実際に地球から芽生え、進化し現在の姿をしている人間は、神々の末裔に違いない。そしてそんな太古の記憶が、息子がこの絵に惹かれる理由のような気がしてならない。


4.Moritz von Schwind
息子と自分が一番楽しませてもらったのが、この人の絵画でした。想像・神話と現実が、あまりにもダイレクトに結び付けられた絵画群は妙な浮遊感を感じさせ、その不思議感覚について、これはああなんじゃないか、あれはそうなんじゃないか、と話し始めると、全く飽きることがない。そして、息子の想像の飛躍をこれらの絵は吸収して、かつこちらにまた打ち返してくる、そんな絶妙な間とちょっとしたユーモアが彼の作品群にはありました。もちろんそれらはある寓話や説話に基づいて描かれているけれど、そんな知識は、とんと必要なかったです。

そのほか、カール5世や、オデュッセウスなどについても色々話しました。また神々に会いたくなったら、この美術館とビラ・シュトックへ行ってきます。

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