現在、日本のアトリエ・バウワウ(アトリエ・ワン)と計画を進めている、ミュンヘンに建つ学生寮について、途中経過を報告したい。
この計画ではバウワウが基本設計を行い、私たちの事務所が実施設計を請け負っている。
施主は、シュドハウスバウという、ミュンヘンを中心に、不動産経営をしている会社。建物の企画から基本計画書、設計管理に、賃貸からの利益を一手におこなう、しかも家族経営の会社である。
http://www.suedhausbau.de/index.php?id=454
上記URLにプロジェクトの紹介がされているのでご参照いただきたい。
この建物では、ドイツ語ではエルカーという、出窓が設計のアクセントとなっている。
また、パッシブハウスの基準を満たすため、16センチのコンクリートに24センチの断熱材が貼り付けられている。
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私は現在、中庭に面する基礎部分の詳細図を描いています。地下が駐車場になっているので、中庭の防水、植栽のための土かぶり厚さ、ガラスファサードなど、が現在のテーマです。
先日は、屋上道路側出窓の確認申請図面における認識のずれをミュンヘンの建築庁に指摘され、配置図を再度作成し、提出してきました。さて、どうなることやら。
ミュンヘンでは道路斜線や北側、敷地斜線に相当するセットバック面積、という法規があるのですが、そのコメントの多さから、全てを把握するのは法律家でも難しい、とは所長の談で、なるほど、法規のページ数だけでもゆうに50ページほどあります。しかし、改めて、この法規を十分に理解していないと、後々面倒なことになるな、ということを認識させられました。
この学生住宅、ミュンヘン・ドイツの新聞メディアでもたびたび取り上げられています。
あるメディアでは、この計画が地域委員会で大いに歓迎されたことが取り上げられました。この建物には、キャラクターがあり、将来的に地域を演出するような顔となるだろう、と。
ところで、メディアも結構いい加減なもので、色々間違ったことを書き立てます。スーパーマーケットが地下にあるとか、学生部屋の数が違うとか、家賃が公表されたものと違うとか。
家賃ということでいえば、あるメディアは、この建物が立地する地域のジェントリフィケーションの先駆けになってしまうのではないか、と書きました。
CSUのある議員は、この建物はこの地域の価値をあげるだろう、と賛辞を述べたのですが、そこに噛み付いたのです。何人かのSPDの議員は、この建物には子供の遊ぶ場所がない、スーパーの窓が大きすぎる、そしてなんといっても、家賃が高く、この地域のジェントリフィケーションの先駆けになる、と警告します。そもそも党によってこのように意見が統制されていることがちょっと気に食わないのですが、この意見を受けて、シュド・ハウス・バウは、この家賃はミュンヘンの学生寮の相場からは大きく外れてはいない、と反論しています。
そもそも、学生を引き入れる計画に物申す意見としてジェントリフィケーションというのは妥当なものなのかどうか。私の感想では、駒場、早稲田や、ソルボンヌの立地するカルティエ・ラタンなどは、賑わいを見せこそすれ、学生の街となることによるジェントリフィケーションてあんまりイメージが湧かないのですがどうなのでしょうか。そもそも、学生って裕福な人もいるでしょうが、基本、貧乏だと思うのですが。。。。
これからどうなっていくのでしょう。また進展があり次第、報告したいと思います。
JA 最新号、88号 year bookにて、事務所の所長、ハンネス・レスラー氏がエッセイを執筆しました。自分は翻訳を担当し、非常に大変な作業でしたが、最終的にはなかなか面白いものになったと思います。是非、ご覧ください。
http://www.japan-architect.co.jp/jp/new/book.php?book=JA
みなさん、よいクリスマスをお過ごしください。
旅について特集したHPを作成中です。 ミュンヘン周辺を中心に、訪問した国、街の基本情報から名所などについて書いています。是非、旅の参考にしてください! 下のリンク 旅色眼鏡からどうぞ! ↓
2012年12月22日土曜日
2012年12月19日水曜日
ビッグプロジェクトの挫折 ハンブルグ・シュツトガルト・ベルリン
南ドイツ新聞より抜粋
「世界中で笑われている」
引き続き、ミュンヘン、持続可能都市への挑戦を翻訳していきたいと考えているが、今日は南ドイツ新聞で興味深い記事を見つけたので、そのことについて書いていきたい。
みなさんもご存知の、ハンブルグに建設中のヘルツォーグ&ド・ムーロンのエルベ・フィルハーモニー、フライ・オットーとインゲンフォーファーの新駅計画、シュツットガルト21、そしてベルリンの空港改築計画。個々の計画についての背景を、実務と論文執筆に追われていたために把握していないが、翻訳・コメントしていきたい。
記事は、ドイツにおけるビックプロジェクトのコストが跳ね上がり、それに比べてロンドンオリンピック計画のコストが積算段階よりも低かったため、これを見本として今後の入札方法を変えていくべきだ、という主旨である。
http://www.sueddeutsche.de/wirtschaft/baustelle-xxl-bauverband-fordert-radikalen-systemwechsel-fuer-grossprojekte-1.1552457
________________________
これらビッグプロジェクトは、コストが明確になるに従って跳ね上がり、大問題となっている。ハンブルグ、エルベフィルハーモニーは、7700万ユーロの予算が5.75億ユーロと7倍近く跳ね上がり、ベルリン空港では25億ユーロが40億ユーロ、シュツットガルト21では49億マルクが60億ユーロ。
市民は、税金を使ったこれらのプロジェクトのコストと建設期限が守られていないことから、抗議行動を起すに至った。一方で建設関係者は、システムの変更と、法律の変更が必要なのではないか、と考えている。ドイツ建設協会の会長ミヒャエル・クニッパー氏は、「世界中が私たちのことを笑っている」と警告する。
彼によると、ドイツの70のビッグプロジェクト、総計すると480億ユーロもの計画がストップされた。何故なら、不透明で、市民をなおざりにした計画のためだ。問題は、公共による建設進行システムの中にある。行政は、終わりなき議論が発生することを恐れて、コストを正確にはじき出すことをためらう傾向がある。
一般的なプロセスは、こうだ。まず、大臣が、大プロジェクトを提案する。そして完成日時が決定され、役人は大まかな契約書を作成する。それに基づき入札が行われ、一番安く入札した業者が落札する。この時点では、様々なことが明確には決定していない。例えば、トンネルはどのように作られるのか、コンクリートの厚さ、などなど。そして建設会社は、追加分を計上する。もし、このような業者のやり口が当初からわかっていたのなら、政治家は計画進行にストップをかけるだろう、例えば、ベルリン空港計画のように。もしくは、受注者と、コストに関しての争いが生じるだろう、例えば、シュツットガルトのように。
だが、多くの建設関係者にとって、最終的に追加コストが発生するのはわかりきっていることであるし、それを期待してもいる。そして、ここに問題がある。
このようにして起こったシュツットガルト21の計画ストップはビッグプロジェクト全般に悪い印象を与えた。その結果、次々とプロジェクトがストップする現象が起きている。
建設協会はこの現象に危惧を感じ、対策が必要であると考えている。計画は、市民、企業、行政が一体となって遂行されなければならない。その前提として、公共建築では入札制度などの、プロセスの透明化が求められる。
そのモデルとして、ロンドンのオリンピック計画が挙げられる。2012年、ロンドンでのオリンピックが開催される前に、オリンピック委員会は、非常に詳細な計画書を作成した。それは14000項目にも及ぶ。
77億円が予算として計上された。これらは、関係諸者とのやりとりを経て、月々新に計算され直された。そして、その詳細は全て、インターネット上で公開されている。その結果、ロンドン市民の10人に9人が、プロジェクトに理解を示した。そして計画は期限通りに建設され、なおかつ、計算よりも数千万ユーロの出費が抑えられた。
このように、計画を進めるべきだ。そのためには、建設会社側に、豊富な経験と、知識が求められる。発注者は幾つかの建設会社を選定し、エンジニアと協働して、コストの詳細を突き詰めていく必要である。
その結果、計上されたコストと、リスクは公開され、判断材料となる。しかし、現在のシステムでは、これを実現するのは難しい。だからこそ、一番安く入札し、経済的に成り立っていないような業者を選定する入札制度を、変えるべきなのだ。
________________________
ちなみに、シュツットガルト21計画とは、テンション構造などで非常に有名なフライ・オットーと建築家、インゲンホーフェンが手を組んだ、構造的に非常に美しい計画です。構造と採光の融合、駅の屋根を使った屋上庭園は市民に開放され、パウル・ボナーツ設計の旧駅舎と反対側に位置する公園を結びつけます。様々なものがいくつもの機能を付加され、そこに建築物が立ち上がる。いかにも金のかかりそうなデザインですが、しかし、非常に説得力のある計画でもあります。実現されたら、絶対に見に行きたい建物です。
エルベ・フィルハーモニーも、王冠のようなガラスファサードの上層部とずっしりとした基壇部がエルベの水面からそそり立っている、有無をいわさずかっこいい建築です。このガラスのファサードパネルが気合のはいった造形をしていて、縦横に使用されている曲面ガラスも非常にコストが掛かっていることが一目瞭然です。これも建設終了したら、まだいったことのないハンブルグを訪問がてら絶対に見たい建物です。
今回、このブログでこの記事を取り上げた理由は、これらの計画が、今なぜストップしているのかを明確にするため、そして、より市民に開かれ、そして市民の参加することのできるような計画プロセス確立に向けての動きが芽生えている、と感じたからです。それらは、以前にも、そして近日中にもまた翻訳を再開したい、ミュンヘンの、「持続可能性都市への挑戦」で、また、仙台にて復興に向けて尽力されている南部繁樹氏の記事を拝読させていただいたときにも非常に強く感じました。
ところで、私自身は建築家のはしくれなので、上記の非常に素晴らしい建築がストップして、あまつさえ、完全に中断してしまう可能性があるのは非常に心苦しい。問題は設計にあるのではなく、業者と行政との、やりとりの不透明性のみにあると考えたいが、そういうわけにもいかないだろう。
ところでロンドン・オリンピックでは、月々積算を更新したそうだが、これは大変な作業量になるだろう。私は現在、設計ツールとしてヴェクターワークスを使用しているが、BIM(Building Information Modeling)を取り入れるかどうか、現在携わっている学生寮設計の初期段階で議論となった。もし、この3Dモデリングデータ情報とでもいうべき手法がより身近なものとなれば、ひょっとしたら積算の逐次更新も容易になるかもしれず、そうなることは、設計者にとっても、施主にとっても喜ばしいことだと思う。
一方で、このプロセスが複雑化するようなことになれば、若い建築家が公共建築を設計する機会を、熟練した大事務所に奪われることになりかねない。また、公共建築物の、建設費のみに着目した議論ではなく、共有価値としての、シンボルとしての価値も吟味され、広く議論の対象となるような、そういったシステムを構築していただきたいと思う。
「世界中で笑われている」
引き続き、ミュンヘン、持続可能都市への挑戦を翻訳していきたいと考えているが、今日は南ドイツ新聞で興味深い記事を見つけたので、そのことについて書いていきたい。
みなさんもご存知の、ハンブルグに建設中のヘルツォーグ&ド・ムーロンのエルベ・フィルハーモニー、フライ・オットーとインゲンフォーファーの新駅計画、シュツットガルト21、そしてベルリンの空港改築計画。個々の計画についての背景を、実務と論文執筆に追われていたために把握していないが、翻訳・コメントしていきたい。
記事は、ドイツにおけるビックプロジェクトのコストが跳ね上がり、それに比べてロンドンオリンピック計画のコストが積算段階よりも低かったため、これを見本として今後の入札方法を変えていくべきだ、という主旨である。
http://www.sueddeutsche.de/wirtschaft/baustelle-xxl-bauverband-fordert-radikalen-systemwechsel-fuer-grossprojekte-1.1552457
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これらビッグプロジェクトは、コストが明確になるに従って跳ね上がり、大問題となっている。ハンブルグ、エルベフィルハーモニーは、7700万ユーロの予算が5.75億ユーロと7倍近く跳ね上がり、ベルリン空港では25億ユーロが40億ユーロ、シュツットガルト21では49億マルクが60億ユーロ。
市民は、税金を使ったこれらのプロジェクトのコストと建設期限が守られていないことから、抗議行動を起すに至った。一方で建設関係者は、システムの変更と、法律の変更が必要なのではないか、と考えている。ドイツ建設協会の会長ミヒャエル・クニッパー氏は、「世界中が私たちのことを笑っている」と警告する。
彼によると、ドイツの70のビッグプロジェクト、総計すると480億ユーロもの計画がストップされた。何故なら、不透明で、市民をなおざりにした計画のためだ。問題は、公共による建設進行システムの中にある。行政は、終わりなき議論が発生することを恐れて、コストを正確にはじき出すことをためらう傾向がある。
一般的なプロセスは、こうだ。まず、大臣が、大プロジェクトを提案する。そして完成日時が決定され、役人は大まかな契約書を作成する。それに基づき入札が行われ、一番安く入札した業者が落札する。この時点では、様々なことが明確には決定していない。例えば、トンネルはどのように作られるのか、コンクリートの厚さ、などなど。そして建設会社は、追加分を計上する。もし、このような業者のやり口が当初からわかっていたのなら、政治家は計画進行にストップをかけるだろう、例えば、ベルリン空港計画のように。もしくは、受注者と、コストに関しての争いが生じるだろう、例えば、シュツットガルトのように。
だが、多くの建設関係者にとって、最終的に追加コストが発生するのはわかりきっていることであるし、それを期待してもいる。そして、ここに問題がある。
このようにして起こったシュツットガルト21の計画ストップはビッグプロジェクト全般に悪い印象を与えた。その結果、次々とプロジェクトがストップする現象が起きている。
建設協会はこの現象に危惧を感じ、対策が必要であると考えている。計画は、市民、企業、行政が一体となって遂行されなければならない。その前提として、公共建築では入札制度などの、プロセスの透明化が求められる。
そのモデルとして、ロンドンのオリンピック計画が挙げられる。2012年、ロンドンでのオリンピックが開催される前に、オリンピック委員会は、非常に詳細な計画書を作成した。それは14000項目にも及ぶ。
77億円が予算として計上された。これらは、関係諸者とのやりとりを経て、月々新に計算され直された。そして、その詳細は全て、インターネット上で公開されている。その結果、ロンドン市民の10人に9人が、プロジェクトに理解を示した。そして計画は期限通りに建設され、なおかつ、計算よりも数千万ユーロの出費が抑えられた。
このように、計画を進めるべきだ。そのためには、建設会社側に、豊富な経験と、知識が求められる。発注者は幾つかの建設会社を選定し、エンジニアと協働して、コストの詳細を突き詰めていく必要である。
その結果、計上されたコストと、リスクは公開され、判断材料となる。しかし、現在のシステムでは、これを実現するのは難しい。だからこそ、一番安く入札し、経済的に成り立っていないような業者を選定する入札制度を、変えるべきなのだ。
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ちなみに、シュツットガルト21計画とは、テンション構造などで非常に有名なフライ・オットーと建築家、インゲンホーフェンが手を組んだ、構造的に非常に美しい計画です。構造と採光の融合、駅の屋根を使った屋上庭園は市民に開放され、パウル・ボナーツ設計の旧駅舎と反対側に位置する公園を結びつけます。様々なものがいくつもの機能を付加され、そこに建築物が立ち上がる。いかにも金のかかりそうなデザインですが、しかし、非常に説得力のある計画でもあります。実現されたら、絶対に見に行きたい建物です。
エルベ・フィルハーモニーも、王冠のようなガラスファサードの上層部とずっしりとした基壇部がエルベの水面からそそり立っている、有無をいわさずかっこいい建築です。このガラスのファサードパネルが気合のはいった造形をしていて、縦横に使用されている曲面ガラスも非常にコストが掛かっていることが一目瞭然です。これも建設終了したら、まだいったことのないハンブルグを訪問がてら絶対に見たい建物です。
今回、このブログでこの記事を取り上げた理由は、これらの計画が、今なぜストップしているのかを明確にするため、そして、より市民に開かれ、そして市民の参加することのできるような計画プロセス確立に向けての動きが芽生えている、と感じたからです。それらは、以前にも、そして近日中にもまた翻訳を再開したい、ミュンヘンの、「持続可能性都市への挑戦」で、また、仙台にて復興に向けて尽力されている南部繁樹氏の記事を拝読させていただいたときにも非常に強く感じました。
ところで、私自身は建築家のはしくれなので、上記の非常に素晴らしい建築がストップして、あまつさえ、完全に中断してしまう可能性があるのは非常に心苦しい。問題は設計にあるのではなく、業者と行政との、やりとりの不透明性のみにあると考えたいが、そういうわけにもいかないだろう。
ところでロンドン・オリンピックでは、月々積算を更新したそうだが、これは大変な作業量になるだろう。私は現在、設計ツールとしてヴェクターワークスを使用しているが、BIM(Building Information Modeling)を取り入れるかどうか、現在携わっている学生寮設計の初期段階で議論となった。もし、この3Dモデリングデータ情報とでもいうべき手法がより身近なものとなれば、ひょっとしたら積算の逐次更新も容易になるかもしれず、そうなることは、設計者にとっても、施主にとっても喜ばしいことだと思う。
一方で、このプロセスが複雑化するようなことになれば、若い建築家が公共建築を設計する機会を、熟練した大事務所に奪われることになりかねない。また、公共建築物の、建設費のみに着目した議論ではなく、共有価値としての、シンボルとしての価値も吟味され、広く議論の対象となるような、そういったシステムを構築していただきたいと思う。
2012年12月15日土曜日
ミュンヘン、持続可能都市への挑戦 (5) 再構築-推奨
再構築 - 推奨
1.新しい価値感の創出
混合は、分離よりも面白い
都市計画行政も、マーケットも、異種用途、機能を分離する傾向が強い。問題発生を避けるほうが、混合による相乗効果を期待するよりも重要とみなされている。しかし、思考の転換が求められる。個々の空間的、機能的な特性に価値をおき、そしてその各々が発展されるべきなのだ。
量よりも質
短期的利潤の追求は、自動的に単一タイポロジー、単一機能へと帰結する。地域の全体的なスクラップ・アンド・ビルドや、地域を新しく囲い込むよりも、長期的なビジョン、新しい付加価値モデルの創出が必要だ。
既存リソースの再評価
再構築は既存リソースの再評価から始まり、かつ、再評価発展して、その先に新しさは生まれる。分散や多様性は従来の思考方法ではデサインすることは難しい。それらは、既存物との、その場に即した、そして創造的な取り組みによって生まれる。
公と私の結合
斬新な空間的アイディアや、平凡な場へ新しい息吹を吹き込むものは、時として非公式な使用や一時的な活動である。これらを公的な発展プロセスへ組み込むべきである。
2.全体的都市理論の促進
与えられたものとは何か
混合型への再構築を、全体的都市戦略へとスムーズに移行させるために、対象となる商業地域の分析が必要となる。
対話/結合の促進
ある地域の関係者へ、混合居住区の発展目標をより良く理解してもらうためには、積極的な対話、そして部門を越えた理論が必要になる。そこでは、様々な都市の様相(都市計画、緑地計画、文化、社会など)が渾然一体となって議論される。
公的調整機関の設置
再構築を調整するために共同体的調整機関が設置されるべきだ。この機関は各地域情報を蓄積し、大枠の目標設定や土地所有者とのコンタクトを構築し、様々な所有者、使用者、共同体の興味を相互に結びつける。
3.新たな行政、コントロール
都市と発展の協調プランニング
新しい地域は、対立からは生まれない。必要なのは、協働から新たなチャンスと可能性が生まれるという、共通認識だ。それらは、参加者の先見性を要求する。特別地域では、建築、ランドスケープ計画、計画権利、不動産経済などの分野から結成された専門家チームと計画を推進することができる施設が計画される。
計画事務所
全ての専門領域を、その場で即座に話し合うことができる計画事務所があれば、間違いなく計画のスピードを上げることが出来る。土地所有者は、このようにして行政機関の中に掛かりつけの相談者を持つことができる。
計画をコントロール・迅速化するための公的不動産
再構築の枠の中で、立地、不動産と、部分プロジェクトの大きさとその価値は重要な要因である。公共による大規模な土地所有は、土地の交換、補償として利用することができる。例えば、再構築にそぐわないような商店、企業などはこれらを利用して移設することができる。
緑地としての公的不動産
小分割、複雑な建築規定によって、小規模プロジェクトでは適切な緑地計画をすることが難しくなっている。そこで公的不動産は、レクリエーション、自然の補完、そして特に都市の気温調整などに活用される。
4.クリエイティブな計画と発展
ダイナミックな、プロセス計画
混在型居住への再構築は、決して平坦な道のりではなく、長期的視点を必要とする。プロセス重視の発展計画によって、各小地域の個性的なダイナミズムが大枠の計画と同調する。そのために必要な基本的条件も、同時に決定される。
様々なスケール
再構築のプロセスにおいて、同時進行的な、分野を超えた、様々なスケールでの活動が必要となる。
様々な活動の場:トップダウンと、ボトム・アップ
計画には強い印象を与える、ビジョンが必要となる。その一方で、そのビジョンには、生き生きとした意見を取り入れるべく、自由裁量の可能な余地が含まれていなければならない。
自由裁量の可能な建築法規
法律によって規定されている自由裁量の可能性は大いに活用されなければいけない。計画と関連したBプランは、そのためのツールとして、その可能性の範囲を決定づける。
リスクマネージメントの活用
再構築の過程では、法的衝突は避けられない。よくある例として、ある土地の所有者が、新規計画による新たな用途、これまでと異なる容積率、建物の型によって、彼らの土地の減価や汚染を心配する。このような事象は好ましいものではないとはいえ、回避するべきではない。なぜなら、それらは用途の混在ではなく分離へと発展する可能性があるからだ。
パイロット・プロジェクトの実行
パイロット・プロジェクトを実行するにあたって、行政は、土地や不動産の所有者が再構築プロセスをよりよく理解するために、そして、彼らをプロジェクトのパートナーとして獲得するために、特別なプログラムを実施する。例えば、パイロット・プロジェクト作成の過程で、展示会やフォーラム、小冊子などで紹介する。そして成功した再構築の過程を、様々な場で議論し、交流の輪を広げていく。
1.新しい価値感の創出
混合は、分離よりも面白い
都市計画行政も、マーケットも、異種用途、機能を分離する傾向が強い。問題発生を避けるほうが、混合による相乗効果を期待するよりも重要とみなされている。しかし、思考の転換が求められる。個々の空間的、機能的な特性に価値をおき、そしてその各々が発展されるべきなのだ。
量よりも質
短期的利潤の追求は、自動的に単一タイポロジー、単一機能へと帰結する。地域の全体的なスクラップ・アンド・ビルドや、地域を新しく囲い込むよりも、長期的なビジョン、新しい付加価値モデルの創出が必要だ。
既存リソースの再評価
再構築は既存リソースの再評価から始まり、かつ、再評価発展して、その先に新しさは生まれる。分散や多様性は従来の思考方法ではデサインすることは難しい。それらは、既存物との、その場に即した、そして創造的な取り組みによって生まれる。
公と私の結合
斬新な空間的アイディアや、平凡な場へ新しい息吹を吹き込むものは、時として非公式な使用や一時的な活動である。これらを公的な発展プロセスへ組み込むべきである。
2.全体的都市理論の促進
与えられたものとは何か
混合型への再構築を、全体的都市戦略へとスムーズに移行させるために、対象となる商業地域の分析が必要となる。
対話/結合の促進
ある地域の関係者へ、混合居住区の発展目標をより良く理解してもらうためには、積極的な対話、そして部門を越えた理論が必要になる。そこでは、様々な都市の様相(都市計画、緑地計画、文化、社会など)が渾然一体となって議論される。
公的調整機関の設置
再構築を調整するために共同体的調整機関が設置されるべきだ。この機関は各地域情報を蓄積し、大枠の目標設定や土地所有者とのコンタクトを構築し、様々な所有者、使用者、共同体の興味を相互に結びつける。
3.新たな行政、コントロール
都市と発展の協調プランニング
新しい地域は、対立からは生まれない。必要なのは、協働から新たなチャンスと可能性が生まれるという、共通認識だ。それらは、参加者の先見性を要求する。特別地域では、建築、ランドスケープ計画、計画権利、不動産経済などの分野から結成された専門家チームと計画を推進することができる施設が計画される。
計画事務所
全ての専門領域を、その場で即座に話し合うことができる計画事務所があれば、間違いなく計画のスピードを上げることが出来る。土地所有者は、このようにして行政機関の中に掛かりつけの相談者を持つことができる。
計画をコントロール・迅速化するための公的不動産
再構築の枠の中で、立地、不動産と、部分プロジェクトの大きさとその価値は重要な要因である。公共による大規模な土地所有は、土地の交換、補償として利用することができる。例えば、再構築にそぐわないような商店、企業などはこれらを利用して移設することができる。
緑地としての公的不動産
小分割、複雑な建築規定によって、小規模プロジェクトでは適切な緑地計画をすることが難しくなっている。そこで公的不動産は、レクリエーション、自然の補完、そして特に都市の気温調整などに活用される。
4.クリエイティブな計画と発展
ダイナミックな、プロセス計画
混在型居住への再構築は、決して平坦な道のりではなく、長期的視点を必要とする。プロセス重視の発展計画によって、各小地域の個性的なダイナミズムが大枠の計画と同調する。そのために必要な基本的条件も、同時に決定される。
様々なスケール
再構築のプロセスにおいて、同時進行的な、分野を超えた、様々なスケールでの活動が必要となる。
様々な活動の場:トップダウンと、ボトム・アップ
計画には強い印象を与える、ビジョンが必要となる。その一方で、そのビジョンには、生き生きとした意見を取り入れるべく、自由裁量の可能な余地が含まれていなければならない。
自由裁量の可能な建築法規
法律によって規定されている自由裁量の可能性は大いに活用されなければいけない。計画と関連したBプランは、そのためのツールとして、その可能性の範囲を決定づける。
リスクマネージメントの活用
再構築の過程では、法的衝突は避けられない。よくある例として、ある土地の所有者が、新規計画による新たな用途、これまでと異なる容積率、建物の型によって、彼らの土地の減価や汚染を心配する。このような事象は好ましいものではないとはいえ、回避するべきではない。なぜなら、それらは用途の混在ではなく分離へと発展する可能性があるからだ。
パイロット・プロジェクトの実行
パイロット・プロジェクトを実行するにあたって、行政は、土地や不動産の所有者が再構築プロセスをよりよく理解するために、そして、彼らをプロジェクトのパートナーとして獲得するために、特別なプログラムを実施する。例えば、パイロット・プロジェクト作成の過程で、展示会やフォーラム、小冊子などで紹介する。そして成功した再構築の過程を、様々な場で議論し、交流の輪を広げていく。
ミュンヘン、持続可能都市への挑戦 (4) 再構築-他地域への応用
他地域への応用可能性とは、ケーススタディーされた地域と似通った地域へ、そのまま建築や緑地計画を適用することではない。ここでは、以下のように定義する。
どのような素晴らしい計画でも、土地や建物の所有者に受け入れてもらえない、建物の解体費が高すぎるなど、その地域に再構築に対応するキャパシティーがなければ計画の遂行は不可能だ。
そこで、ケーススタディーされた地区において、様々なバロメーター、例えば、騒音、既存建物の状態、容積率、立地、所有形態などを分類、分析し、それらがどのように再構築へ影響を与えるかを調査する。最終的には各バロメーターごとに導き出された図を重ね合わせた。
この最終図は、将来的な、商住混合地域への再構築ポテンシャルを可視化する。
上図は、あるケーススタディー地域で、各バロメーター毎に作成された濃淡図。例えば、左上端の図はランドスケープポテンシャルを示し、色が濃いほど再構築が難しいことを示す。
上図は、全てのバロメーターが重ねあわされた図。同様に、色が濃いほど再構築が難しいく、明るい場所は比較的再構築しやすいことを示す。
再構築は、基本的には、所有形態が多様であるため、各敷地ごとに行われる。
変遷バロメーターは、再構築のプロセスがどのように最適化されていくべきなのか、ヒントを与えてくれる。例えば、開発地域に隣接する地域では何が起こるか、そして建築は周辺地域との関係においてどのように作り変えられるべきなのか、どのような計画を遂行するための権利が必要とされるのか、そして、どのような相互作用が広域的に発生するか、など。
どのような素晴らしい計画でも、土地や建物の所有者に受け入れてもらえない、建物の解体費が高すぎるなど、その地域に再構築に対応するキャパシティーがなければ計画の遂行は不可能だ。
そこで、ケーススタディーされた地区において、様々なバロメーター、例えば、騒音、既存建物の状態、容積率、立地、所有形態などを分類、分析し、それらがどのように再構築へ影響を与えるかを調査する。最終的には各バロメーターごとに導き出された図を重ね合わせた。
この最終図は、将来的な、商住混合地域への再構築ポテンシャルを可視化する。
上図は、あるケーススタディー地域で、各バロメーター毎に作成された濃淡図。例えば、左上端の図はランドスケープポテンシャルを示し、色が濃いほど再構築が難しいことを示す。
上図は、全てのバロメーターが重ねあわされた図。同様に、色が濃いほど再構築が難しいく、明るい場所は比較的再構築しやすいことを示す。
再構築は、基本的には、所有形態が多様であるため、各敷地ごとに行われる。
変遷バロメーターは、再構築のプロセスがどのように最適化されていくべきなのか、ヒントを与えてくれる。例えば、開発地域に隣接する地域では何が起こるか、そして建築は周辺地域との関係においてどのように作り変えられるべきなのか、どのような計画を遂行するための権利が必要とされるのか、そして、どのような相互作用が広域的に発生するか、など。
2012年12月9日日曜日
ミュンヘン、持続可能都市への挑戦 (3) 再構築
計画の出発点と目的
ほぼ単一用途地区であった商業地区へ、新しい形の住労混合型の都市空間を実現する。
しかし、混合型居住地区への再構築は抵抗が強い。
その理由として挙げられるのは、相反する希望、複雑な所有形態、多様なビルディングタイプ、インフラの整備、様々なかたちでの汚染等で、これらが重複して、計画の遂行を困難にしている。
しかし、商業者へ将来のパースペクティブを明確に示唆することで安心感を与え、新旧居住者には可能な限り快適な住居提供を保証することにより混合地区への促進を図る。
以上の目的のもと、ミュンヘン、オーバーゼンドリング地区からケーススタディー地域を選定し、提案を行う。この提案は、この選定地域と似通った他の地域でも参照されることとなる。
方法
提案は五つの段階を経て行われる。
1.現状分析
地域変遷に必要不可欠な指標を設定し、それに基づき様々なパラメーターを重ね合わせることによって、スタディー地域の変遷可能性を明らかにする。
2.スタディー地域のプランコンセプト
ミュンヘン南西部の三地域をスタディー地域として選定し、テストプランを作成することで、居住地域としての発展ポテンシャルと、発展阻害要因が評価される。
3.交渉へのモデルと計画
段階的な実行には、全計画地域及びその各部分において、計画のコントロールと交渉の際に用いられる実行戦略作成が必要である。
4.他地域への応用
テストプランと実行戦略作成によって得られた知見によって、他地域へも応用可能な交渉モデルが確立される。
5.推奨
その結果、混在型居住地域への再構築プロセスが明示され、かつ推奨される。
ほぼ単一用途地区であった商業地区へ、新しい形の住労混合型の都市空間を実現する。
しかし、混合型居住地区への再構築は抵抗が強い。
その理由として挙げられるのは、相反する希望、複雑な所有形態、多様なビルディングタイプ、インフラの整備、様々なかたちでの汚染等で、これらが重複して、計画の遂行を困難にしている。
しかし、商業者へ将来のパースペクティブを明確に示唆することで安心感を与え、新旧居住者には可能な限り快適な住居提供を保証することにより混合地区への促進を図る。
以上の目的のもと、ミュンヘン、オーバーゼンドリング地区からケーススタディー地域を選定し、提案を行う。この提案は、この選定地域と似通った他の地域でも参照されることとなる。
方法
提案は五つの段階を経て行われる。
1.現状分析
地域変遷に必要不可欠な指標を設定し、それに基づき様々なパラメーターを重ね合わせることによって、スタディー地域の変遷可能性を明らかにする。
2.スタディー地域のプランコンセプト
ミュンヘン南西部の三地域をスタディー地域として選定し、テストプランを作成することで、居住地域としての発展ポテンシャルと、発展阻害要因が評価される。
3.交渉へのモデルと計画
段階的な実行には、全計画地域及びその各部分において、計画のコントロールと交渉の際に用いられる実行戦略作成が必要である。
4.他地域への応用
テストプランと実行戦略作成によって得られた知見によって、他地域へも応用可能な交渉モデルが確立される。
5.推奨
その結果、混在型居住地域への再構築プロセスが明示され、かつ推奨される。
クラウ名誉教授とのお茶
今日は、博士論文を指導していただいたクラウ名誉教授を家に招待し、お茶を飲んだ。我が家は新生児がいるので、ご足労願ったわけだが、教授も現在は退官されていることもあり、また、先日、金曜日に、ベルリンで携わっておられたプロジェクトを終了されていたこともあって、非常にリラックスしておられた。また、昼飯を食べないことで叱られ、不機嫌な長男にも暖かく接していただけた。
教授には、日本で購入してきた急須と湯のみ、そして芥川龍之介の“羅生門”を感謝の気持ちとして進呈し、非常に喜んでいただけたのでとても嬉しい。
ところで、先日終えたというベルリンでの仕事というのは、かつてのIBAの建物群を、いかに外観を変えないで、現在の断熱性能などを与えることが出来るのか、という調査報告書であったらしい。非常に短いスパンでの仕事であったらしく、通常なら一年ぐらいかけてこなす仕事量を、3ヶ月でこなしたので大変だったそうだ。教授は退官されておるので、もう仕事は請け負わない、と冗談交じりに言っておられたが、矍鑠とされておるので、また打診があれば何かされるのではないだろうか。個人的にはなにかしていただいて、その話をまた伺いたいと考えているのだが。
このIBAの建築群は1950年代後半に建てられたとおっしゃっておられたが、当然、グロピウスや先日なくなってしまったニーマイヤーなど、有名建築家が設計しており、しかし、その当時はもちろん現在の建物性能を満たしていない。例えばバルコーニー、窓枠は断熱性が悪く、この点を、外観を変えないでいかに改善するべきかが課題だそうだ。
幾つかの提案として、内断熱、暖房機器の性能向上、そして、窓枠はある特定の製造業者がいるらしく、将来的には彼らを手を携えて計画を実行に移していかなければいけないのではないか、ということだった。
私も約一年前に、我が家の近くでもあるミュンヘン郊外に建つ、1920年代に建てられた、アルビン・ザイファルトというランドスケープアーキテクトの設計したビッラの改修に携わったことがあるが、この際にも、いかに壁の断熱性能をあげるかを考慮し、地下部分は内断熱プレートを張ったり、窓台を下げるためにどうするかを、所長が苦心していた記憶がある。そしてこれは、保存建築物局との交渉手腕が試される場でもある。私は言葉の壁があったため傍らでこの交渉を傍観しつつ詳細図をひたすら描き続けていたが、今考えれば、貴重な経験でもあった。
そんなこともあり、ヨーロッパは、現在、本当に都市の作り変え、つまりは持続可能な都市へと発展している真っ最中なのだなぁ、と実感せずにはおれなかった。
教授は、年末に初孫が生まれるらしく、我が家の息子たちを目を細めて見守っていただけた。最初は教授の問いかけにもなにも返事を返すことのなかった長男は、次第に自分から話しかけるようになり、最後は私の体を使ったアクロバティックな技を何回も披露していた。しかも、敬語を使わないで、君口調で話しかけているので、ちょっと敬語を使うシチュエーションを教えるいい機会か、と思い、ちょいちょいちょい、と嗜めようとすると、いやいや、話させておきなさい、問題ないわよ、と教授に合図を出されてしまった。教授いわく、やはり息子のほうが完璧なドイツ語を話すそうだ。。。。完全なる敗北です。
教授には、日本で購入してきた急須と湯のみ、そして芥川龍之介の“羅生門”を感謝の気持ちとして進呈し、非常に喜んでいただけたのでとても嬉しい。
ところで、先日終えたというベルリンでの仕事というのは、かつてのIBAの建物群を、いかに外観を変えないで、現在の断熱性能などを与えることが出来るのか、という調査報告書であったらしい。非常に短いスパンでの仕事であったらしく、通常なら一年ぐらいかけてこなす仕事量を、3ヶ月でこなしたので大変だったそうだ。教授は退官されておるので、もう仕事は請け負わない、と冗談交じりに言っておられたが、矍鑠とされておるので、また打診があれば何かされるのではないだろうか。個人的にはなにかしていただいて、その話をまた伺いたいと考えているのだが。
このIBAの建築群は1950年代後半に建てられたとおっしゃっておられたが、当然、グロピウスや先日なくなってしまったニーマイヤーなど、有名建築家が設計しており、しかし、その当時はもちろん現在の建物性能を満たしていない。例えばバルコーニー、窓枠は断熱性が悪く、この点を、外観を変えないでいかに改善するべきかが課題だそうだ。
幾つかの提案として、内断熱、暖房機器の性能向上、そして、窓枠はある特定の製造業者がいるらしく、将来的には彼らを手を携えて計画を実行に移していかなければいけないのではないか、ということだった。
私も約一年前に、我が家の近くでもあるミュンヘン郊外に建つ、1920年代に建てられた、アルビン・ザイファルトというランドスケープアーキテクトの設計したビッラの改修に携わったことがあるが、この際にも、いかに壁の断熱性能をあげるかを考慮し、地下部分は内断熱プレートを張ったり、窓台を下げるためにどうするかを、所長が苦心していた記憶がある。そしてこれは、保存建築物局との交渉手腕が試される場でもある。私は言葉の壁があったため傍らでこの交渉を傍観しつつ詳細図をひたすら描き続けていたが、今考えれば、貴重な経験でもあった。
そんなこともあり、ヨーロッパは、現在、本当に都市の作り変え、つまりは持続可能な都市へと発展している真っ最中なのだなぁ、と実感せずにはおれなかった。
教授は、年末に初孫が生まれるらしく、我が家の息子たちを目を細めて見守っていただけた。最初は教授の問いかけにもなにも返事を返すことのなかった長男は、次第に自分から話しかけるようになり、最後は私の体を使ったアクロバティックな技を何回も披露していた。しかも、敬語を使わないで、君口調で話しかけているので、ちょっと敬語を使うシチュエーションを教えるいい機会か、と思い、ちょいちょいちょい、と嗜めようとすると、いやいや、話させておきなさい、問題ないわよ、と教授に合図を出されてしまった。教授いわく、やはり息子のほうが完璧なドイツ語を話すそうだ。。。。完全なる敗北です。
2012年12月8日土曜日
ミュンヘン、持続可能都市への挑戦 (2)
持続可能居住都市への戦略と方法
ミュンヘン市は2009年下旬に、戦略と方法を広く知らしめるために、そして効率よくこの目標を遂行していくために、3つのチームに都市の分析とその報告書作成を依頼した。
その際の3つの柱は以下の通りである。
1.再構成
2.都市境界部 ランドスケープ
3.高密度化
これらは同時に、ミュンヘンの各都市部、そして隣接する他都市との相互理解のうえになりたつものである。
1.再構成
再構成は、大きくは価値の低下した用途地区の切り替えから、既存構造への新たな用途の挿入など、様々なスケールにて行われる。今回の報告書では、商業地区への住居地区挿入はいかに可能であるか、という点に重点がおかれる。
2.都市境界部 ランドスケープ
ミュンヘン市境界部には、まだ住居地として利用できる敷地が残っているが、そこでは、現存する緑、自然をいかに取り込んで、あるいは存続させて住居地域として発展させるかが課題となる。この点については、新たな居住地区とそれを取り囲む自然との境界部分を、様々な住棟タイプを適宜配置することによって解決する提案を行う。
3.高密度化
ミュンヘン市の、居住地区面積の不足状況を鑑みると、現存する居住地区の高密化を検討せざるを得ない。それらは、戸建て住宅地区、集合住宅地区、ブロック住棟など、ミュンヘンに現存する住戸、住棟形式を用いて解決する提案を行う。
まず、現在の都市構造を分析し把握すること、そして、過去行われてきた都市未来像の提案は、都市の全体像で重要な働きを示す、都市建築のその場での特性を明確に示すことに役立ってきた。
従って、上記に基づいて提示される報告書、及び提案は、今後のミュンヘンの都市計画指標として用いられることが期待され、都市の発展を制御するうえで欠かせないものである。
______________________________________
次回からののブログでは、これら3つの重点について作成された報告書の内容について翻訳していく。
ミュンヘン市は2009年下旬に、戦略と方法を広く知らしめるために、そして効率よくこの目標を遂行していくために、3つのチームに都市の分析とその報告書作成を依頼した。
その際の3つの柱は以下の通りである。
1.再構成
2.都市境界部 ランドスケープ
3.高密度化
これらは同時に、ミュンヘンの各都市部、そして隣接する他都市との相互理解のうえになりたつものである。
1.再構成
再構成は、大きくは価値の低下した用途地区の切り替えから、既存構造への新たな用途の挿入など、様々なスケールにて行われる。今回の報告書では、商業地区への住居地区挿入はいかに可能であるか、という点に重点がおかれる。
2.都市境界部 ランドスケープ
ミュンヘン市境界部には、まだ住居地として利用できる敷地が残っているが、そこでは、現存する緑、自然をいかに取り込んで、あるいは存続させて住居地域として発展させるかが課題となる。この点については、新たな居住地区とそれを取り囲む自然との境界部分を、様々な住棟タイプを適宜配置することによって解決する提案を行う。
3.高密度化
ミュンヘン市の、居住地区面積の不足状況を鑑みると、現存する居住地区の高密化を検討せざるを得ない。それらは、戸建て住宅地区、集合住宅地区、ブロック住棟など、ミュンヘンに現存する住戸、住棟形式を用いて解決する提案を行う。
まず、現在の都市構造を分析し把握すること、そして、過去行われてきた都市未来像の提案は、都市の全体像で重要な働きを示す、都市建築のその場での特性を明確に示すことに役立ってきた。
従って、上記に基づいて提示される報告書、及び提案は、今後のミュンヘンの都市計画指標として用いられることが期待され、都市の発展を制御するうえで欠かせないものである。
______________________________________
次回からののブログでは、これら3つの重点について作成された報告書の内容について翻訳していく。
2012年12月6日木曜日
ミュンヘン、持続可能都市への挑戦 (1)
先日、確認申請庁へ、確認申請図面で不足していた敷地図面を提出してきたときに、“居住地区の持続的発展”という展覧会がひっそりと行われていたので手短に観てきた。とはいえ非常に興味深かったので、これからしばらくレポート調にブログに綴っていきたいと思う。
まず、持続可能都市の模索というのは現在かなり広い範囲で言われている。ETHの教授たちの研究室の紹介でも非常に良く見かけるし、嘗てバイトしていた設計事務所のシェフも、自分の博士論文のテーマについて説明したときに、ミュンヘンは持続可能都市の模索の一つとして、外側にスプロールするのではなく、都心に居住空間を確保していく、都心回帰が今、起こっている、と言っていたことを懐かしく思い出した。
ミュンヘンの確認申請庁というのは、ちょっと変わっていて、その始まりは、たしか、テオドア・フィッシャーのかの有名なシュタッフェル・バウオルドヌングを遂行するためのものとして開設されたように記憶しているが、現在の庁長であるエリザベス・メルク女史や、その前任のタルゴット女史は、かなりアクティブに、都市計画の遂行と、その広報活動に力をいれているように見える。
今回は、この展覧会の目的について、手短にまとめてみようと思う。
Langfristige Siedlungsentwicklung
ミュンヘンの人口は、増加している。これから2030年へかけて、15万人の人口増加が予測される。それに従って、居住地区面積の不足が予想される。過去20年を振り返ると、都心の空地を利用した居住地の拡大を図ってきたが、将来的にはこのような空地がなくなってくるため、今までの成長モデルは通用しなくなってくる。
そこで、都心への回帰を推進することとなる。その目標は以下の通り。
1.土地再利用
2.既存住居建物の再利用
3.空地への新しい建物建造の回避
これらの目標に沿って、都心回帰の可能性について展示会は行われた。
尚、以下の翻訳は、2012年3月出版のパンフレットによる。
Herausgeberin
Landeshauptstadt München
Referat für Stadtplanung und Bauordnung
Projektgruppe Langfristige Siedlungsentwicklung
まず、持続可能都市の模索というのは現在かなり広い範囲で言われている。ETHの教授たちの研究室の紹介でも非常に良く見かけるし、嘗てバイトしていた設計事務所のシェフも、自分の博士論文のテーマについて説明したときに、ミュンヘンは持続可能都市の模索の一つとして、外側にスプロールするのではなく、都心に居住空間を確保していく、都心回帰が今、起こっている、と言っていたことを懐かしく思い出した。
ミュンヘンの確認申請庁というのは、ちょっと変わっていて、その始まりは、たしか、テオドア・フィッシャーのかの有名なシュタッフェル・バウオルドヌングを遂行するためのものとして開設されたように記憶しているが、現在の庁長であるエリザベス・メルク女史や、その前任のタルゴット女史は、かなりアクティブに、都市計画の遂行と、その広報活動に力をいれているように見える。
今回は、この展覧会の目的について、手短にまとめてみようと思う。
Langfristige Siedlungsentwicklung
ミュンヘンの人口は、増加している。これから2030年へかけて、15万人の人口増加が予測される。それに従って、居住地区面積の不足が予想される。過去20年を振り返ると、都心の空地を利用した居住地の拡大を図ってきたが、将来的にはこのような空地がなくなってくるため、今までの成長モデルは通用しなくなってくる。
そこで、都心への回帰を推進することとなる。その目標は以下の通り。
1.土地再利用
2.既存住居建物の再利用
3.空地への新しい建物建造の回避
これらの目標に沿って、都心回帰の可能性について展示会は行われた。
尚、以下の翻訳は、2012年3月出版のパンフレットによる。
Herausgeberin
Landeshauptstadt München
Referat für Stadtplanung und Bauordnung
Projektgruppe Langfristige Siedlungsentwicklung
2012年12月5日水曜日
なぜ、日本を去ったのか
今回、村上龍編集長のメールマガジンに寄稿された経済評論家、水牛健太郎氏の文章を読んで、なぜ、自分は日本を去ろうと思ったのか、非常に強く思い出され、そして共感した。
http://ryumurakami.jmm.co.jp/index.html
たぶん、この文章をコピペすることは法に触れると思うので、要約すると以下のようになる。
主旨は、なぜ、日本経済は改善されないのか、少子化傾向は改善されないのか。
デフレの大きな要因として、少子化があり、少子化の原因には、自己決定権の欠如がある。そして、そのために、人々は、この日本社会が生きるに値しない社会であると感じ、そのために少子化が起こるのではないか、と。
自己決定権の欠如とはなにか、それはつまるところ、日本の企業文化、そしてその中での働き方にあるのではないか。水牛氏は、この企業文化は日本人の若者にとってすら異文化であり、その中で職を得るために、その後晴れて入社した後には、順応するために大きな犠牲を払わなければいけないということに疑問を唱えている。
一方、そういった企業に属さない場合には、社会的弱者として分類され、差別の対象となる。
現在の日本では、自己決定権を有する自由、と豊かさが両立しえない。自由であろうとすると、無力となってしまう。
ところが、人間は、自由であるときに、最大限の力、つまり創造力を発揮する。自由でない人間にはブレークスルーする力など、はなから与えられていないのだ。
筆者は、以下のように、このエッセイを締めくくっている。
“このように考えると、日本経済再生のためには、企業の文化が変わること、それと同時に企業外で働く選択肢が増えること、それによって日本の経済社会において、もっと多くの人が自己決定権を握れるようになること。つまり、日本の経済社会がもっと自由で風通しのよいものになることが決定的に重要だと思います。”
自分が日本で生活していたときに、非常に強く感じたのは、全く水牛氏の述べている生きづらさだった。当時は不満だけが先行し、水牛氏のように言葉にすることさえ憚られた。何故なら、このように考えること自体が、自分の欠点をさらけ出しているように感じていたからだ。それにしても非常に不思議だったのは、同世代の人々が、この社会のあり方を、当たり前の前提条件として受け入れていたことだった。そして、この前提条件を受け入れる、という行為そのものを、一つのステイタス構築の第一歩として、誇りへと摩り替えて自分を納得させているように見えた。
正直にいうと、自分は、これを受け入れられなかった。そして、そういった自分を、一種の落伍者としてみていた部分もあった。息苦しかった。これは、どうにかしなければ、と思った。だから、どうしても日本という国の枠組みから一歩はみだした地点へと、自分をシフトさせたかった。だから、ドイツへ来た当初は、本当にすがすがしい気持ちになれた。この気持ちは、実家を離れ、東京へ出たときに感じた開放感と、同質のものだった。
ドイツでの生活では、非常な困難が付き纏った。言葉の壁で散々な目にあったし、悪戦苦闘し、心の底からドイツ人が嫌いになったときもあった。でも、言葉は、いつかは上達するものだ、という確信があった。だから今まで、頑張ってこられた。日本では、自分ではどうすることも出来ない壁がある。ある組織へとあらたに参入すると、言葉づかいによって、その組織の底辺へと押しやられてしまう。大学院では、年齢というヒエラルキーと、学年というヒエラルキーが両立していない。これを改善する余地は、自分には日本社会では見出すことができなかった。だから、社会から大学院へと復帰したときには、そこでも非常に難しい体験をした。英語にはそういった点がない分、非常にやりやすいように思える。英語圏の大学院では、妙な人間関係に煩わされることなく探求に勤しむことができるのではないか。少なくとも、ミュンヘン工科大学にて、言葉の壁は抜きにして、ヒエラルキーに関する人間関係で問題に直面した記憶はない。
こうやって俯瞰してみると、自分の人生は困難ばかりだ。自分は異国の地にて、家庭を築き、子供たちと過ごすことによって救われた、と思う。
水牛氏のエッセイでは、少子化の原因を自由の欠如と位置づけていたが、少子化は先進国における世界的現象だと思うので、自分には十分納得のいくものではなかった。が、自由の欠如という点においては、正に自分の考えていたことが明確に論述されていたので、感動すら覚えた。この点が日本社会で改善されたとしたら、その時には息子を日本へ連れ帰りたいと本気で思う。しかし、そのための改革は、並大抵のものではないだろう。それを受け入れる素地など、よっぽどのカタストロフを体験した後でないと生まれないのではないか。
http://ryumurakami.jmm.co.jp/index.html
たぶん、この文章をコピペすることは法に触れると思うので、要約すると以下のようになる。
主旨は、なぜ、日本経済は改善されないのか、少子化傾向は改善されないのか。
デフレの大きな要因として、少子化があり、少子化の原因には、自己決定権の欠如がある。そして、そのために、人々は、この日本社会が生きるに値しない社会であると感じ、そのために少子化が起こるのではないか、と。
自己決定権の欠如とはなにか、それはつまるところ、日本の企業文化、そしてその中での働き方にあるのではないか。水牛氏は、この企業文化は日本人の若者にとってすら異文化であり、その中で職を得るために、その後晴れて入社した後には、順応するために大きな犠牲を払わなければいけないということに疑問を唱えている。
一方、そういった企業に属さない場合には、社会的弱者として分類され、差別の対象となる。
現在の日本では、自己決定権を有する自由、と豊かさが両立しえない。自由であろうとすると、無力となってしまう。
ところが、人間は、自由であるときに、最大限の力、つまり創造力を発揮する。自由でない人間にはブレークスルーする力など、はなから与えられていないのだ。
筆者は、以下のように、このエッセイを締めくくっている。
“このように考えると、日本経済再生のためには、企業の文化が変わること、それと同時に企業外で働く選択肢が増えること、それによって日本の経済社会において、もっと多くの人が自己決定権を握れるようになること。つまり、日本の経済社会がもっと自由で風通しのよいものになることが決定的に重要だと思います。”
自分が日本で生活していたときに、非常に強く感じたのは、全く水牛氏の述べている生きづらさだった。当時は不満だけが先行し、水牛氏のように言葉にすることさえ憚られた。何故なら、このように考えること自体が、自分の欠点をさらけ出しているように感じていたからだ。それにしても非常に不思議だったのは、同世代の人々が、この社会のあり方を、当たり前の前提条件として受け入れていたことだった。そして、この前提条件を受け入れる、という行為そのものを、一つのステイタス構築の第一歩として、誇りへと摩り替えて自分を納得させているように見えた。
正直にいうと、自分は、これを受け入れられなかった。そして、そういった自分を、一種の落伍者としてみていた部分もあった。息苦しかった。これは、どうにかしなければ、と思った。だから、どうしても日本という国の枠組みから一歩はみだした地点へと、自分をシフトさせたかった。だから、ドイツへ来た当初は、本当にすがすがしい気持ちになれた。この気持ちは、実家を離れ、東京へ出たときに感じた開放感と、同質のものだった。
ドイツでの生活では、非常な困難が付き纏った。言葉の壁で散々な目にあったし、悪戦苦闘し、心の底からドイツ人が嫌いになったときもあった。でも、言葉は、いつかは上達するものだ、という確信があった。だから今まで、頑張ってこられた。日本では、自分ではどうすることも出来ない壁がある。ある組織へとあらたに参入すると、言葉づかいによって、その組織の底辺へと押しやられてしまう。大学院では、年齢というヒエラルキーと、学年というヒエラルキーが両立していない。これを改善する余地は、自分には日本社会では見出すことができなかった。だから、社会から大学院へと復帰したときには、そこでも非常に難しい体験をした。英語にはそういった点がない分、非常にやりやすいように思える。英語圏の大学院では、妙な人間関係に煩わされることなく探求に勤しむことができるのではないか。少なくとも、ミュンヘン工科大学にて、言葉の壁は抜きにして、ヒエラルキーに関する人間関係で問題に直面した記憶はない。
こうやって俯瞰してみると、自分の人生は困難ばかりだ。自分は異国の地にて、家庭を築き、子供たちと過ごすことによって救われた、と思う。
水牛氏のエッセイでは、少子化の原因を自由の欠如と位置づけていたが、少子化は先進国における世界的現象だと思うので、自分には十分納得のいくものではなかった。が、自由の欠如という点においては、正に自分の考えていたことが明確に論述されていたので、感動すら覚えた。この点が日本社会で改善されたとしたら、その時には息子を日本へ連れ帰りたいと本気で思う。しかし、そのための改革は、並大抵のものではないだろう。それを受け入れる素地など、よっぽどのカタストロフを体験した後でないと生まれないのではないか。
2012年12月2日日曜日
中心
本棚に置き去りになっていた、イーフー・トゥアンのトポフィリアをなんとなしにパラパラとめくっていたんだけど、改めてその面白さに感じ入っている。
特に、博士論文で論じた、緩やかな都市境界を描き、論じあげた後では、改めてトゥアンの論じる、人間の営為、環境の捉え方に感じ入る。
環境は、緩やかな連続体で出来ているが、人間は、それを分節し、二項対立を作り上げ、その二項対立を中和するものとして、自分の立脚点、つまり中心を措定する。それは、信号の赤と緑の中間項としての黄色だったり、空と地中の中間としての大地だったりする。
自分は、中心の周りに存在する都市境界を、分節化し、それらが重ね合わさったものとしての境界を描いた。
ところで、生と死の二元性、そして死を中和するものとして、神話が存在する、とトゥアンは述べている。かつて、僕は、息子の熱中しているウルトラマンも、現代の神話といえるのではないか、と考えたことがあるが、ウルトラマンは死をテーマとして扱っているかどうか。M78星雲を黄泉の国と捉えることができるのか。3分間の戦いを終え、どこかに去っていくウルトラマンは、死と復活を表しているといえるのだろうか。いずれにしろ、様々な、環境破壊や友情などのテーマが描かれているが、やはり息子は変身するときのポーズアクションや、戦いの仕方などに興味の大半を割かれるらしい。しかし、飛行機やロケットなどは非常によく観察していて、最近息子の描くものはほとんどロケットなんだけれど、かなり美しいロケットや飛行機を描く。
ミヒャエル・エンデの、traumfresserchen、ゆめくい小人を購入した。昨昨日、息子に、寝る前、長いことかけて読んで聞かせた。昨日、朝、起きるなり、昨日夢をみなかったよ、という。きっと、ゆめくい小人に怖い夢をくわれてしまったのだろう。
特に、博士論文で論じた、緩やかな都市境界を描き、論じあげた後では、改めてトゥアンの論じる、人間の営為、環境の捉え方に感じ入る。
環境は、緩やかな連続体で出来ているが、人間は、それを分節し、二項対立を作り上げ、その二項対立を中和するものとして、自分の立脚点、つまり中心を措定する。それは、信号の赤と緑の中間項としての黄色だったり、空と地中の中間としての大地だったりする。
自分は、中心の周りに存在する都市境界を、分節化し、それらが重ね合わさったものとしての境界を描いた。
ところで、生と死の二元性、そして死を中和するものとして、神話が存在する、とトゥアンは述べている。かつて、僕は、息子の熱中しているウルトラマンも、現代の神話といえるのではないか、と考えたことがあるが、ウルトラマンは死をテーマとして扱っているかどうか。M78星雲を黄泉の国と捉えることができるのか。3分間の戦いを終え、どこかに去っていくウルトラマンは、死と復活を表しているといえるのだろうか。いずれにしろ、様々な、環境破壊や友情などのテーマが描かれているが、やはり息子は変身するときのポーズアクションや、戦いの仕方などに興味の大半を割かれるらしい。しかし、飛行機やロケットなどは非常によく観察していて、最近息子の描くものはほとんどロケットなんだけれど、かなり美しいロケットや飛行機を描く。
ミヒャエル・エンデの、traumfresserchen、ゆめくい小人を購入した。昨昨日、息子に、寝る前、長いことかけて読んで聞かせた。昨日、朝、起きるなり、昨日夢をみなかったよ、という。きっと、ゆめくい小人に怖い夢をくわれてしまったのだろう。
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