2018年9月15日土曜日

河合神社の方丈庵

京都でしたかったこと。その内の一つが、茶室の歴史的な流れを見ておきたいということだった。まず、河合神社に再現されているという方丈庵を訪問する。銀閣寺へ行き、同仁斎を見る。そして翌日には山崎へゆき、待庵を見学し、聴竹居を見学する。これで、すごいおおまかに、茶室の流れの大きなポイントを抑えられるかもしれない、そう思った。

方丈庵を訪れた日は雨が降ったり晴れたりの生憎の天気。前日の夜は台風が京都上空を通過していた。ありえないほど湿度が高く、京都全体がサウナのようだった。

下賀茂神社の場所は一様わかっているつもりだったけど、参道がどう通っているのかわからない。この参道問題は熱田神宮でも経験した。熱田神宮では、神宮前駅で降りればどうにかなるだろう、という軽い気持ちで出かけた。改札を出ると、「神宮はこちら」という表示があるので、進むべき方向はすぐわかる。ところが駅の構内から出てこんもり茂った神宮の森を前にしても、さて、メインの参道がどこにあるのかわからないのだった。森をグルーと回ればいずれ入口に着くだろうという適当さで歩いてみたが、どこまでいっても入口が見つからない。結局全神宮外周の約三分の四もぐるりと回って、しかも正面からではなく側面から参道に入ってしまうという失敗をした。
そして、下賀茂神社でも、同じような失敗をしてしまったのだった。高野川と鴨川は北から流れてきて下賀茂神社のある場所で合流する。この地点は、ご存知のように逆三角形の頂点みたいに見える特徴的な地形をしている。だから、この頂点に辿りつけば下賀茂神社まで迷うことなく着くだろうな、と考えていたら、さにあらず。頂点の岐路で左に進路をとってしまい(正解は右側だった)、メイン参道を通過することなく、参道の脇から河合神社境内に入ることになってしまった。



方丈庵は境内の片側で、わりとドーンと建っている。屋根のこけらの上に苔が生えていていい感じ。また、方丈という平面的狭さだけでなく、庵自体の高さもかなり低い。軒の飛び出し、突き上げ窓など、建物から飛び出しているエレメントがまるで翼のようで、退屈な造形ではない。壁を構成する板も、舞良板や網代板、そして桟の間隔も一様ではなく変化に富んでいて面白い。これは意匠的にねらったのではなく、おそらく適当に作ったからバリエーションに富んだ意匠になったんだろうと思う。



平面的には、中央に炉がどーんとあり、その周りを三分割するように、趣味のスペース、勉強スペース、寝るスペースがある。庵自体が自然の中にポツネンと存在していたであろうことから、窓は大きく外に向かって開いているが、室内の床が縁側に向かって開いておらず、縁側にはかならず壁が立っている。僕なんか、縁側と室内の床は視覚的にも空間的にも遮るものなく造ろうとしてしまうんだけど、周りに自然がある、というのが日常ならば、自然から居住空間を仕切ろうとするんだろうな。それにしても、蚊にはどうやって対処していたんだろう。おそらく刺されまくっていたんだろうなぁ、長明さんは。

方丈庵は分解して、また組み立てるということを前提としている仮設住宅的要素が強い。体を守るシェルターとして、衣服の次に住居というものがあるとすれば、方丈庵はかなり衣服側的要素の強い構築物だといえる。
この後、この小空間の延長上に茶室というものがあるのならば、それは自然の中から都市の中に移動していくわけで、それと同時に衣服というよりも、空間というものがより鮮明に強調されていったような気がしてならない。それは、庵の中に発生した方丈という空間がより内側に向かい、空間そのものが自立していく過程なのかもしれない。

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