2018年9月16日日曜日

銀閣寺 同仁斎

お世話になった大徳寺、大心院さんを後にし、早朝、金閣寺を訪問、大徳寺で高桐院を見学しようと思ったが、工事中で参道を見ることさえできなかった。ドイツから息子を連れてきているので、ちょっとだけでもいいから、と頼んでも門前払いである。とても残念だった。あの参道を好きな人は多い。参道をちょっとぐらい覗けるようにしてくれないだろうか。何年間も見学できないのは、とても残念だ。

仕方ないので今宮神社で炙り餅を食べ、今井食堂で鯖の味噌煮を食べ、河合神社で方丈庵を見学し、銀閣寺へ向かう。


バスを降りて土産屋の並ぶ通りを抜けると銀閣寺の門がある。この門を右に折れると、銀閣寺道だ。僕はこの空間が、銀閣寺最大の見所だと思っている。東求堂が特別公開していない場合は特にそうだ。
金閣と銀閣を見て思ったが、ただそのオブジェクト然とした外観を見ても、面白くもなんともない。銀閣寺の場合は庭園を楽しむこともできるが、金閣の場合はとんでもなく観光客が多く、庭園を楽しむ余裕もない。庭園をかすめて通り過ぎるだけ、といったほうがいいかもしれない。

同仁斎は東求堂の北東隅にある。方丈庵が建てられてから約300年の年月が過ぎて、4畳半空間は、都市周辺の山麓まで迫ってきたといわけだ。



正直な話、同仁斎の良さがわからない。床が4畳半敷きの畳だからすごいシンメトリックで求心的なのに、壁に目を向けると柱、長押、障子の桟、違い棚など、あまりにもばらばらの線的要素がごちゃっと押し寄せるように並んでいる。東側の室内立面を北側の付け書院の上部にある枠の中にスケールを小さくして落とし込んだようにも見える(いっている意味、わかる??)。こうすることによって、北側への求心力が生まれているようにも思えるのだった。
ある意味、同仁斎は、空間というよりも線による室内の壁の分割が重要で、張り巡らされた線の上に義政の収集したという東山御物が陳列される。むしろ、その陳列のために、線が必要だったのではないか。そんな風にも思えてくる。
いずれにしろ、方丈庵と比べてみると、モバイル的な要素は消えた。壁面にまとわりつく線が、内部空間をこの東山の地に縛り付けられているように見える。そして、同仁斎においては、まだ建築は空間へと向かわず、壁の造形にとどまっている様に思える。
それにしても、なぜ、同仁斎の意匠の創意工夫は北側壁面に集中しているのだろう?


銀閣寺まで、駆け足で京都の町を通り抜けたので、僕と息子君はとても疲れていた。もちろん、天気のせいもある。そこで、バスで一路、西へ向かい、「虎や」へ直行した。甘いものが食べたかった。
京都「虎や」は内藤廣先生の設計した建物だ。なんと、自分の故郷にも近い御殿場にも内藤先生の設計された「虎や」の建物が建っている。そこに、カキ氷を食べにいった。

外壁のタイルや、内部の屋根の造形、屋根は敷地の上にフワっと降りてきたように外部と内部空間をゆるやかに結び付けている、それでいて片側のエントランス方向と、反対側の庭方向には、全く性格の異なる空間が並存している。





もちろん、カキ氷も、いいお値段するのだったが、とんでもなくうまい。僕達の食べた宇治抹茶カキ氷は1100円くらいだった。知人いわく、最近の日本のカキ氷は頭がキーンとしないらしい。そういえば、このカキ氷食べてるときも、頭キーンしなかったな。

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