2011年9月11日日曜日

ワーグナーの駅建築群

ワーグナーの活躍した時代は公共交通が充実し始めた時代でもあり、時代のタイミングも手伝ってワーグナーは大量の駅建築を後世に残すことになった。
まず、それらは地下鉄線、U4とU6に集中的に見ることが出来る。
特に重要な建築は、カールスプラッツにある駅舎。これは旧市街からウィーン工科大学のファサードへと伸びる街路の軸を中心軸として二つの地上建物が対称的に配置されていて、一方はレストラン、他方はワーグナー資料館として使われており、中を見ることが出来る。
この駅舎はカールス広場でも重要な役割を果たしている。カールスプラッツに重要建築物といえば、バロック建築の第一人者、フィッシャー・フォン・エルラッハのカールス教会。そしてオルブリッヒ作のゼッセッション館。そのほかにもナッシュ市場や市歴史博物館などもある。ワーグナーはこのカールス広場について面白いことを言っている。ここは広場ではなく、一つの地域なのだ、と。通常、広場というと総体的に纏め上げられ一体性を保っているイメージは確かにあり、このカールス広場は確かに色々な要素がとても広い空間の中で繰り広げられている。この、ワーグナーいうところの地域、もしくは領域とでもいったらいいだろうか、その中に、ひとつの纏まりとして、上記の街路を中心軸とした対称建築群が組み込まれた、といったイメージで考えると、非常にわかりやすい。
上の写真が資料館として使われている建物と入り口内部の天井見上げ。昔はこの部分が駅のコンコースとなっており人の往来も煩瑣なものがあっただろう。
パリの地下鉄出口でもギマールのアールヌーボー建築を見ることができるが、アールヌーボーとユーゲントシュティルは、とてもおおまかに言うと親戚みたいなものなので、パリを訪問され、ギマールの駅舎を見たことがある人はそれを想像していただければわかりやすいと思う。
ここでちと、自分自身の情報整理のために、解説書から引用。
ワーグナーは1894年から鉄道建設の芸術顧問として設計を引き受けた。この鉄道は街路と同じレベルを走ることは許されず、地下、もしくは地上に陸橋を構築し、その上を走らせた。そしてこれら陸橋のデザインもワーグナーが担当している。ワーグナーはこのようにトンネルや陸橋などのインフラから待合椅子などの家具、照明デザインまで一貫して手がけている。このとき計画された鉄道総延長は45キロ、駅舎は30以上に上る。本当に莫大な量の作業だったことが想像される。
その後、改修工事などにともない、陸橋部分のアーチ下部はレストラン、バーなどに利用され、駅舎はほぼそのまま残された。そのため、切符の自動販売機などがワーグナーデザインの壁面に埋め込まれ、なかなか面白いコントラストを醸し出している。
ちなみに、U6はVorstadt,旧市街を包み込む新市街の外側を包み込むように走っており、一つの境界として作用している。僕の宿泊していた部屋はこの陸橋の外側、徒歩約10分弱の場所にあり、旧市街から自転車で部屋に戻ることが何度かあったが、この陸橋にたどり着くことが、部屋に着く一つのメルクマールとして作用していた。
一方、U4はいわゆる郊外と旧市街を繋ぐ路線で、南西へ伸びる路線上にはシェーンブルン、また終着駅の近くには、ワーグナー自身の自邸は二件建っている。なぜ、二件建っているのかは、また後日、建物内に閉じ込められた事件の顛末とともに書いていこうと思う。
 
写真:駅、レンガむき出しの陸橋と鉄橋のコンビネーション。
ワーグナーの建築作品を見て思ったこと。
ワーグナーといえばウィーンユーゲントシュティルの代表者であり(クリムト、ホフマンなどが建築関係者以外には馴染みがあると思うが)、ユーゲントシュティルといえば植物のモチーフ。ところでユーゲントシュティル以前にも、植物は建築物のモチーフとしてもちろん多用されている。例えば、ローマ建築の柱頭を飾るコリント様式などを見れば明白だろう。そもそも、ユーゲントシュティルは、アーツアンドクラフツに起源があると考えられ、様々な国で独自の発展があるが、僕の見たウィーンでの印象といえば、植物紋様が非常に平面的だなぁ、ということ。漆喰壁に描かれているだけのものや、例えばウィーナーツァイレンホイザイーの壁面飾りも大きく壁面は植物装飾で彩られているが、非常に平面的。このことが、後のロースの「装飾と罪」における彼の主張を受け入れやすくさせたのではなかろうか、と推測したくなる。実際、壁面の凹凸が大きい場合にはそれを取り払った場合には何が残るのか、といったことは想像しがたいが、平面的な装飾は取り払ってしまえばそこには平面が現れ、ロースの主張するところの建築が立ち現れはしないだろうか。
もう一点、僕が彼の建築を見てわくわくしたのは、シェーンブルン近くに立つ、ハプスブルク家のために作られたパビリオン建築。これは線路をまたいで建っている。この建物、皇帝一家が鉄道で移動するという機会が当然のごとく少なかったので二回しか使われなかったらしい。通常は公開されていないが、予約をすれば見ることが可能らしい。写真で内部を見たが、さすがに皇帝一家のためにつくられただけはあって、豪華である。ところで、この建物を見たときにその印象が強かったのが、壁面を分割する垂直の付け柱。これはドイツ語圏ではLiseneといい、水平面を分割するGesimsと同様にとても重要な壁面分割要素。これがワーグナー建築ではとても重要な役割を果たしていることに気付いた。
通常、この部分は付け柱と訳されているように、見かけ上、柱としての役目を果たす。しかし、実際には壁面上で表現される必要は構造上ない。壁の中へ埋め込んでしまえばいいのだから。そして柱の役目上、その上部には柱に支えられている屋根が乗っかっている、というのが通常の考え方。
しかし、ワーグナー建築では、乗っかるべき屋根が、Liseneの上部に存在していない場合が多い。空に突き抜けてしまっている。更にはご丁寧にも天使がその柱頭に建っている場合が非常に多いのである。つまり、ワーグナー建築にとって、この建築要素はファサードを分割する要素であると同時に、空へ連続するダイナミックな垂直性を表現する非常に重要なファクターになっている。
そういえば、ギーディオンの「時間、空間、建築」でワーグナーの影響は未来派のサンテリアに受け継がれて、という下りがあるが、サンテリア建築では、この垂直性は建築本体として引き継がれ、ゴシック建築宜しく、空へ向かうダイナミズムとして表現されている。このデザインはまた後々紹介しようと考えているザンクト・レオポルド教会でよりはっきりとした形で表現されている。
そして、そのことが、ワーグナーの実作をみることにより、本当に実感することが出来たのは大きな収穫だった。
それにしても、このような歴史的建築物が現役で頑張っていて、それを実際に日常生活で利用できるありがたさは何物にも変えがたい。この点からもウィーンの街の素晴らしさに魅了された。
写真:駅入り口。反り返った屋根が美しい。
 
写真左:入り口近影。ディテールまで凝っているなぁ。床材も当時もまま。
写真右:プラットフォーム。柱と、屋根を支える構造体。まぁ、簡潔といってしまえば簡潔ではある。電灯のディテールまでデザインされている。ここでも屋根が反り返っている。雨水の排水はどうなっているんだろう。柱の中を配管が通っているのか。そこまで注意して見て来なかった。もう一度ウィーンへ行かなければ、とおもいつつ凝視すると、柱が一本たっている部分と二本立っている部分が交互に現れるが、二本たっている部分の一本は配水管だ。良く考えているなぁ。うまい!

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