長い二週間の休暇が過ぎた。あまりにも色んなところへ行き、色んな建築を見て、食べて、色んな人にもあった。何から書き始めようか、とちょっと考えたんだけど、最初は時系列的にも、旅の始まりであったウィーン近郊の町、Raidingのことについて書き始めようと思う。
そもそもなんでRaidingという、日本人には馴染みのない町を訪れようと思ったのか。ことの始まりは、藤森照信先生がミュンヘンへ来てくださった時に遡る。先生はこのRaidingという町に用事があって、ついでにミュンヘンへ立ち寄って下さったのだった。そのときに、先生をRaidingへ招待したのが、東京に拠点を構えるRoland Hagenberg氏。彼もミュンヘンへ立ち寄り、僕たちと先生の昼食会へ参加してくれたのだった。そこで知り合いとなり、Raidingでどんなことをしているのか話を聞いたのが、そもそも僕が休暇中に、そうだ、ウィーンへ行こう!と思い立った理由だった。
軽くHagenberg氏のプロジェクトを紹介。
彼は、アトリエとしてウィーンから車で約一時間位離れた場所にあるRaidingに家を買った。そこで静かに仕事をするのが目的だったそうな。 で、その場所が偶然にも音楽家、リストの生誕地だったことを知る。そこでひらめいたらしい。この地に、コンサートなどが開かれたときに音楽家や、聴衆が宿泊できるような施設を作れないか、そしてそれらの施設群を拠点として、氏の家の中にアトリエを作り文化拠点とすることはできないか。結構、壮大なプロジェクトではある。そして彼はそれを実行に移してしまった。おまけに、それらの施設は日本の有名建築家に依頼し、快諾を得てしまう。それら建築家は、藤森照信教授、伊東豊雄氏、原広司名誉教授、SANNA,手塚夫妻、隈研吾氏などそうそうたる名前が並ぶ。
その第一弾として、最初に着手されたのが藤森先生の建築。今回、訪問したタイミングが良かったせいか、確認申請図面の町長への提出にまで立ち会うことができた。
ところで、Hagenberg氏、町で知らない人はいない、というほどの有名人。町ですれ違う人、皆と必ず5分以上の立ち話をする。まず、僕たちがバスから降り立ったときも、バス停で君たちはこの町のどこへ行くつもりなんだい?とバスから降り立ったおっちゃんへ声を掛けられ、迎えに来ているはずのHagenberg氏がいなかったことも手伝って、いやぁ、町の真ん中へ行きたいんだよ、などと曖昧な返答をしていると、そこへ氏が手を振って登場。おっちゃんも、あぁ、ローランドの友達かいな、と妙に納得している様子だった。
とりあえず、町の食堂で焼肉定食とビールをご馳走になる。ところでこの町はブドウからワイン造りが主要産業らしく、この食堂の女主人が町周辺の大半のブドウ畑を所有しているそうな。そして、その後、氏のアトリエを見せてもらい、プロジェクトの説明を受ける。その後、確認申請図面へ必要な周辺住民のサイン記入に2度ほど立会い、日もとっぷりと暮れた。そして隣町のワイン食堂のおかみさんに会う用事があった氏の車に同乗し、近くにあるハンガリーの町、Sopronへと夜のドライブと相成ったのであった。
このSopronという街、Hagenberg氏がとても綺麗な街なんだよ、といっていた通り、とても印象に残る街だった。
※写真は藤森先生のコウノトリハウスとHagenberg氏のアトリエ。
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