2011年9月18日日曜日

ハプスブルグ家01 ホフブルグ、シェーンブルン

ウィーンを芸術の都に押し上げた立役者としてハプスブルク家について語らないわけにはいかないだろう。歴史的なことは多くの解説書で説明されているので省略し、ハプスブルクについての僕の私観を書いていく。
僕は今回の旅行でハプスブルクに直接関係するものとして、ハプスブルク家の宮殿であるホフブルクの建築集合体、夏の離宮シェーンブルン、王子の離宮ベルベデーレ、そしてハプスブルグ家の共同墓地を見た。そこで今回はホフブルクとシェーンブルンについて書く。
宮殿ホフブルクは旧市街の西側、環状道路沿いに立つ建築集合体だ。一番壮麗なヘルデンプラッツ(英雄広場)に面する半円状のロンデルは19世紀半ばに作られたかなり新しい部分。ここから旧市街の外部へマリア・テレジア広場を包み込むカイザーフォーラムが伸び、その終点にミュージアムクヴァルティア(美術館エリア)がある。その他、旧市街の周縁に沿って集合体は複雑に伸びてゆく。南の突端は美術館、アルベルティーナ、北へ向かい旧市街へ至る部分にはミヒャエラー広場。
この上部写真がヘルデンプラッツに面して建つロンデル。工事中。
上記ロンデルを旧市街の外側へ向かうと、都市門が建つ。ミュンヘンでいうところのケーニヒスプラッツみたいなものか。旧市街の境界を明示する建築物。これもしかし、年代的に結構新しい。都市門の後ろに対称的な二つドームが建つが、これがマリア・テレジア広場に面して建つ二つの建物の屋根。その奥にミュージアムスクエア。
一方、都市門を背にし、ロンデルを右手に見て旧市街へ向かうと、シシー博物館があるミヒャエラー宮殿部分。いよいよ宮殿を抜けて旧市街へ入りますよ!という期待を高めてくれる。

まず、最初のドーム。その奥にもう一つドーム。このドームにシシー博物館の入り口がある。この二重ドームの通路を抜けると、そこにあるのがミヒャエラー広場。建築家にとっては必見の広場です。
ミヒャエラー広場から、今通り抜けてきた二重ドームの通路を振り返る。広場は円形で、円形の弧を描くミヒャエラー宮殿部分。壮麗です。
そして、その広場に面して建つのが、アドルフ・ロースの名を世界へ轟かしたロース・ハウス。今はライフアイゼンバンクという銀行が入っていて、受付部分を見学することができる。
これが、ロース・ハウスだ!この建物については、後に詳しく他のロース建築とともに書いていきたいのでここでの詳細は省く。それにしても、宮殿の面する壮麗な広場に、装飾のないファサードを設計したロースの力技に感服。友人、ライアン君も、ああ、このシチュエーションだから、ロース・ハウスがそんなにもセンセーションとなりえたのか、納得!と感服することしきり。やはり、建築物は実物を体験してみないとなかなかわかりずらい。
その他、宮殿建築群には見るところが多いのだが、予算と時間の問題で今回はほぼ見学していない。次回の課題となった。それにしても、今回僕の紹介した壮麗な部分がかなり新しい、ということに驚く。それらの多くが19世紀半ばに建てられているので歴史主義建築なのだが、旧市街のリングシュトラーセの建造とあわせて考えると、戦前のウィーン大改造はかなり思い切った計画だったのではないか。
この計画はどうして遂行されなければいけなかったのか、歴史的観点から述べることは僕には知識が欠如しているのでできないが、傾きつつあるハプスブルク支配の基盤を虚勢で誇示したかったのではないか、と考えたくなる。そしてそれらの財政負担が支配地域の人々へのさらなる圧制につながりハプスブルク家の崩壊、そして第一次世界大戦へと流れていく歴史の悲劇へと向かわせたのではないか、そんな憶測を抱かせる。またゆっくり、ハプスブルクの歴史書を紐解いてみたいと思う。
場所は変わって、シェーンブルン。美しい泉と訳すことの出来る夏の離宮。低地に位置するため、小高い丘の上から眺める離宮の姿は美しい。上の写真は入り口から眺める離宮の主建物。ふと気付いたのだが、壁面を分割するLisene、つまり付け柱が特徴的なこの建物、その柱の兆部に彫像が建つ。この表現、どっかで見たことあるなぁ、と思ったらワーグナー建築の特徴である空へと突き抜ける付け柱の意匠。こういうところにルーツはあるんだなぁ、と思いつつ週末ミュンヘンのマリエンプラッツで新市庁舎を観察したところ、そこにも同じような表現がある。新市庁舎はネオ・ゴシックなので空への希求という意味では必然的な建築的表現なのだが、表現の仕方によってこんなにも違う印象をうけるんだなぁ、ということに感心しきり。
 
中庭はバロック様式で、すばらしいパースペクティブ。左の写真では小高い丘の上に建つグロリエッタを見ることができる。右の写真。通路の両側面の木立の下部は直線的に刈り込まれ、パースペクティブを強調している。

グロリエッタ近景。
宮殿内部。撮影は禁止ですよ。繊細なロココ様式。宮殿内部ではそれぞれの部屋と、一家の生活を垣間見ることができる。この離宮がマリア・テレジアの時代に拡充されたということもあり、宮殿見学の後半は、彼女の宮廷生活や一家の肖像画を中心とした展示をみることができる。マリア・テレジア、それにしても、本当にウィーンでは尊敬されているんだなぁ。次回紹介するハプスブルグ家共同墓地でも、棺桶が一番大きかったし。
ロココの表現というのは、けばけばし過ぎてあんまり好きではないんだけど、華やかすぎて夢にまで昇華されてしまうところがすごいと思う。アラン・レネの「去年マリエンバードで」、ではやはり後期バロック、ロココ表現の城が背景として重要なファクターを占め、去年の記憶が現実のことなのか、はたまた虚構なのか、区別のつかないあやふやな状況が作り出される。皇帝の生活も、皇帝本人にとっても、皇帝以外の人物にとっても、夢のようなものなのだろう。その華やかな生活と建築表現は極限まで追求されることにより、ある意味虚構性を感じさせる、というのは面白いことだと思わずにはいられない。

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