今回の旅行で集中的に見たものの一つが、赤いウィーンと呼ばれる、両大戦中期に建てられた労働者向けの住宅群。
この住宅群、住宅難を解消するために建てられただけのことはあり、ひとつひとつがかなりデカイ。でも、できるなら全部、隅から隅まで見たい。そう思い歩き続けたことも、疲労を蓄積させる一つの理由となった。旅の終わりは、本当にもうこれ以上歩けない、と思うくらい疲労困憊だった。
ところで今、それら集合住宅群を振り返り写真を整理してみると、そんなにインパクトのあるものは多くない。実に控えめに、建築素人にはなにがいいのかサッパリわからないようなものが多い。しかし、細かい技を繰り出して大きな敷地の中に差異を生み出し、様々な界隈性とでもいうのか、小さなグループを形成している手法はかなり面白いものがある。
その後、ウィーンを離れ、ドイツ・フランクフルトでエルンスト・マイの建築群、それらも赤いウィーン建築群と同じような境遇の中で建てられたものだが、を見まくった時にはおかげですっかり目が鍛えられて、マイ建築群の面白さを堪能することができたのはもうけものだった。
今回は、見てきた赤いウィーンの中でも面白かった3つの集合住宅群を紹介しようと思う。
一つ目は、シュメルツ住宅群。
Wohnhausanlage Schmelz
Architekt: Hugo Mayer
Bauzeit: 1920-
住宅群は、ローハウス(町家形式の家。ひとつの間口を一家族が占有する。)と、階段の両側に入り口があり一つの階に二家族が住む典型的な集合住宅形式が混在している。敷地は広いが、住宅群は通り、広場ごとに個性をもって計画され飽きさせない。マテリアル、切妻屋根、建築ボリューム、窓の配置に様々なバリエーションがある。
フランクフルトのマイの建築群にウェストハウゼンという、グリッド状に整然と配置された集合住宅群があるんだけど、そのときにも、このシュメルツ住宅群と同様に面白いと感じた点は、このように、ある程度共通する手法で同時期に計画されている住宅群でも、内部に住み分けが発生するらしく、ある部分は非常に綺麗に整備されているのに対し、ある部分はちょっとみすぼらしい様子を呈していることだ。特にローハウス部分は綺麗で、それに対して中層住棟、5から6階ぐらいの住棟が林立する部分は、ぶっちゃけ貧困層が集中するらしく、その周辺もなにかうらびれた雰囲気を漂わせている。
上写真の玄関は、非常に綺麗に整備されている住棟の一例。玄関と窓の配置がかわいらしい。
ところで、とても豊かだなぁ、と痛感させられたのは中庭部分。赤いウィーンと通称される建築群は中庭が特徴的で、ここシュメルツでは広大な、私有地として分割されている中庭が広がる。この中庭部分は左側の写真に写っている細い通路で4つに分割され、4列の中庭群になっている。この一列は、右の写真に見るように間口幅5メートル程度に分割され、一家族に割り当てられている。この庭、しかし奥行きはかなり広い。右の写真は中央の通路からの眺めなので、撮影者ではる自分は中庭のほぼ中央に立っている。写真上見えている庭の奥にもう一つ通路を挟んで中庭があるのだが、向かいに建つ建物を見て欲しい。撮影者から相当の距離があることがわかると思う。単純に撮影者の背中側にも同じ庭が二列あるので、建物から建物までの中庭の大きさはかなり大きいというのを理解してもらえると思う。
この中庭は、この住宅群に住む人々の所有なので、都市生活者としてはなかなか豊かな生活だ、ということもおわかりかと思う。
普通、こういうところは激しくプリバート空間に属するので、侵入者を嫌がりそうなものだが、挨拶すると結構、微笑んで挨拶を返してくれる。ミュンヘンにもかつてテオドア・フィッシャーが計画した街区が僕の住む地区の近隣に存在し、こじんまりとこの形式を踏襲しているのを見ることが出来るが、中庭の通路を僕のよなよそ者が通りすぎるのを見るや、怪訝な顔で目で追われることになる。ちょっと考えたが、しかし、怪訝な顔をするのが通常で、この地区が特別な気がする。
ザンドライテンホフ
Sandleitenhof
Architekt: Emil Hoppe, usw.
Bauzeit: 1924-28
この集合住宅群は中庭は個人所有ではなくて住民に開放されている。典型的な中庭形式。この中庭をドイツ語でホフという。ホフへは大きいアーチをくぐって入れるようになっていて、夜は鉄柵で閉められるようになっている場合が多い。上写真の噴水のある広場はホフではなくて住棟の外側にある広場。左側写真の向かいには本屋が入る。窓の装飾、軒線が非常に造形的でそこから陰影が生まれる。
左側写真の連続アーチ、いわゆるロッジア。ここも街区の外側。そして右側写真、街区の内部、つまりホフ(中庭)。搭状のものは階段室。階段室の一階部分が入り口になっていて、郵便受けなどがある。
こんなところにはあんまり人が来ないらしく、ましてや写真を撮りまくっている日本人がそうとう怪しいらしい。怪訝な目で見られまくる。しょうがないじゃないか、建築ガイドブックに載っているんだから。上記のシュメルツ地区とは大違いだ。
ここの中庭は、いうほど快適には見えなかった。正直に申しまして、ミュンヘンの我が家の周辺のホフのほうがよっぽど快適だし活気に満ち溢れている。ただ、街路空間、つまり街区の外側空間は変化に富んでいて、ガーデンシティー、さらにはカミロ・ジッテの影響を随所に見ることが出来るという解説書の説明もあながち間違ってはいない。
残念ながら、僕の体力はこのあたりで限界に近づいており、この計画の全体像を把握するほど散策することはできなかった。約30分ほど歩き回ったが、これだけ見れば他も同じ様なものだろう、と高をくくったがさにあらず。後日、赤いウィーンのまとめられた本を見たら、もっと歩き回ってみるべきことだったことを思い知る。
カール・マルクス・ホフ
Karl-Marx-Hof
Architekt: Kahl Ehn
Bauzeit: 1927-1930
来たぞ、親玉。赤いウイーンといえば、この集合住宅群、というぐらい有名で、そして巨大です。そして僕の紹介する赤いウィーン建築群の中では、唯一赤が建物の特徴となっている建物。
とてもシンボリックな、アーチから旗を掲げるポールへと伸びる赤いウィーンを体現するような建物の躯体。この赤い部分は建物の中央で繰り返され、他の壁面から飛び出しているが、その分、バルコニーとして使用されている。たぶん、この手法に影響をうけたのではないか、と思わせる部分をエルンスト・マイの建築群では随分発見した。
アーチ部分。かなりでかいよ。幅、5.6メートルはあるか、それ以上。
装飾は極限まで剥ぎ取られ、立体的なファサード構成で労働住宅をシンボリックに昇華させている。
この集合住宅群はとてつもなく大きくて、全長1キロほど、それに対して幅は狭く、40メートルほどか。囲い込まれているホフもしたがってとてつもなくでかい。内部には保育所、共同浴場などがあったらしい。現在、共同浴場部分は展覧会場として使用されているらしく、ちょうど赤いウィーン展が開催されていたのはモウケモンだった。
内部のホフは適度な幅を持ち、緑が満ち溢れ、とても居心地のいい空間になっている。子供を遊ばせるには最適の場所だろう。じいちゃん、ばぁちゃんも日向ぼっこをている。
ところで、ホフ側の表情は外側とうって変わってとても穏やか。上部写真は外側からホフへ入る門のうちの一つで、上部はバルコニー。
上の写真は、住戸へ入るための階段室の入り口。素材感を変え、当時としては丁寧な作りこみだったのだろう。
一方、ホフ側、角部の住戸へ至る階段室は赤い色で、下の写真の通り強調されている。同じ階段室でも表現がとても異なる。
色の表現はバラエティーに富んでいるが、個人的にはあんまり好きになれない配色。
上の、外側から見ると赤い階段室も中から見ると、落ち着いた配色。ただし、手すりが赤と緑というコンビネーションだった気もするが。
上部の光の取り入れ方に工夫を感じる。
以上、赤いウィーンの印象は、ゴツっとした無骨なつくりと、重量感、そして社会背景からくる質実剛健な建物の表情に特徴がある。そして、巨大な敷地の中に多数の住棟が計画されているが、それぞれに違いがあり、その点に建築家の創意が集中しているようだった。住宅内部に関しては閲覧する機会にはめぐまれなかったが、見るべきこともないのだろう。たぶん。
これからエルンスト・マイへと引き継がれ、現在ミュンヘンで活躍する03Architektenに代表される集合住宅設計のメソッドは決して見逃すことの出来ない、ドイツ語圏建築文化の大きな成果だろうと思う。
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