2011年9月25日日曜日

現代建築の威力

今回は、ウィーン現代建築の中でもとくに造形的に意欲的な2作品を、僕の見てきた中から取り上げたいと思う。
SEG集合住宅 ザハ・ハディド

前回取り上げたコープヒメルブラウのSEG集合住宅、それと同じ住宅供給公社が提供しているザハ・ハディドの集合住宅。ウィーン北部、フンデルトバッサーのゴミ焼却所の近くに建つ。建物の片側は幹線道路、その反対側は川に挟まれ、オットー・ワーグナーの陸橋をまたいで計画されている。
この計画は随分長いこと議論されたようで、計画に十年ほどの歳月が流れているらしい。
造形的には、素晴らしい。ダイナミックな造形。幹線道路と川という流れに挟まれてダイナミックに乱舞するマッシブな躯体。高く持ち上げられたそれは、ワーグナーの陸橋に触れることなく、その歴史的意義を尊重し、リニアモーターカーのごとく陸橋を跨いでいる。
でもさぁ、ここまでする意義って、なんなの?集合住宅にここまで造形力を与える意義って本当になんなの?そのような疑問が重低音のように意識の底で蠢いている。
多分、作る側としては、造形に対する挑戦。現場では技術を駆使しての実現。そして住む側としては、素晴らしい建造物の中に住むという充足感、満たされる所有欲。
道路側からの全景。アーチのある陸橋がかつてのオットーワグナー設計の陸橋。もちろん現在は鉄道の陸橋としては使われておらず、歩道となっている。
先ほどとは別アングルで眺めると、奥にフンデルトヴァッサーのゴミ焼却施設が目に入る。
 
高く持ち上げられた建物。
 
川側からの眺め。 すげー数の柱だな。陸橋の中にはレストラン、ギャラリースペースがある。レストランはすでにつぶれている。交通の便が悪いため、としか考えられない。
さらに、川にはペデストリアンデッキがかけられ、川を眺めることが出来る。
 
陸橋からの眺め。建物は陸橋を跨いでいるが、陸橋上部と建物は全く分断されていて直接アクセスすることはできない。
ただ、陸橋上部の歩道を歩く際には建物はアーチとして何度も反復されるので、交互に現れる光と影のコントラストはダイナミックだ。
この建物、建築的には環境に配慮している。というのは、既存陸橋の保存、両側を挟み込まれた細長い敷地利用という点からなのだけど。
だけど、住民の住居を使用する、という観点からは、環境とのつながりがあるとは思えない。川への関係は、眺めるという行為に終始しているし、陸橋内部の機能と集合住宅の機能がリンクしているようには見えず、また陸橋上の歩道に直接アクセスすることもできない。つまり共同スペースが決定的に欠けている。もっと陸橋との関係を密にし、立体的な中庭的機能を持たせればおもしろいことになったのではないか、と思うのだけど、建物の彫刻的性格からそのようにもできなかったんだろう。もしくは記念的建造物保存の観点からか。もしそうだとしたら、はたから陸橋と建物を絡ませる計画なんてしなければいいのに。
中央シュパーカッセ銀行 ギュンター・ドメニク

この意欲的な作品については、造形的に分析する必要もあるまい。ただ存在することが驚異、素晴らしい。
建築は銀行の窓口店舗及びそのオフィスとして計画された。しかし、ここ十数年来、使用されていないらしい。理由は調べていないのでよくわからないが、テナント看板を見る限りでは上階は映像制作会社が入居しているように見える。
 
現在、取り壊すか、保存するかでもめているというニュースもどこかで読んだ。保存運動には日本の著名建築家も名を連ねている。磯崎新など、その他多数。安藤忠雄の名前を発見し、ちょっと笑った。
この場所を訪れたときは生憎の曇り空。その前数日間、そしてその日の午前中まで、それこそこれでもか、というくらいカンカン照りだった太陽が、僕がこの建物を訪問するために地下鉄にのり、地上への階段を上った段階ですっかり消えうせ、風がドウドウドドウと吹いている。おかげさまで、メタルのファサード頂部は曇り空と同調してしまい、輪郭があやふや。残念。
建物は、本当に郊外のごくふつーのショッピング通りの中にポツン、と建っている。違和感100%。想像では、密度の高い都市中心部にあると考えていたのだが、、、どう考えてもそのほうが似つかわしい。建築家は、どっかでこういう造形をしたかっただけなのだろう。
ザハのところでも述べたが、そこまでする意味ってなぁに、との考えがもたげてくるが、一企業の自社ビルとしては宣伝効果はあるのだろう。
一階内部。ここは明らかに使われていない。それにしても長いこと使われていないって、相当使いにくい建物なんだろうなぁ。
入り口部分。左側には小さなカフェが入っている。ビール飲みたかったんだけど、寒すぎてそれどころじゃなかった。結局、その後、泳ぐことに決めていたので、カフェには立ち寄らずにその場を去った。
コメントを書くと、どうしてもネガティブにんってしまうなぁ。でも、造形的に、彫刻的にはありえないくらいすごい。それだけは強調しておきたい。
現代建築の威力、そうタイトル付けした今回のブログだが、それには多分にアイロニーを込めたつもりでいる。造形的には本当に素晴らしい。それを実現した技術にも感服する。しかしその威力は、どのように位置づければいいのだろうか?使用する側からか?都市的コンテクストの中からか?それとも建築史の中でなのだろうか?
もし、建物それだけについて、建築史の中でのみ評価されるべきものだとしたら、建築の歴史というものが一人歩きして、周りのものに盲目になり暴走しているようにも見える。
誰か、そのことについての答えを聞かせて欲しい。

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