2018年10月11日木曜日

言の葉の庭 感想記

「言の葉の庭」見ました。
たかおが、かっこ良かった。あんな風に何かに夢中で、がむしゃらで、それでいて成熟していて。

15歳って、何にも考えていなかったからなぁ、自分は。
たかおを見て、僕は、最近、空手の道場で、息子と同じ学校にいっている男の子と話したことを思い出しました。考えている子は若いときから考えているんだなぁ、とちょっと関心したんです。
ドイツのレアルシューレでは7年生から、将来の進路が分かれます。息子の学校では、フランス語、物理化学、ビジネス、そして芸術コースがあります。息子は6年生だから、そろそろ自分の進路をまじめに考えたほうがいいよ、といっているんだけど、例にもれず、ポカーンと何もわかっていない様子。そこで、父のおせっかいが、また、活動しはじめました。息子には、「自分で色んな人に話しを聞け」、と何回もいっているんですが。おそらく彼のことだから、聞かないだろうことは目に見えてました。
わが空手道場には、そう、息子と同じ学校、同じ塾に通っている男の子がいます。息子とも知り合いで、2歳年上です。その子に、「君はどのコースを選んだの?」と聞いてみました。彼はビジネスコースを選んだそうで、一番の理由は、将来の仕事に役立つから。加えて、他のコースを取らなかった理由を説明してくれました。しっかり、将来のことを考えているんです。

そんなわけで、まぁ、たかおみたいに早いうちから将来のことをしっかりターゲットにすえてがんばっている人とか物語とかを見ると、賞賛の気持ちと、過去の自分への後悔と、色んな割り切れない感情がごちゃまぜになってなんだかモヤモヤしてきます。だから、あのキャラを見れただけでも、なんか良かったなぁって気持ちになります。


でも、あんな風に告白できるかなぁ。憧れの人を前にして。あの感情がない感じ、恋をも達観している感じ、あるいは恋の感情をコントロールしている感じ。不思議だなぁ。相手に伝えたところで、それが受け入れられなかった時の、その恐怖感みたいなものを彼は持ち合わせていない。告白が拒絶されたことによって、それまでその人に抱いてきた鮮烈な、そして肥大化してしまった感情、それを断ち切らなければいけないかもしれないという恐怖心。それがまったく彼には感じられない。それが彼の持ち味なのかもしれない。それが、僕と彼の決定的な違いなのかもしれない。でも、とふと思う。彼は、この点において、絶対的マイノリティーに属していると。こんな人は、めったにおらんだろう。そう自分に言い聞かせて、あの世知辛い自分の青春時代を慰めておこう。


雪野さんが、彼と距離を置いたときに、彼が抱いたのは、明らかに失望だった、と思う。それも他者への失望。自分が未熟で、自信が持てないから、彼女の対応は仕方ない、という感情ではない。あんたはずるい人だ、自分のまだ知らない世界に立って、あなたはすでに通り過ぎてきたこちらの世界を見ている。あなたは、気持ち、感情という同じフィールドに立つ事を拒絶し、社会的フィルターを盾に距離を置こうとした。
たかおは、あの時、しっかりと憧れのものと人とを追求して、行動に移していたからこそ、雪野さんに失望することができたし、非難することもできた。その言葉のありったけは、彼女の盾をぶち壊し、その人は感情というフィールドに舞い降り、感情はほとばしり出た。そしていう、「私はあなたに救われていたの」と。

僕には、あの非常階段の、普段は人々から忘れ去られたような殺風景なあの場所が、新宿御苑の非日常的な言の葉の庭に対応する、日常的な、そしてあの劇中の二人だけの「言の葉の庭」になったように思えた。
僕にも、そんな景色が、東京や京都や、今まで住んできた色々な場所に点在している。あの忘れることのできない時間も、結局は仮住まいの中のワンシーンであって、赤の他人から見たら、何にもない殺風景な場所。そこは引越しと同時に、空間的にはるか遠くのものになってしまう。
僕は、あの多くの、殺風景な場所たちが許せなかった。歴史と切り離された、まるで、テンプレートをそのまま実現したような、建築法規をのみ遵守した多くの殺風景な場所たちが、日本の大都会には多すぎる。当時の僕には、大都市そのものが、殺風景な場所が集積しただけのカサブタ集合体に見えた。


それがどうしたことだろう。この新海誠という人の手にかかると、それらがまるで、きらきらしたものになってしまうのだから不思議だ。なおかつ、日本を思い出したときに、そこに描き出されるシーンの数々が典型的な日本の風景で、なんかぎゅっと心を締め付けられたような感覚になってくる。そこで今、この時を過ごすことができる人々にうらやましささへ感じてしまう。
あの風景をここまで肯定されたら、僕がこの異国の地でやっていこうと思った、その決断の一つの理由を否定することになってしまうのではないか、と新海監督の映画を見るたびに思う。

代官山の古着屋、銀座マリオンの交差点、江古田で飼ってたシッダルータという猫、スペイン坂のカフェ、追い出された自由が丘のショット・バー、疎外感にさいなまれた新小岩の公園ともしくは勝鬨橋、阿佐ヶ谷の石屋さん、深夜に玄関の窓ガラスを割ってしまって通報されたあの小さな住宅、その近くの八百屋、三軒茶屋の釣堀、出会えたことを感謝した写真集をプレゼントして怒られた新宿のカフェ、そういえば一緒に勉強したっけなぁ、でっけぇ看板を盗んだフランス人と一緒にいたもんだから自分が怒られたこともあったなあ、ああ、やっぱり僕にとって東京はそういう街で、でもだからといって、二度と住むこともないだろう。

2018年9月30日日曜日

オクトーバーフェスト 射的

先週からオクトーバーフェストが始まっている。世界最大のビール祭り。この期間のミュンヘンはとんでもなく活気づき、電車の中では様々な言語での大声や笑い声、歌などが聞こえてくる。
そんな中、先週の日曜日に僕達もオクトーバーフェストへ行ってきた。
目的は、射的。日本へ帰国した時から、射的が、我が家の子供達の間でブームになっているのだった。

たくさんのよっぱらいー。



そもそもの始まりは渋温泉。ここの昔ながらの射的場にすっかり魅了されてしまった息子達。明治村にも思いがけず射的場があり、果敢に挑戦。

ここで係りのおじさんの的確なアドバイスによってすっかり腕を上げた長男君は、どしどし景品をゲット。一方、ハンドスピナーが欲しくてたまらん次男君は、結局、標的に当てることができず、ゲームを終了。すると係りのおじさんが、サービスで、追加の一発を討たせてくれることになった。自信がない次男君は、この重大なミッションをパパに委嘱。なんと、パパは見事に命中させ、次男君はスピナーをゲットすることができたのだった。あの命中の瞬間は、さすがに心が躍ったなぁ。

そんなわけで、オクトーバーフェストに行こう!といったら、子供達は「僕たちは射的をする」と言い出した。というわけで会場についたら、早速、射的へゴー!
って、結構たくさんあるんだね、射的するところ、今まで全く気づかなかったけど。値段はほぼ同じで、10発で7ユーロぐらい。で、射的の的が陶器みたいなものでできていて、命中するとパリンと割れて飛び散る。危なくないのかしら??
写真の中で、壁ぎわに整然と並んでいる灰色の物が標的。

古今東西、景品にはろくなものがない。しかし、討つということに意味があるんだろう、ろくでもない景品でも、子供達にはとても素敵な戦果に見えるらしい。
次男君は銃が重過ぎるので、射的を断念。積み上げられた缶をボールで崩すゲームに挑戦。簡単そうに見えるが、これはこれで難しいらしい。

そのほか、ダーツで風船を割るゲームや、オイデ・ビーゼンの中にも射的がある。こちらは動いている船に命中すると、パタリと倒れる仕掛け。
ここでも、5発中、4発命中させた長男君。将来は狩猟でもやったらどうか、と思う。ちなみに、上の写真に写っている女の人、蠟人形ではなく、本物の人間なのでお間違いなく。

今年のオクトーバーフェストは、チェックが厳しく、リュックサック程度の大きさのバックも、会場に持ち込むことはできない。もし持ってきてしまった場合には、会場の外にあるバック預け所にお金を払って預かってもらわなければいけない。面倒くさいのでご注意を。

2018年9月20日木曜日

ドイツの日々2

長男君が成長しているのが、日々感じられる。今まで雑誌なんてほとんど目を通さなかったのに、今日はトラムの中でずっと読んでいた。おかげで酔ったらしく、早めに寝てしまった。

次男君は、学校に通い始めて、なにやら責任感というか、なにかしらが芽生えたように見える。学校に行く間にも、数字を数え始めて、めちゃくちゃながらも百以上の数字を数えようとしている。

妻は、新しい職場で働き始め、また、忙しい生活に戻った。

設備事務所の仕事がめちゃくちゃで、相変わらず大変である。ついにプロジェクトをマネージメントしている会社から脅しめいたメールが配信された。いわく、
「これ以上、プロジェクトが遅れるような事態があなたたちの仕事のせいで起こるようなら、遅延した際に生じるコストは全てあなたたちが請け負うことになるのよ!」
これが、朱文字で、しかも大文字フォントで、感嘆符が文末について、全プロジェクト関係者に配信されるのである。恐ろしい。。。。しかし、恐ろしいのは、この文書を書かせた設備事務所の仕事ともいえる。なにしろ、今まで一年以上、このプロジェクトに関わってきて、こんなメールが配信されたのは初めてである。

右寄政党の躍進が止まらないドイツである。原因の一つは、世情と移民のコントロールを鑑みず、道徳と過去への反省によって移民の受け入れを敢行したメルケル政権への反発である。これに、法を監視する庁のトップが、右寄政党へのシンパシーを表すような行動をしている、という証言が出てきてドイツは揺れに揺れている。
たしかに、世情を鑑みない政治への反発が生じるのは、政治的健全性を表しているのかもしれないが、それが外国人排斥、暴力へと結びつきやすいのがコワイ。しかし、右寄政党には、軍の関係者や、警察関係者が多いという話もよく耳にする。つまりは、移民が起こしていると思われる問題に一番触れやすい立場の人たちが、多いということなのだ。移民の起こした問題が、報道規制されている、という話もある。一体、何が起こっているんだろう。移民たちが問題を起こしまくっているのだとしたら、それも怖いし、右傾化していくドイツもコワイ。コワいことだらけじゃないか。。。

2018年9月16日日曜日

銀閣寺 同仁斎

お世話になった大徳寺、大心院さんを後にし、早朝、金閣寺を訪問、大徳寺で高桐院を見学しようと思ったが、工事中で参道を見ることさえできなかった。ドイツから息子を連れてきているので、ちょっとだけでもいいから、と頼んでも門前払いである。とても残念だった。あの参道を好きな人は多い。参道をちょっとぐらい覗けるようにしてくれないだろうか。何年間も見学できないのは、とても残念だ。

仕方ないので今宮神社で炙り餅を食べ、今井食堂で鯖の味噌煮を食べ、河合神社で方丈庵を見学し、銀閣寺へ向かう。


バスを降りて土産屋の並ぶ通りを抜けると銀閣寺の門がある。この門を右に折れると、銀閣寺道だ。僕はこの空間が、銀閣寺最大の見所だと思っている。東求堂が特別公開していない場合は特にそうだ。
金閣と銀閣を見て思ったが、ただそのオブジェクト然とした外観を見ても、面白くもなんともない。銀閣寺の場合は庭園を楽しむこともできるが、金閣の場合はとんでもなく観光客が多く、庭園を楽しむ余裕もない。庭園をかすめて通り過ぎるだけ、といったほうがいいかもしれない。

同仁斎は東求堂の北東隅にある。方丈庵が建てられてから約300年の年月が過ぎて、4畳半空間は、都市周辺の山麓まで迫ってきたといわけだ。



正直な話、同仁斎の良さがわからない。床が4畳半敷きの畳だからすごいシンメトリックで求心的なのに、壁に目を向けると柱、長押、障子の桟、違い棚など、あまりにもばらばらの線的要素がごちゃっと押し寄せるように並んでいる。東側の室内立面を北側の付け書院の上部にある枠の中にスケールを小さくして落とし込んだようにも見える(いっている意味、わかる??)。こうすることによって、北側への求心力が生まれているようにも思えるのだった。
ある意味、同仁斎は、空間というよりも線による室内の壁の分割が重要で、張り巡らされた線の上に義政の収集したという東山御物が陳列される。むしろ、その陳列のために、線が必要だったのではないか。そんな風にも思えてくる。
いずれにしろ、方丈庵と比べてみると、モバイル的な要素は消えた。壁面にまとわりつく線が、内部空間をこの東山の地に縛り付けられているように見える。そして、同仁斎においては、まだ建築は空間へと向かわず、壁の造形にとどまっている様に思える。
それにしても、なぜ、同仁斎の意匠の創意工夫は北側壁面に集中しているのだろう?


銀閣寺まで、駆け足で京都の町を通り抜けたので、僕と息子君はとても疲れていた。もちろん、天気のせいもある。そこで、バスで一路、西へ向かい、「虎や」へ直行した。甘いものが食べたかった。
京都「虎や」は内藤廣先生の設計した建物だ。なんと、自分の故郷にも近い御殿場にも内藤先生の設計された「虎や」の建物が建っている。そこに、カキ氷を食べにいった。

外壁のタイルや、内部の屋根の造形、屋根は敷地の上にフワっと降りてきたように外部と内部空間をゆるやかに結び付けている、それでいて片側のエントランス方向と、反対側の庭方向には、全く性格の異なる空間が並存している。





もちろん、カキ氷も、いいお値段するのだったが、とんでもなくうまい。僕達の食べた宇治抹茶カキ氷は1100円くらいだった。知人いわく、最近の日本のカキ氷は頭がキーンとしないらしい。そういえば、このカキ氷食べてるときも、頭キーンしなかったな。

2018年9月15日土曜日

河合神社の方丈庵

京都でしたかったこと。その内の一つが、茶室の歴史的な流れを見ておきたいということだった。まず、河合神社に再現されているという方丈庵を訪問する。銀閣寺へ行き、同仁斎を見る。そして翌日には山崎へゆき、待庵を見学し、聴竹居を見学する。これで、すごいおおまかに、茶室の流れの大きなポイントを抑えられるかもしれない、そう思った。

方丈庵を訪れた日は雨が降ったり晴れたりの生憎の天気。前日の夜は台風が京都上空を通過していた。ありえないほど湿度が高く、京都全体がサウナのようだった。

下賀茂神社の場所は一様わかっているつもりだったけど、参道がどう通っているのかわからない。この参道問題は熱田神宮でも経験した。熱田神宮では、神宮前駅で降りればどうにかなるだろう、という軽い気持ちで出かけた。改札を出ると、「神宮はこちら」という表示があるので、進むべき方向はすぐわかる。ところが駅の構内から出てこんもり茂った神宮の森を前にしても、さて、メインの参道がどこにあるのかわからないのだった。森をグルーと回ればいずれ入口に着くだろうという適当さで歩いてみたが、どこまでいっても入口が見つからない。結局全神宮外周の約三分の四もぐるりと回って、しかも正面からではなく側面から参道に入ってしまうという失敗をした。
そして、下賀茂神社でも、同じような失敗をしてしまったのだった。高野川と鴨川は北から流れてきて下賀茂神社のある場所で合流する。この地点は、ご存知のように逆三角形の頂点みたいに見える特徴的な地形をしている。だから、この頂点に辿りつけば下賀茂神社まで迷うことなく着くだろうな、と考えていたら、さにあらず。頂点の岐路で左に進路をとってしまい(正解は右側だった)、メイン参道を通過することなく、参道の脇から河合神社境内に入ることになってしまった。



方丈庵は境内の片側で、わりとドーンと建っている。屋根のこけらの上に苔が生えていていい感じ。また、方丈という平面的狭さだけでなく、庵自体の高さもかなり低い。軒の飛び出し、突き上げ窓など、建物から飛び出しているエレメントがまるで翼のようで、退屈な造形ではない。壁を構成する板も、舞良板や網代板、そして桟の間隔も一様ではなく変化に富んでいて面白い。これは意匠的にねらったのではなく、おそらく適当に作ったからバリエーションに富んだ意匠になったんだろうと思う。



平面的には、中央に炉がどーんとあり、その周りを三分割するように、趣味のスペース、勉強スペース、寝るスペースがある。庵自体が自然の中にポツネンと存在していたであろうことから、窓は大きく外に向かって開いているが、室内の床が縁側に向かって開いておらず、縁側にはかならず壁が立っている。僕なんか、縁側と室内の床は視覚的にも空間的にも遮るものなく造ろうとしてしまうんだけど、周りに自然がある、というのが日常ならば、自然から居住空間を仕切ろうとするんだろうな。それにしても、蚊にはどうやって対処していたんだろう。おそらく刺されまくっていたんだろうなぁ、長明さんは。

方丈庵は分解して、また組み立てるということを前提としている仮設住宅的要素が強い。体を守るシェルターとして、衣服の次に住居というものがあるとすれば、方丈庵はかなり衣服側的要素の強い構築物だといえる。
この後、この小空間の延長上に茶室というものがあるのならば、それは自然の中から都市の中に移動していくわけで、それと同時に衣服というよりも、空間というものがより鮮明に強調されていったような気がしてならない。それは、庵の中に発生した方丈という空間がより内側に向かい、空間そのものが自立していく過程なのかもしれない。

2018年9月11日火曜日

地方活性化

地方の活性化という話題を、日本に帰省しているときに多く耳にした。
さて、その活性化に何か貢献することはできないものか、なにかビジネスとして、建築家として、ドイツ語を使って、できることはないか。
探してみても、なーんもなさそう。あるのは、ボランティア募集とか、ただで人を使おうとする虫のいい募集ばかり。ボランティアなんかで、地方は活性化するのかねぇ?活性化させるには、やっぱビジネスもそこで発生しないことにはどうしようもないんじゃないの?って思う。行政は、なにかしら雇用が生まれるような計画に挑んで欲しいと願う。

ドイツの日々1

今日、次男君が小学校に入学した。長男君はレアルシューレに行っているので、ママと次男君と三人で入学式、のようなものへ向かう。シュールトゥッテというコーン型の、入学祝を詰め込んだでっかい筒を抱えて入学式へ向かうのが伝統なので、息子君も自分の身長よりちょっと小さいぐらいの筒を抱えて学校へ向かった。
途中、ディエンドルとレダーホーゼを着た一家に遭遇、彼らの中心にいる女の子もディエンドルを着ているので、すぐに新一年生だとわかる。
ドイツの入学式は、日本の入学式のように派手ではなく、しかもこの季節は桜など咲いているはずもないので、どちらかというと地味。
シュールトゥッテにいれるものは先週の土曜日にほぼ一日かけて探し回ったが、次男君はあんまり喜んでいないみたい。。
帰ってきて、「今日はどうだった?」と聞くと、「おもしろかった」という。幼稚園からの友達は一人もいないが、ホルトという午後から面倒を見てくれる施設で新しくできた友達がなんと四人もクラスメートになったので、これはラッキーというべきか。
同級生のスロバキア人一家とも仲良くなったし、長男の時と比べて、いい感じの家族が多い。それにしても、ドイツ人のごとくドイツ語をしゃべるので、最初はスロバキア人だとは気づかなかった。

しかし、ドイツに帰ってきてから、なんだか極右勢力の台頭と、移民問題がとても激しく議論されていることに驚く。ケムニッツという街で、ドイツ人が移民に殺されたことから、パレードが行われ、そこに極右勢力や政党である「ドイツのための選択肢(この訳、なんか違和感あるなぁ)」が多く参加したことも大々的にニュースとして取り上げられている。一様、いいたいことはわかる、政策なしの移民受け入れのおかげで世情が不安定になった、それは自分も肌で感じる。でも、それが暴力や外人排斥に結びついていることがコワイ。ユダヤ人排斥も、水晶の夜を境として激化していった。ドイツ人の良心と反省がどう、この情況を打開していくのか、それとも打開できないのか。世界中が注目しているだろう。

ZDFで、三十年戦争のドキュメントを見る。教科書に載っているような、皇帝や貴族からの視線ではなく、その当時生きていた兵士や職人がつけていた日記をもとに構成されたドキュメント。自分がこんな不安定な情況を生きなければいけない立場だったら、そういう情況に投げ込まれてしまったとしたら。。。感情移入しやすいので、見ていてつらい。。

躯体に開ける設備の管を通すためのダクト寸法を、もうかれこれ半年以上チェックしたり、設備屋さんと打ち合わせしたりしているが、担当している二つの建物のうち、一つの建物でこの仕事が終わりそう。先週からランドスケープアーキテクトと一つのダクトをめぐって攻防を繰り広げているが、担当者のランドスケープアーキテクトの仕事が遅い。。電話しても、いつも、お、この人、眠いのかなぁ、なんて声で対応してくれる。今回も、電話で説明してくれないと理解できない図面を何枚か送信してきて、ここに穴を開けてくれ、という。いや、最初は穴を開けて欲しいということさえ書いていなくて、送られてきた図面を前に、これで自分は何をしろっちゅうの?と途方にくれたんだった。その図面を読み込むと、配管の寸法は書いてあるが、壁にあける穴の寸法は書いていない。壁の穴の寸法を教えてくれ、と頼むと、それは設備屋さんに聞いてみないとわからない、という。で、設備屋さんに聞いてもらうと、設備屋さんは、それはすでにダクト計画図に記入してあるという。で、ランドスケープアーキテクトと設備屋さんのメールのやりとりを転送してもらいチェックしてみると、ランドスケープアーキテクトのダクトの位置と設備屋さんのダクトの位置が一致しない。どうすんの?とランドスケープアーキテクトに聞いてみても、いつまでたっても設備屋さんと連絡がつかない、とか、設備屋さんのダクトの位置に合わせるには私の計画した配管の位置をどうにかかんとか、と独り言のように電話口でぶつぶついっている。。。
いやいやいやいや、設備屋さんに一言、「あなたの計画したダクトの位置は私があなたに伝えた配管の位置と一致しないから、ダクトの位置を適正な位置にずらして計画し直しなさい!」って伝えれば済むことなのに。。。お願いだから、わけのわからない逡巡に、電話口で付き合わせないで欲しいものだ、と願う今日この頃。

ふるさと納税で、何故か、わが故郷が総務省通知に従わない自治体としてリストアップされている。全国で、たった12市町村しかないのに、その内の一つ! なんか知らないけど、ガッツを感じる。。

2018年9月8日土曜日

お城の曲輪

お城の曲輪について書こうと思って、困っている。写真でも載せようと思って、アルバムを見てみたが、あまりにも曲輪周辺が面白くなかったのか、写真がない。
今、思い出してみると、各スポットに説明の立て札がたっていたが、しかし、その場所がお城全体の中でどのような機能をもっていたのか、という全体を俯瞰できるような説明はなかった。
城では、本丸から序列的に二の曲輪、三の曲輪などに連なっており、各場所ごとに意味がある。俯瞰的にみることができないと、城の構造を全体的に捉えることができなくなり、それらが頭のなかで総合的にむすびつけられることなく、断片の記憶の寄せ集めになるため、城そのものの醍醐味が薄れてしまう。
付け加えて言えば、城は単体であるものでもない。山城などとネットワークを形成している。今回、日本を訪れて感じたのは、この城のネットワークが、城のある地域でまったく組織化されていないなぁ、ということだった。もっと、各地域によって城を管理するような組織を結成し、その組織を通じて観光化させれば城自体も美しく保たれるし、観光する側としても理解がしやすくなるのではないだろうか。例えば、ドイツのバイエルン地方では城を管理する部署が行政の一機関として機能していて、城の保存状態もよくオウディオガイドなども充実していて、城の醍醐味を体感することができる。オウディオガイドなんて入館料の中にも含まれているし、それを通じて歴史やそこで起こった出来事なんかも詳細に知ることができる。
もっといえば、数年前に比べて、ずいぶんアジアからの観光客が多いということに気づいた。彼らにしてみれば日本の歴史なんて外国の歴史だから、よっぽど興味がないと事前に学習しているなんてことはないだろう。だからこそ、せめて中国語と韓国語でのオウディオガイドぐらいはどこに行ってもあるぐらいの努力をして、アジアからの観光客に対するサービスをより充実させて欲しい。そうすればよりリピーターは増えるだろう。そんなこと、いまさら自分が言わなくてもわかっていらっしゃるだろうから、より日本を理解してもらうための最低限のサービス、各国言語(特にアジア圏)のオーディオガイドは完備して欲しいと思った。

ずいぶん横道に逸れたが、曲輪である。多くの城で、この部分がただの空き地としてあった。こういった空き地を、定期的に演奏会やフェスティバルの会場として使ったら面白いんじゃないのか、と思う。

あと、小田原城や大阪城の惣構。ドイツ城壁都市が大好きな自分としては、惣構についてもっと知りたかったし、できれば見たい気持ちもあった。小田原城などではその気になれば惣構跡は多く残っているのでその気になれば見学することもできるのだろう。しかし、現地でそういった都市を囲繞した構造物の見学案内のようなものを目にすることはなかった。例えば、ニュルンベルクである。この街はまだ都市壁が残っているし比較の対象にはならないが、あえて言わせていただければ、ニュルンベルクでは都市壁だけを巡ることができるガイドブックを購入することができる。残念ながら日本語版はないが、進撃の巨人でも描かれたりする、都市を囲繞する構造物の存在、それが日本にも存在したのだから、それをもうちょっと観光化するか、少なくともガイドブックとしてまとめてもらえると、歴史ある都市の様子をよりビジュアル化できて面白くなると思う。

お城でおもしろかったのは、何と言っても天守閣の展示だ。特に小田原城は展示内容も現代的で見ごたえがあった。あんなに面白い展示はドイツでも見ることができない。今まで僕がめぐった諸都市と比較しても、トップレベルの展示内容だろう。息子も小田原城は面白かったと言っていた。
結論として、本丸の展示だけでなく、その周辺も観光資材として活用するべきではないのか、というのが僕が日本の城を幾つか見て感じたことだった。中心だけがぎっしり詰まっていて周辺がすっからかんな、この感じ。どこか日本的だな、と思えるが、いかがなものか。

そういえば、息子は小田原城で金属製の手裏剣をお土産として買った。相当気に入っていて、ことあるごとに見せびらかしていた。おかげで飛行機の中に手荷物として持ち込もうとしてしまい、搭乗手続きの際に没収されてしまった。みなさん、手裏剣は一様、忍者の武器なので、いくらお土産とはいえ手荷物として飛行機に持ち込むことはできないのでお忘れなく。

2018年9月2日日曜日

ドイツ在住の設計士として何ができるのか

前回、日本に帰省したときにも思ったことだが、ドイツ在住の設計士として、自分は日本に対して何ができるのだろうか、ということをずっと考えている。

特に、自分の出身地は御殿場市の隣の小山町というところ。妻の出身が豊川市。だから、特に日本へ一時帰省すると、箱根を越えた三島辺りから名古屋手前の地域を行ったりきたりする。東海道でいうのならば、三島宿から宮宿の間あたりだ。

この区間は、何にもないように一見見えるが、よーく見てみると意外に面白かったりする。歴史的にも東は頼朝の流刑時代を過ごした韮山や、小田原に進出する前の北条早雲の史跡が多くあり、西は徳川家康関連の史跡がゴソゴソ転がっている。また、戦国時代に歴史を左右したような名勝負が繰り広げられてきた地域でもある。桶狭間、長篠、小牧・長久手、三方ヶ原など、おそらく行ったら何もないけれど、そこでは苛烈な戦が繰り広げられたはずなのだ。
そして観光的にも、東は箱根、伊豆を中心として温泉や海水浴を楽しむことができるし、西には陶器産業やそれこそ歴史の旧跡が目白押しだ。

今、静岡県の産業特性に関するレポートを見ているが、静岡県は大きく、地理的条件から三つの地域に分かれるらしい。それらは富士川、大井川を境界として分かれるそうだ。
東側は、伊豆、箱根の観光資源、製紙・化学工業、医療機器・医薬品産業。
中部は家具などの伝統産業、港が多いので漁業と水産加工業とお茶の生産。
西部は自動車、楽器の生産工業と第一次産業。
なんか改めて確認すると、すげー、バラエティーに富んでいるな。

なんか、工場とそれに付随する従業員の空間を改善する計画や、東海道という横に長い幹線を利用しての道の駅施設の充実を図れば、かなり面白いものができそうな気もする。問題は、そういったものに、ドイツからどうやってコミットしていくことができるのか。おそらくコミットすることは難しいが、これからもその可能性について考え続けていきたい。

日本の城はすっからかん

大阪城で櫓が特別公開されていた。それら櫓は主に枡形を形成するもので、石垣の上に見事に建てられている。しかし、その中身はがらんどうだった。振り返ってみると、天守閣の中は博物館的に利用されているけど、その他の建物はほとんど休憩所かお土産やさんとして利用されていた記憶がある。
ヨーロッパの城郭都市はどうなってたかな。そもそも、都市の内部は人々が生活しているから、それこそ活気が違う。
ミュンヘンの旧市街の端にある宮殿はどうなってるか。レストランとか、ミュージックホールが入っているなぁ。特に、このレストランはワインが飲めて、これが美味。
そもそも、かつて城だった部分は、都市の中でも特異点であることは間違いない。しかも眺望がいいと来ている。こういった特性を生かして、ホテルとか、レストランにしてくれれば、かなりいいものができるに違いない。ここに日本特有のおしゃれなカフェとか、とってもやる気のあるレストランが入ったらすごいいい空間になるのになぁ、と思う。だって、日本のサービス産業って本当に世界と比較してもかなりレベルが高い、と思う。それが観光産業と結びついたら、きっともっと活気あふれた空間が出現するに違いない。



そもそも、日本の城は、駅からも延々と歩き、その奥には今でもお殿様がすんでいるんかいな、という感覚を覚えるほど、周辺と隔絶されている空間だった。そんなのが街の中心にドーンてあるんだからなぁ。そら、その周りをグルグル回る交通網も発達するわけだよなぁ。

日本に帰省してきた

日本は暑かった。

城をたくさん見た。興国寺城跡。小田原城。大阪城。名古屋城。
それらを見ることによって、ドイツの城をより鮮明に比較対照できるかもしれないと思ったから。
ドイツの城というよりも、ドイツの城郭都市をより鮮明に理解できるかもしれない、と思ったから。
「進撃の巨人」も最新巻まで読んできた。

日本の城は、しかし、あまりにも抽象的というか、都市的コンテキストから切り離されて存在している、ように見えた。
小田原城とか、大阪城とか、城を訪問しただけでは惣構えの実態がまったくわからない。
ドイツの城郭都市でそんなことはあっただろうか?むしろ惣構がはっきりしていて、城的部分のほうが目立たない。

逆に興国寺城跡は自然の中に埋もれている感じであり、しかし土塁の構造が明確なので、面白かった。天主の裏側の空堀や土塁は草に覆われ、空堀の向こうに畑が広がっていた。つわものどもが夢のあとに茂れる夏草。そしてそこは昆虫王国。巨大バッタを天主跡の高台から眼下へ飛ばしたこと。蝶が舞い、玉虫が現れたこと。木立にはクワガタ。
この夏のあの場所は、しかし、戦国の世が始まりを告げてからおおよそ500年後のことだったのだ。

2018年6月13日水曜日

マルタ旅行 交通事情 バス

せっかくだから、マルタ旅行の基本情報を書いときます。
最初はマルタの主要交通機関であるバスについて。



マルタは基本、バスでの移動になります。空港でバスの回数券か、定期間乗り放題切符を買うことをお勧めします。
一週間券は21ユーロ/1人。マルタの島を巡りたい人はこちらの切符で乗り放題なので、お勧めです。
僕達が購入したのは、12回使える回数券。一回使えば、その日は一日中乗り放題。四人家族の場合は、一日4回分を消費し、3日間、自由にバスで移動することができます。
あと、一回の乗車料金も1,5ユーロで、二時間以内であればバス乗り放題。かなり安い。夏はしかし2ユーロ、ちょっと値上がりする、とはいえそれでもお徳。

バスのネットワークは、基本ヴァレッタを中心に、放射状に広がっていると考えてもらってオッケーです。

空港からバレッタの市街までは約10分ぐらいで到着。
カミノ、もしくはゴゾ島に行く人たちは、快速バスで約一時間かけて、本島の北端の港まで乗車することになります。

でも、バス、めっちゃ揺れます。アップダウンが多いこと、入り組んだ湾が多く、湾沿いに走ることが多いため、我が家のメンバーは酔いまくり。
もし、初日からゴゾ島などに渡る人は、港での休憩時間を少なくとも一時間~二時間程度見込んで、余裕を持ってスケジュールを立てることをお勧めします。
僕達も、空港につくやいなや、快速バスがまもなく出発する、ということで、昼食時にも関わらずバスに飛び乗ったのが運の尽き。空腹にバスの揺れで、みんな吐く直前だったようです。
正直、空港から自分達の宿泊した北の街まで、快速バスで一時間ぐらいかかったけど、北の街からヴァレッタまでは快速バスを使わないでも一時間程度。快速バスを使おうが、通常バスを使おうが、結局時間の違いは最長で10分程度。だったら、特に快速バスに乗車することにこだわらなくてもいいのかなって感じでした。

2018年6月12日火曜日

メディナ Medina、シャルドネ・ギルゲンティーナ 白ワイン、マルタ

ヴァカンスに、マルタに行ってまいりました。水がちょっと冷たくて、浜辺のヴァカンスとしてはちょっと早すぎたかもしれない。
ヴァレッタからバスで約一時間離れた小さな街、メリーハという湾に面するアパートに滞在。意外だったのは、食材があんまり手に入らなかったこと。肉も野菜もヴァラエティーが少なかった。島だから魚とかも容易に手に入るのか、と思っていたけど、それもそうではなかった。魚はガイド本にも書いてあったけど、そこまで少ないとは思っていなかった。

でも、レストランで食べたウサギ料理はおいしかった。ワインも、おいしかった。

海は、とっても綺麗だった。少し水が冷たかったけど、透明度はかなり高い。想定外のクラゲ出現には驚いた。

というわけで、マルタで飲んだワインの紹介をしていきます。
マルタで最初に飲んだワインは、Medina。Medinaという銘柄は一本5,5ユーロとお手ごろ価格で、シャルドネ、ソービニヨン・ブランなど、5種類のラインナップがある。僕が飲んだのはMedinaのシャルドネとギルゲンティーナを混ぜたワイン。


ぶどう種 : シャルドネ・ギルゲンティーナ
産地 : マルタ
特徴 : シャルドネらしいシャルドネ
購入先 : マルタのスーパー
値段 : 5.5ユーロ
日本での購入可否 : ○

飲んで、すぐにシャルドネらしい味だな、と思わせるぐらいシャルドネの味が強い。一方でギルゲンティーナという葡萄はマルタ固有の葡萄だそう。酸味が強く、かつ甘い、フルーティーな感じ。シャルドネ好きにはたまらないかも。

ワイナリーさんの紹介を。やっぱり、ワインはワインメーカーの顔やポリシーが見えると、ワインを知る面白さも倍増する。
このワインはマルタ産で、家族経営のワイナリーで造られている。家族の名字はデリカータさん。名字からしておいしそうな名前。初代ワインメーカーのデリカータさんのワインは、最初は家族や友人など、知り合いの間でのみ飲まれていた。しかし噂が噂を呼び、次第に人気を博してゆく。父の急死によりその跡を継いだデリカータさんの元でせいぞうほう近代化し、急速な成長を遂げた。
マルタやゴゾの様々な地域のどこが葡萄栽培に適しているか試行錯誤を繰り返し、その結果、選定された地域で収穫された最高の葡萄を使用してワインが造られている。
だってさ!とっても魅力的!!!



マルタは岩盤でできている島なので、囲い込まれた傾斜地(バスで景色を眺めていると、そういう場所はたくさんあった)も多く、結構ワインづくりには適している土地なのかもしれない。

マルタ固有のぶどう、ギルゲンティーナのみのワインを試してこなかったことが悔やまれる、また次回だな。

値段もお手頃、マルタでの入手も容易(スーパーに絶対売っている)。是非試して欲しいワイン。日本でも購入可能。
というわけで、総合評価
★★★

2018年6月3日日曜日

太平洋の放射能汚染 

夏の日本一時帰国に備え、太平洋の放射能汚染状況をチェックしてみようと、ここ数日努力しているが、驚いたことに、最新の情報を手に入れるのがとっても難しい、という情況に直面している。
これは、どうしたことか。
知りたいのは、海で泳ぐことはできるのか、港などを訪問したときに、漁港の食堂で新鮮な魚介類を食べるのは安全なのか、という、そんなに手にいれるのが難しいとも思えない情報だったんだけど、なぜなんだろう?
これは何かの規制がかかっているのか?と勘ぐりたくなる。誰か、どうやったらこういった情報を手に入れることができるのか、知りませんか??

In diseem Sommer planen wir nach Japan zu fliegen. Deswegen versuche ich zurzeit einen Kontaminationsmap des pazifischen Ozeans mir anzuschauen, aber überraschungsweise ist das sehr schwer zu finden.
Ich möchte wissen, ob man im Meer baden kann, oder ob wir Meeresfrüchte an einem Fischereihafen essen darf. Irgendjemand weiß, wie und wo man solche Info finden kann?

2018年5月19日土曜日

ピノ・ブラン、ヴァイス・ブルグンダー Weissburgunder 白ワイン 

今回紹介するのは、ピノ・ブラン。受け売りだけど、ピノというのは小粒なぶどうのフサが松かさに似ていることから来ているんだって。フランス語で松ぼっくりはピノっていうんだってさ。
ドイツ語では、ヴァイス・ブルグンダー、白い葡萄のブルグンド地方のワイン、っていう意味。ちなみに、ピノ・グリはドイツ語ではグラウ・ブルグンダー、灰色の葡萄のブルグンド地方のワインという意味。整理すると
 
ピノ・ブラン ヴァイス・ブルグンダー ブルゴーニュの白葡萄の白ワイン 
ピノ・グリ グラウ・ブルグンダー ブルゴーニュの灰色葡萄の白ワイン
ピノ・ノワール シュヴァルツ・ブルグンダー ブルゴーニュの黒葡萄の赤ワイン

前回、リースリングを次回も試すって書いたけど、スーパーのNormaに、シュロス・フォルラートを彷彿とさせるボトルのこのワインを発見してしまったので、今回はヴァイスブルグンダーを飲んでみましたよ。

ぶどう種:ピノ・ブラン(ヴァイス・ブルグンダー)
産地:ラインガウ、 ドイツ
特徴:柑橘系の味、酸味が少々強い。アスパラガスに合う。
購入先:スーパー Norma
値段:3.99ユーロ

この季節、5月の中旬から下旬にかけてはドイツではアスパラガスが旬。で、ヴァイス・ブルグンダーという葡萄種はアスパラに合うそうだ。それでスーパーNormaもこのワインを今、売っている訳。さすが、量販店、販売戦略がうまい。


記述どおり、飲んでみると、なるほど、ほのかに柑橘系のちょっとビターな味覚と、うっすらとピーチ系の味覚が混ざった味。やはり酸味が強いので、ドライな白ワイン。これはアスパラガスの甘さに合うな。コストが安くて、不味くはないからコスパはいいかも。


スーパーのワインを飲んでブログに書いてみようと思ってはじめた企画だけれど、量産店のワインは、製造者、ワイナリーの顔がわかりづらい。その点に早速だけど、少しずつ不満が募ってきた。この裏ラベルを見てもらってもわかると思うけど、ワイナリーのキャラクターが全く解らない。
一様、ラインガウ産ということで、ワインの名産地ということだけはわかる。



というわけで、総合評価は
★★(5で満点)
これからは、もうちょっとワイナリーの顔の見えるワイン、というのを基準に入れて、選んでみようかな。
次回は期待してくださいね。地中海のある島のワインを紹介する予定なので。

2018年5月7日月曜日

リースリング Riesling 白ワイン

ドイツで手軽に手に入るワインをテイスティングしまくる企画、今回紹介するのは、ドイツワインといえば、このブドウ種、リースリング。では早速、詳細に。
Ich verkoste nacheinander die Weine, die ich in Deutschland, insbesondere bei einem Supermarkt, besorgen kann. Dieses Mal habe ich Riesling probiert.

ぶどう種: リースリング
産地:ドイツ、バーデンヴュルテンブルグ、シュトゥットガルトの北部
特徴:ドイツではシャルドネと人気を二分するぶどう種。強い酸味とフルーティーな香りが特徴
購入先:スーパー、EDEKA
値段:5.5ユーロ

Rebsorte: Riesling
Ort: Deutschland, Baden-Württemburg, Möglingen
Verkaufsort: EDEKA
Price: 5.5 Euro




あれ、丸いボトルは影が出てしまって撮りにくいな。

今回のワインはWZGというワイン協会が販売している。前回のGWFといい、三文字で協会の名前を短縮するの、ワイン業界ではやってるのかな?それにしても、このワインのラベル、あんまり製造者の情報が載ってない。確か、載せなきゃいけない情報はドイツでは決まっているというのを本で読んだんだけどなぁ。

Warum steht keine Info des Winzers auf diesen Etiketten?  Ist dies Erlaubt? Ich habe irgendwo gelesen, dass bestimmte Infos auf einem Etikett stehen müssen. Habe ich mich verwirt??



色は前回のジルバーナーに似ている、薄い蒼リンゴジュースの色。
Die Farbe ist durchsichtig. Der Farbe des Silvaners ähnlich. 



このワイン、アルコールが13パーセントと白ワインとして高く、そのせいかアルコールの味が前面に出てしまってテクスチャーが台無し。確かにリースリングの特徴である酸味は強いが、フルーツの香りというより、アルコールの香り~。従って試す価値はなし!と判断しました。
がっかり、素晴らしいワインに出会うために、頑張ってるのに。。
というわけで、

★(5つで満点)

Der Wein hat 13 % Alkohole, höchstwahrscheinlich deswegen ist Alkoholgeschmack auffällig. Es ist rassig, aber nicht fruchtig, das Alkoholgeschmack ist leider dominant. Nach meiner persönlicher Meinung, es lohnt sich nicht diesen Wein zu probieren.

Bewertung ★ (5 Sterne ist perfekt)

次回は、もう一度、リースリングに挑戦するぞ!

2018年5月5日土曜日

桜と緑とフィッシャー先生

日本では桜の季節が過ぎ去った頃、ミュンヘンに桜前線が押し寄せる。この国には花見をする習慣などないから、もし桜の名所をこの街で見つけ出すことができれば、その空間を他人に邪魔されず占有することができる。そんな邪まな思いを抱き、そういう場所を探し続けているが、残念ながらなかなか見つからない。
話は変わるが、ある朝、偶然、知人のHさんと地下鉄の中で鉢合わせになったとき、その場に居合わせた彼女の友人であるCさんを紹介してもらったことがある。「そういえばね」とHさんはその際、付け加えた。「CさんはあのTheodor Fischer先生の設計した集合住宅に住んでいるのよ」。テオドア・フィッシャー先生とはミュンヘンの都市造形に多大な影響を及ぼし、ドイツ工作連盟 Deutscher Werkbundの初代代表を務め、ミュンヘン工科大学、シュトュットガルト大学で教鞭をとり、多くの名建築を南ドイツに残した建築家である。
地下鉄の中で、どうやってその集合住宅の一住居を借りることができたのか、家賃はいかほどなのかなど、色々聞くことができた。自分ひとりだけ中央駅で乗り換えしなければいけなかったので、お別れの際に聞いてみた。
「今度、住居の写真を撮ってもいい?」
それが昨年の終わり頃の話だ。その際、予定が折り合わず、でもHさんの提案で、桜の咲く季節にお邪魔してはどうかしら、ということになった。どうやらCさんの住宅の庭には桜がある、ということらしい。
そして、ミュンヘンに春の到来である。街のいたるところで緑が芽吹き、様々な花が咲き乱れ、百花繚乱の様相だ。Cさんに連絡を取ると、庭の桜も間もなく開花するという。そこで早速お宅に伺うことになった。さて、どんな写真を撮ろうかな、と考えたとき、まず頭に浮かんだのは、単純だけどフィッシャー先生の集合住宅には緑が多い、ということだった。バラ、芍薬、クレマチス、アジサイ、柳、松、藤、などなど多彩だ。そこで建物と植物のコラボレーションを撮りたいと思った。
そう思った理由はもう一つある。フィッシャー先生の集合住宅には囲い込まれた中央街路がある。街路の両端に建物が建っているので閉じられた印象を強く与える。閉じられているとはいえ、通り抜けることはできる。街路の一端は建物の一階部分がアーチ状のトンネルになっていて、反対側の街路は建物を回りこむようにY字になっている。でも、よっぽどのことがないとわざわざ通行しようとしないので、この街路はこの一帯では秘密の通路になっている。この秘密街路の両側には街路樹が整然と並んでいる。その梢がなみなみと緑を蓄え、その疎影が壁に落ちているのを見たときに思った、なんて優しい空間なんだろう、どうしたらこんな空間がつくれるんだろう、と。そこには建物と植物との秘められた関係があるに違いない。
建物と植物の関係は根深い。原初では建物と植物は別のものだった。それが次第に融合してゆく。古くはギリシャのコリント式柱にそれを見ることができ、その後、ロココ、アールヌーボー、ゼセッションなど、いつしか装飾として建築の壁を覆い尽くす。

ところが、近代ヨーロッパでは建築の装飾を否定し、壁本来の姿のほうが美しい、という壁復権運動があった。その決定版ともいえる建物がウィーンでセンセーションを巻き起こしたAdolf LoosのLoos Haus(1911)だ。ロースは歴史的様式建築の林立するど真ん中に装飾を剥ぎ取ったこの建物を完成させ、と同時に装飾の無い壁の美しさを著作の中で誇らしげに宣言している。



その同時代、奇しくもロースハウスと同年に建てられたフィッシャー先生のこの集合住宅も、外観はいたって簡素である。建築の装飾が否定される同時代的雰囲気の中で、フィッシャー先生の建物の壁に装飾はほぼない。その代わりといってはなんだが、本物の木が立っている。これはあたかも壁から消し去られた植物が、その壁の前に現出したように見えてくる。詭弁のようにも聞こえるが、その印象をさらに強くしているのが、例の秘密街路の空間の囲い込みだ。
この囲い込まれた街路は、まず最初にフィレンツェのウフィツィ前広場を思い出させた。外部空間が囲い込まれることによって内部空間に反転する、一種蠱惑的な内外反転空間。他にもシンケルSchinkelの旧博物館Altes Museumエントランス(Berlin)、Norman Forsterの大英博物館British museum(London)など、ヨーロッパでは素晴らしい反転空間を経験することができる。フォースターはミュンヘンのレンバッハ・ハウスLenbach Hausでも既存建物の外壁をエントランス空間の内壁の一部として取り入れ、大英博物館のようなダイナミックさはないものの、内外反転空間を実現している。



そしてこの内外反転空間特有のオーラがフィッシャー先生の秘密街路の空間を満たしたとき、街路樹と建物の壁が融合し始める。壁の表層になった樹冠の緑が風に吹かれて揺れたり、日差しの強さによって疎影の濃淡が変わるから、建物のファサードは息吹を吹き込まれたように常にユラユラと蜃気楼のようにその佇まいを変える。



そんな街路樹と街路空間を見ていたからこそ、Cさんの庭に咲くという桜は僕の興味を強く惹きつけた。桜というのはある種、雲、あるいは気配みたいなもんで、視覚的な匂いだ、とある女性作家は書いている。桜の視覚的な匂いを暗香として、この集合住宅のいでたちが幻想的に立ちあらわれる、それを見ることができるのではないだろうか?そんな期待を胸に、Cさんの住居へ向かった。



庭には、はたして一本の桜が立っていた。遅咲きの葉桜で、ハラハラと花弁を散らす霞のような幽玄さはない。しかし天に向かってしぶきを挙げたような錯綜した梢は花火のごとき春の瞬きを枝先に宿し、その一瞬を凍結させたようにそこにあった。樹冠を見上げると確かにそこにあるはずの壁と屋根は霧散したように空に溶けている。霞になるはずの花弁は溢れるような生命に満ちた若葉に引き止められて、匂いに昇華することなく視覚の側にとどまっていた。



ところで、この桜は建築化されたものなのだろうか?それともこの見立ては、日本人である僕にかけられた桜の魔術によるものなのだろうか?また次の如月の望月の頃が来たら、花の下で、桜と建築の関係を改めて考えてみることにしよう。

2018年5月1日火曜日

ジルバーナー Silvaner 白ワイン

記念すべき、ワインシリーズ、第一回目、なんでこんな渋い選択をしてしまったんだろー。
リースリング、シャルドネなどを飛び越えて、いきなりジルバーナー。だって、このワインがたまたま飲みたかったんだから、しょうがないじゃんか。

というわけでジルバーナー。
名前: Silvaner 2016
産地: ドイツ、フランケン地方
特徴: オーストリア原産のぶどう種。17世紀にフランケン地方で栽培されはじめ、現在はフランケン地方全栽培耕地の30パーセントを占める。
味: 青リンゴ、フレッシュな干草、ミント
購入先: スーパー、Rewe
値段: 4,5ユーロ




今回、試したのは、GWFというフランケン地方ワイン協会のワイン。
飲んでみた感想。味はなるほど、青リンゴといえばそうも言える。酸味が少なく、アルコールもテイストの邪魔をしない。とてもすっきりしたワインだ。ほのかにフルーティーなので、料理にもよく合うだろう。生産者いわく、野菜料理、鶏肉、牛肉料理に合うそうだ。

色は透き通るような、青リンゴジュースを水で薄めたような感じ。


ジルバーナーは地産地消されるらしく、なかなか輸出されないみたい。ミュンヘンのアウグスティーナのヘレスビールもそういう話はよく聞く。このビールは土曜日の夕方にスーパーに買い物に行っても売ってなかったりするからね。というわけで、このワイン、ドイツではお手軽にスーパーで買えて、かつ美味でもある。ドイツに旅行に来た際には、是非、ジルバーバー、お試しの価値あり。